05
明らかに、期待されている。
そんな空気をひしひしと感じながら、わたしは今度こそ麦茶を飲んだ。もう、飲むふりで誤魔化せるほどの気まずさではなかった。ああ、お茶がまずい。
「燕(つばくら)と申します」
そう言った彼は、わたしの対面へと座った。
人の好さそうな笑顔を浮かべているのは、そういう人柄なのか、それともわたしに警戒されないようにしているのか。おそらく後者だろうな、と思いながら、わたしはまたお茶を飲む。
「――葉のか、です」
名前を教えてもらったので、礼儀としてこちらも伝えておく。とはいえ、あんまり仲良くするつもりはない。
だって、わたし、何も彼らにできることはない。教えられることもなければ、出来ることもない。
ただの引きこもりニートが、出来ることなんて知れている。
それでも、わたしは『証明書』とやらをもらって、戸籍を入手しないといけない。現代日本に影響を受けているのなら――いや、そうでなくても、ここまで文化を発展させた起点となった人が、戸籍制度に手を付けていないわけないだろう。
働くためにも、どこかに住むためにも、この世界での戸籍が必要だ。
――死んでしまった以上、わたしは元の世界に帰れないのだから。
……それに、綿鷺さんにお礼、返さないとだし。
今ここで、逃げ出すわけにはいかない。
「先ほどは検査など、試すような真似をして申し訳ない。貴女は貴女自身が『恵の人』と分かっているでしょうが、こちらは一見では区別できないもので」
まあ、だろうなあ。一見して分かりやすい特徴があるわけでもない。確かに、アニメよろしく奇抜な髪色や目の色をしている人もいるが、黒髪黒目、茶髪金髪……など、普通の色を持つ人も多い。
もし、『恵の人』だからといって何か特別待遇があるのなら、偽って申告する人も出てくるだろう。
「気にして……ないです」
小さく返し、お茶を一口。気まずいからと言って、あまり飲みすぎてもすぐになくなってしまうだろうか。いや、でも間が持たない。
「それはありがとうございます。――ところで、失礼ですがご年齢は?」
わたしに劣らず話題変換が下手な人だな。いや、これも『証明書』を発行するのに必要な確認なんだろう。
名前や年齢、性別は絶対記載するだろうしな……、なんて思いながら、わたしは「二十二です」と答えた。
「あの、わたし、何にも、出来ないです」
わたしは、はっきりと伝えた。本当に、何もできないのだ。隠して、何かができる振りをするという手段もあるのだろうが、小心者のわたしにはそんなことできない。ハッタリすらまともにかますことが出来ない。
とはいえ、目の前に無戸籍の人間がいるなら、即放り出すこともないだろう、という打算があった。戸籍さえもらえれば、後は自力で頑張れる範囲だ。多分。
流石にここまでくれば、以前の様に甘ったれたことは言っていられない。――女性優位の世界なら、多少はいい条件で働くこともできるはず。
そう思って言ったのだが、「それで結構です」と言われてしまった。
あまりにもはっきりと言うその言葉は、妙に強気で、なんだか急に、燕さんの猫をかぶったその中身が見えたような気がした。
――怖い。
漠然とした恐怖を感じるわたしに、あくまでも燕さんは笑顔で話す。
「この世界は既にオイカワ様のお力により、発展しています。これから先、さらに発展させるのは我々の義務であり、同時に権利なのです。あまり『恵の人』に頼りすぎてもいけない」
その言葉にほっとしたのもつかの間。
次につながる爆弾発言に、わたしは思考を停止することとなる。
「葉のか様には、王族の妻となっていただきます」
――――は?
発言に追いつけないわたしをよそに、燕さんは話を続ける。
「代々、王族は『恵の人』ないし『恵の子』を妃とする習わしなのです。ですが、今代は候補が一人もおらず、困っていたところなのですよ」
にこやかに話す燕さんが恐ろしくて仕方ない。この人は、猫をかぶって、久々の獲物を逃がさまいとするべく話しているのではない。
本当に、わたしが王妃になることを喜ぶと思って、にこにことしているのだ。
「で、でも、わたしに王妃なんて……」
確か、この世界――この国では、政治は女王がするものだったはず。女性の権限が強いならなにかしら仕事を与えられるはず。そんなもの、さばく自信はない。
「大丈夫です、実務等は側室の方々や夫となる王族の方がなさるので」
そういう問題じゃない。というか、それじゃあ完全にお飾り――いや、お飾りでしかないのか。習わしに従うためだけの。
「拒否権は……」
「今年中に新たな『恵の人』が現れない限りは、ありません」
どうしてそんなこと聞くのだろう、という表情で答えられてしまった。
何もしなくていい。しかし最上の身分と最高級の衣食住が保証される。
確かに、それだけ聞けば好条件かもしれないが、たかだか一般的な高校生活の中でまともに人間関係を築けなかった人間に、どろどろした女の園へ身を置いて、まともでいられるわけがない。
いや、実際にどろどろしているのかなんて知らないけれど。でも、ぽっと出の女がお飾りの妃になるなんて、認められるのか。だって、側室の人たちって、貴族のご令嬢なんだろう。
この世界の女性は気が強いみたいだし、それが貴族ともなればさらに……。
考えるだけで吐き気がしてくる。
「ちなみに、あの、今は……」
「サリュ……ああ、ええと……失礼、六月です」
「年末は……」
「十二月ですね」
一年の暦も日本と同じか。え、まって、猶予は半年しかないの?
「ちなみに、前回の『恵の人』は五十年前にこちらへいらした方です」
わたしの次の質問を先回りして、燕さんは教えてくれた。
五十年前って……いや、もうこれ詰んでるじゃないですか。
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