06
あの後、断れる隙もなく、わたしは王城へと案内されていた。ほぼ強制的に、捕まった、と言っても差し支えないけれど。
わたしの夫になるらしい、志熊(しくま)さんはとてもいい人だった。
物腰が柔らかくて、博識で、顔も良くて、背も高い。分かりやすく、絵にかいたような王子様だった。
もちろん、それがすべて、演技の可能性もあるわけだけれど。
妃となる人間ならば、子供を産める年が望ましいはずだ。
まだこれから子供を望める若さの女で、次にいつ『恵の人』が現れるかもわからない。
そんな状況では、平民に該当するであろうわたしにも、媚びるというものだ。
こうして、わたしの王城生活は、嫌々ながらもスタートし――非常に気まずい思いをしていた。
優しい王子となんでもしてくれる家臣の方々。わたしのメンタルが強ければ、「異世界最高! 転生人生エンジョイするぜ!」とふざけてもいられるだろうが、そんな度胸はわたしにない。
落ち着かないほどきらびやか住まいと、食べた気がしない豪勢なご飯。衣類は、汚すのが怖くて、ろくに歩くこともできないほど高級なドレスだ。
高校時代から新調していないTシャツとジーンズを来てカップ麺をすすっていたあの頃がいとおしい。
こっちの世界にカップ麺なんてあるのかな。いや、あっても妃になったら食べられなくない?
なんて思いながら、今日も窓際に座ってぼうっと外を眺める。ここからは薔薇園が見えるのだ。それは見事なものだし、庭師がせっせと庭を整える様子は見ていて少し、面白い。日本にいた時も、掃除の動画とか、DIYの動画とか、そういう作業系の動画を見るのが比較的好きだった。
本当に『お飾り』でいいらしく、マナー講座のようなものは強制されていない。望めば講師をつけてくれるそうだが、すぐにはそんな気になれなかった。
笑顔の練習だけはしてほしい、と言われたけれど。つまりは、王子の横でにこにこしていろ、ということだ。
窓ガラスに映るわたしに目線を写し、にっこりと笑って見せる。――自分なりに。
「ひどい顔」
別に、感情を失ったわけではないし、何か面白いものを見たり、楽しいことをすれば笑うことはできる。
ただ、それとは別に、『他人が見て綺麗と思う笑顔』というのはしたことがなかった。営業スマイル、というやつだ。
そもそも働いたことがないので、営業スマイルもなにもない。
こんな顔では、『お飾り』にすらなれるのか怪しいな、と思っていると、扉が控えめにノックされる音が聞こえた。
「はーい!」
何だろう、と思わず立ち上がる。「失礼します」と扉を開けたのは、何日か前に、『センター』への道案内をしてくれたお姉さんだ。綿鷺さんに怒鳴っていた人でもある。
あのピシッとしたスーツ姿ではなく、クラシックなメイド服に身を包んでいた。
お姉さんの職場、ここだったのか。
びっくりして言葉を失ったのはわたしだけでなく、お姉さんもまた、『センター』へと案内した女がまさか『恵の人』だと思っていなかったようで、目を丸くしている。
はっと我に返ったのは、お姉さんの方が早かった。
「失礼しました、鴻子(こうこ)と申します」
綺麗で深いカーテシーを見せた彼女は、わたしのお付のメイドとなるそうだ。ここに来てから、昨日までお世話してくれたメイドさんは今日は休みらしい。三人がローテーションでわたしに付いてくれるそうで、今日はお姉さん――鴻子さんの番のようだ。
……というか、鴻子さんがここにいるということは……。
「あの、綿鷺さんも、王城勤めなんですか?」
「はい。綿鷺でしたら、庭師の職に就かせていただいています」
庭師だったんだ……。庭師なのにスーツ? とも思ったが、鴻子さんもメイド服という制服があるのにも関わらず、スーツで通勤していた。王城勤めだし、私服はダメなのかもしれない。もしくは、ドレスコード的なものがあって、スーツを着用しておけば簡単にそれがクリアできるとか……。
あれ、でも、庭師?
「あの、わたしここから薔薇庭園の作業風景をよく見るんですけど……綿鷺さん、見かけませんよ?」
「綿鷺はまだ若いですから。王城内で一番の花形である薔薇庭園は、古株の庭師が担当になっております」
若い……綿鷺さんが? まあそういう職人の世界って、中年層でもまだまだ半人前、とか言われることも珍しくないもんね。
「ちなみに、綿鷺さんはおいくつですか?」
「今年で27です」
本当に若かった……!
第一印象は三十代後半くらいだったから、予想より十歳前後、若かったということだ。
おじさん連呼しちゃって悪かったな……。
しかし、王宮勤めだったから、『恵の人』が職に就くことなんてない、と知っていたのか。
うーん、どうしたら彼に恩を返せるのかな。お弁当代くらいの金額だったら、志熊さんにお願いすれば、お小遣いとしてくれるとは思う。
でも、それはわたしが稼いだお金じゃないわけだし、それで恩を返したことにはならないと思う。
ちょっとだけでも働けないかな……なんて考えていると、鴻子さんは勘違いしたのか、「綿鷺に会いに行きますか?」と聞いてきた。表情はなんだかあんまり穏やかじゃないけれど。
これはあれか? あの日の朝の文句を言いに行こうっていうことか?
確かに『センター』への道は教えてもらっていなかったけれど、それは聞かなかったわたしの落ち度だ。彼は何も悪くない。
しかし、鴻子さんの顔を見るに、そういう展開でもおかしくない……のかな? なんだかんだ、この世界は女尊男卑なわけだし。しかも、結構過激的な思想っぽいし。
とことん追い詰める、という考えも、よくあることなのかもしれない。そんなの嫌だけど……。
でも、また彼に会いたいな、と思っていたのは事実である。
わたしはちょっと考えたのち、「案内、お願いできますか……?」と鴻子さんに伝えていた。
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