04

 砂糖入りの冷たい麦茶と思わしきお茶を飲むふりをしながら、わたしはソファーに座りながら、非常に居心地の悪い思いをしていた。

 帰りたい。

 その一言に尽きる。


 *** *** ***


 まず朝起きてから、『センター』に着くまでが第一の地獄だった。ずっとコンクリートの上に座っていたからおしりと腰が痛いし、通行人に声をかけようと思ってもうまくいかない。

 他人に話しかけるというのは、思っていた以上に引きこもりニートにはハードルの高いミッションだった。

 昨日、最後は悲惨な結果となったとはいえ、綿鷺さんと比較的まともに会話ができたので、油断していた。夜で高架下だったからはっきり表情が見えなかったのが逆によくて、おかげで緊張しなかったようだ。

 立ち止まっている人にわざわざ声をかけるのは怖くて、仕方なく、歩いている人に近づいて、いい感じの距離になったら話しかけようと思ったのだが……。

 道を女に譲るべし、という認識があるのか、男の人は皆、すれ違うかなり前に足を止め、道の端に除けるのだ。

 わざわざそんなことをされるものだから、声もかけにくい。

 タイミングを図り損ねているうちに道を開けられ、わたしはそこを歩くしかない。


 そんなことを何回も繰り返し、しかたなく女性に声をかけたのだが、「なんで私が道案内なんてしなくちゃならないわけ? その辺の男にでも聞きなさいよ、めんどくさい」とばっさり言われてしまった。

 朝も早い時間だし、通勤の邪魔をしてしまったのかも、なんて自分を励ましながらも。なけなしの勇気を振り絞って声をかけたので、心はぽっきり折れてしまった。もう誰にも話しかけられない……。

 ――おうち、帰りたい。おそとこわい。

 まるで幼稚園児にでもなった気分だ。

 人の目がなければ泣いてしまいそうなほど気分が落ち込み、打ちのめされていた。


 『センター』がどこかは分からないが、ここが現代日本を模した世界なら、駅を探せば駅前の地図が、交差点を探せば道路に案内標識があって、そこに載っているかもしれない。

 そんな望みをかけて、道をとぼとぼと歩いていると、バス停に見知った顔を見つけた。


「わ、綿鷺さん……!」


 普段なら、街中で知り合いを見つけても大声で呼ぶことはないのだが、右も左も分からないものだらけな状態で、たった一人、知っている人を見つけて思わず声をかけてしまった。

 名前を呼んだ後で、昨日のことを思い出したのだが、もう遅い。綿鷺さんはわたしに気が付いて、ぎょっとした顔をしていた。


「ど、どうしてこんなところに……。『センター』に行ったんじゃ……」


「う、うぅ~~」


 綿鷺さんの声に、わたしのキャパは限界を迎えたようだ。ぼたぼたと、涙があふれてくるのが分かる。

 ざざ、と綿鷺さんの周りにいた、バス待ちと思わしき男の人たちが、数歩動いた。まるで、自分には関係ないと言わんばかりに。

 いや、そうだ。女尊男卑の世界で、女が男を泣かせたらどうなる? どう見ても、綿鷺さんが悪者になってしまう。

 泣き止まねば、と思うものの、昨日からいっぱいいっぱいだったわたしは、久々に泣いた、というのも相まって、パニックになってしまった。泣き止まなきゃ、と思えば思うほど、涙は形となってあふれてくる。


「ちょっと綿鷺! あんた何泣かせてんのよ!」


 綿鷺さんに叱責の声をかけたのは、一人の女性だった。髪を一つに結び、真面目なキャリアウーマン、といった風貌の女性。


「ち、違っ……違います。俺……い、いや、私は何も……!」


 綿鷺さんは反論するが、彼女は綿鷺さんに詰め寄る。


「じゃあどうして泣いてるのよ!」


 ぎゃんぎゃんと怒鳴る女性の腕を、わたしはつかんだ。このままだと綿鷺さんが誤解されたままだ。


「あ、あの、違うんです! わたし、迷子で、道、分からなくて……。それで、その、知ってる人を見つけたら、安心して、それで泣いちゃっただけなんです!」


 そう言うと、一応、女性は納得してくれたようだ。綿鷺さんに、勘違いして怒ったことを彼女は謝りこそしなかったが、おとなしくなった。


「道分からないって……どこに行きたいのよ?」


「え、あっ、『センター』? っていうところに……」


 この女性は道を教えてくれるようだ。さっきのお姉さんよりはマシな人だ。


「『センター』に行きたいわけ? まったくもって反対方向じゃない。この辺うろついててもたどり着けないわよ」


 そう言いながら、お姉さんは簡易的な地図を書いてくれる。うん、大丈夫、読めそう。


「あの、ありがとうございます!」


 わたしは女性にお礼を言って、頭を下げた。

 早く『センター』に行かなきゃ、と地図通りに歩き始めて、ふと気が付いた。


 ――綿鷺さんに、昨日のことを謝るチャンスだったのでは?


 しかも、さらに迷惑を重ねてしまっている。わたしは慌てて振り返ったが、もう遅い。丁度バスが発車したところだった。

 わたしは馬鹿か?

 いつまでもバス停を眺めていても仕方ないので、わたしはとぼとぼと歩き出した。

 とはいえ、地獄はまだまだ終わらないのだが。



 脳内反省会を開いていても、地図通りに歩けば『センター』なる建物にはたどり着くことが出来た。

 DNA検査、とか言っていたので勝手に病院のような場所を想像していたのだが、医療機関というよりは市役所っぽい作りになっている。

 入口入ってすぐの壁に、窓口の案内が書かれていた。一つひとつ確認しながら、それっぽい場所を探す。


「――あった」


 『西五 恵の人検査受付』という文字を見つけ、わたしは思わずぼそっとつぶやいた。すぐに見つかってよかった。ここでもまた右往左往する羽目になったら目も当てられない。

 案内に従って窓口に着くと、受付は男性だった。……というか、比較的に男性職員が多いような。働くのは男の役目、と言うことなのだろうか。

 受付のお兄さんに説明をし、検査をしてもらうこととなった。


「では、こちらに血を垂らしてください」


「え……えっ? 血、ですか?」


 水を張った小皿を差し出され、わたしは思わず聞き返してしまった。てっきり採血して検査するものだと思っていたので、これは予想外だ。


「はい、オイカワ様が文明を発展させてくださったとはいえ、以前よりある魔法と言う技術が廃れたわけではありません」


 そう言って、お兄さんは使い捨てだという針を渡してくれる。

 現代日本とそう変わらず、いかにも科学技術の世界です、みたいな見た目をしている中でポッと魔法という単語が出てくるのは違和感しかない。でも、これがこの世界の文化だというなら受け入れるしかないのか……。

 わたしは針を指に刺す。痛いかと思ったが、全然痛くなかった。これも、なにか魔法とか、そういう技術の賜物なんだろうか。

 とはいえ、視覚的にはあまりブスブスと針を指先に刺したいものではないので、血が滴るほど深く刺せない。

 仕方がないので、ぎゅ、と指先の皮をつまんで、血を絞り出す。

 小さな血の玉が出来たところで、わたしはそれを小皿の水にちょんと付けた。

 すると、ぱっと小皿の水が光った――ような気がした。蛍光灯の下なので、光っているかはちょっと分かりにくい。少なくとも、透明だった小皿の水は、薄い青色に変色していた。


「これは……! すみません、こちらに来ていただけますか」


 そう言って、お兄さんはわたしを奥の部屋へと案内する。テーブルとソファが並ぶ、簡易的な客室のようだ。

 ソファに座らされ、お茶を出される。恐る恐る一口飲んで、ちょっと後悔した。砂糖入りの麦茶だ。わたしはお茶に砂糖を入れるのが好きじゃなくて、紅茶もストレートでしか飲まない。というか、甘い飲料全般が好きじゃないのだ。甘いものは好きだけど、甘い飲料は余計にのどが渇いてしまうというか。

 とはいえ、ただなにもせず待っているのも手持ち無沙汰で、結局は湯飲みに手を伸ばす羽目になるわけで。



 少々お待ちください、と言われて、現在に至る。

 多分、あの水の色が変わったのが、『恵の人』の証だったのかもしれない。少なくとも、こうしてお茶を出してもてなされている以上、偽物だと思われたわけではないことが分かる。

 もう何度目か分からないが、湯飲みに口をつけたとき、扉が勢いよく開かれた。


「貴女が本物の『恵の人』ですか!」


 先ほどのお兄さんとは別の――おじいさんともおじさんともつかない微妙な何年齢の男性が入ってくる。アニメとかでよく見る、装飾性の強い軍服を身にまとっていた。

 きらきらと輝き、期待に満ちた男性の表情を見て、わたしは帰りたいを通り越して消えたくなった。

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