再会 _ 3

 一介のOLが暮らす部屋なんて、たかが知れてる。

 ましてや最近は仕事に追われ、家でゆっくりと過ごす時間なんてなかったし、恋人もいないため可愛らしく着飾る必要もない。

 必要最低限のものだけが置かれた、質素な部屋。呼んだのが会社の人ならば遠慮したけれど、相手が半ば無理やり押し掛けてきた元幼なじみならば話は別だ。


「殺風景な部屋だな」

「約束通り連れてきたでしょ。で、話したいことってなに? 話したらさっさと出てって」

「まあまあいいじゃん。そう焦るなって……ってかテレビもないのこの部屋。普段どうやって生活してんだよ」


 ベッドだけだとあまりにも寂しいからという理由で置いていたソファに我が物顔で腰掛けながら、彼はそんなふうに毒を吐いた。

 難癖つけて入り込んできたくせになんだこいつと思いながらも、一応は客人なのでコーヒーを用意する。今でも好きなのかは知らないけれど。


「仕事で忙しくてもう何年もテレビなんて見てないの」

「……なるほど。枯れてんなあ」

「余計なお世話」

「さっきまで一緒にいたあいつは? 彼氏じゃないの」


 紺の言うあいつとは、羽咋さんのことだろう。

 羽咋さんが彼氏だなんて、烏滸がましいにも程がある。今日だって仕事が終わらないわたしを見兼ねて手伝ってくれただけじゃなく、気を遣ってご飯にも誘ってくれた。

 そんな彼の優しさを、無碍にしてしまった。月曜日、出勤したときに改めてちゃんと謝らないと。


「違うよ。羽咋さんは職場の先輩で……わたしが尊敬してる人なの」

「……へえ」

「だからもう絶対あんな失礼なことしないで。もう会うことないと思うけど」

「はいはい。すずがそう言うなら善処するよ」

「善処とかじゃなくて、」

「じゃあすずは今付き合ってる人とかいないんだ?」


 ニヤニヤとした笑みを貼り付けてそう言う彼に、ムッとした。

 誰のせいで、わたしが恋愛を避けるようになったと思ってるの。

 そう言いかけて、寸でのところで呑み込んだ。こいつに弱点を見せるような真似、絶対にしたくない。


「今は仕事が楽しいの。それに紺には関係ないでしょ」

「そんなことないよ。俺はすずのこと好きなんだから」

「……は?」

「好きだよ」


 あまりにもさらりと。まるで何気ない日常を語るように。

 放たれたその言葉が信じられなくて。弾けるように彼の顔を見た。ビー玉のような瞳が、変わらずにわたしを射抜く。


「……なに言ってるの」

「なにって、額面通りの意味だけど」

「分からない。だって、……わたしを捨てたのは、紺の方でしょ?」

「……」

「わたしだって、……紺のこと、好きだったのに」


 セピア色の思い出が、脳裏を駆け巡る。

 わたしの世界の中心が、紺一色だった、あの頃の思い出が。

 たくさんたくさん好きで、大好きで、紺のいない生活なんて考えられなくて。

 そんなわたしの前から、なにも言わずに消えたのは、紺だ。


「……知ってた」

「……でも今は、嫌い」

「うん」

「世界でいちばん、大嫌い」


 彼のいない世界に慣れるまで、相当な労力と時間を費やした。やっと、整理できたと思っていたのに。

 今更こんなふうに突拍子もなく現れて、手を取って、土足で踏み込んで。凪いでいた心を簡単に掻き乱して、わたしを引き摺り込む。

 そんな彼が憎くて、仕方なくて。でも、本当に憎いのは、そんな彼をどこか拒みきれない自分自身だ。


「だから、早く、」

「ごめん、なんか眠くなってきた」

「は? わたしの話聞いてた? 話すことないならもう帰って」

「やだよやっとすずに会えたのに」

「やっとって、……もしかして」


 のしのしとベッドの方へ向かうその腕を強引に掴んだ。至近距離でかち合う視線に、思わず生唾を飲み込む。

 いくら人通りの多い道で、人通りの多い時間帯だったとしても、あんなピンポイントでぶつかることなんてあるのだろうか。

 もしかして、いや、もしかしなくても。彼が、意図的に、わたしとぶつかったのだとしたら。

 偶然なんてとんでもない。最初から全部、紺の思惑通りだったのか。

 わたしの思考を読んだのか、彼がにやりと口角を上げた。もう、本当に信じられない。


「ねえ、思い出さない?」

「……え?」

「あの日も、こんな寒い日の夜だったじゃん。すずの部屋でこうやってふたりで過ごしたの」

「……っ」

「俺は忘れたことないよ」


 目を逸らした。そんなこと、思い出したくもない。

 だってその日は、わたしが紺と過ごした、最後の夜だった。


「……覚えてない」


 逸らした視線の先。微かに開いたカーテンの隙間からは、あの日と同じように小さな雪がちらほらと舞い落ちているのが見えた。

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