第2話 初めての野営

 返り血を浴びた女性…ルクシアが目の前の椅子に座る様促す。その間も恍惚とした表情を変える事無く。まるで猟奇的な殺戮者であるかの様に。


「ふふっ…それじゃ、依頼を確認するわね。依頼内容は私の護衛をしながらコリンダ村まで向かう事。最短ルートなら二日で着くわ。ただ、夜襲の可能性とかもあるから気をつける事。報酬は前払いで手渡すわ。」


 全員の目の前に銀貨の入った小袋が置かれる。更にディノが新品のテントを3張と寝袋を4つ、更には野営用の便利キットを置いた。全て今回の報酬となるらしい。


 それらを確認した後キリが口を開く。


「…金額と物資は確認致しました。その上でもう一つ、私達には確認しなければならない事があります。」


「…ふふっ、何かしら?」


「失礼ながら。ルクシア様の素性を。全てとは言いませんが、その姿は一見すると事件に巻き込まれた、或いは人にしか見えません。どちらにせよ即座に護衛してこの街を出るとなれば、私達が今度はこの街で生活出来なくなります。」


「…冒険者にとって信用は必要よ?依頼主の素性を聞くことが御法度だと理解しているかしら。いい?冒険者というのは街のヒーローなんかじゃないのよ?金さえ積めば善事も悪事もこなす存在。この先貴女達は必要悪に成らざるを得ない事だってあるのよ?」


「承知しております。ですが回避できる事は回避すべきかと。この先上手い手口で騙される事はありましょうが、今の貴女の様にわかりやすく怪しい方の護衛はお断りします。これでは護衛ではなく脱走の助力になるので。」


 恍惚した表情でキリを見下しながら微笑むルクシアと、目を細めながら睨み付けるキリ。二人の視線がぶつかり合う。


「…貴女、名前は?」


「不審者に名乗る名前は持ち合わせて居ませんが。」


 応接室がどんどんと不穏な空気になる。視線をぶつけ合う二人が怖すぎてレジス達は固まっていた。


 やがて、その空気を壊すかの様にディノが溜め息を吐いてルクシアに話しかける。


「…全く。そろそろ辞めな、ルクシア。今までで一番長いよ。」


「んきゃっ?!」


 話しかけるだけで無く銀で出来たトレンチでルクシアの頭を軽く叩く。素頓狂な声が応接室に響いたお陰で不穏な空気が一気に霧散した。


「…これは、どういう事ですか?」


 漸くこの空気感から解放されたマーレーが思わず口を開く。


「いたた…。つまり、単なる演技ですよ。新米の冒険者が金銭だけで動く子なのか、善悪を見極めて動く子なのか。私がこの街から帰る時に毎度試させるんですよ。その時の新米を捕まえて。」


「そゆことさね。うちに悪行の肩を持つ冒険者がいるなんて聞いたら経営が傾くからねぇ。とはいえ、多少は悪い事もして来いと思うけど。」


「あはは…護衛される私が怖くてお断りしたいのですが。」


 苦笑いをしながらチラリとキリを見る。するとキリはクスクスと笑いながら口を開いた。


「…そんな警戒しなくても、最初からわかってたので大丈夫ですよ、貴女の素性も分かってますし。


 キリの言葉を聞いた瞬間顔から火が出る位赤くなったルクシアは、わかりやすく慌てふためいた。


「ななな、なんで知ってるんですか?!この街のじゃ、まだ一度も公開してませんよ?!」


「…そういやキリは演劇大好きで時折王都まで一人で見に行ってたねぇ。」


「ちょっ、そういうのは先に言ってくださいよ、もぉ〜…。」


 一転して年相応の可愛らしさを見せるルクシアにキリとディノはケラケラと笑っている。相変わらず置いてきぼりの三人だが、痺れを切らしたレジスが遂に核心に迫る。


「だぁーもう。依頼をするのかしないのか、そしてこの人は何者なんか教えてくれ!キリ!」


((レジスナイス))


 レジスの問いかけに思わず心の中でサムズアップするマーレーとラフィン。そしてキリは気付いた様子で咳払いをしてルクシアを紹介する様にしながら口を開ける。


「…じゃあ改めて。この方は王都で公開中の演劇"戦場の貴婦人達"で活躍中の女優。"血塗れの女帝"役をしているラキリーことルクシア=セレス嬢よ。」


「改めて、よろしくお願いします。」


 深々とお辞儀をした彼女は、先程までとは違い愛想良く笑顔を振り撒きながらキリの紹介を受けている。


 ※"戦場の貴婦人達"はサラディア王国の王都サラディアで絶賛公開中の大人気演劇で、己が欲の為に悪逆非道を尽くし、処刑した敵味方と酷使されて血反吐を吐きながら軍を動かす夫の返り血を受けている女帝と、彼女の非道を見過ごせなくなった帝国の貴婦人達が互いの夫を戦地に送りながら自分達は晩餐会で女の戦いを繰り広げるといった大人気アクション演目である!


「ええと、つまり。その服は?」


「これは私の役の衣装ですね。安心してください。」


「なんだ…じゃあルクシアさんは普通の人なんだね?」


 ルクシアはラフィンの言葉に頷きで返す。そんな中で素朴な疑問をマーレーは抱いていた。


「しかし…王都で仕事を、しかも演劇の役をやられてるという事は私達の様な駆け出しの冒険者よりちゃんとした護衛をつけた方が良いのでは?」


「最もなご意見です。実際新米の方が居られない場合は王都の騎士様や名のある冒険者様に頼む事が多いです。」


「そこは私とこの子が昔からの知り合いって所でね。昔やんちゃだったこの子を何度も助けて懐かれちゃってね。今でもこうやって暇があれば顔を出しにくるさね。」


「ディノおば様には本当、感謝しきれない恩があるので…。」


「そこで、それなら恩返し程度に仕事を持って来いと言ったらまさか自分の護衛を雇うなんて言うもんだからねぇ。目を疑ったよ。」


 どうやら過去の縁からこの宿にいる新米冒険者へ仕事を斡旋しているらしい。お互い商魂逞しいと言うべきか。


「成る程…分かりました。レジス、どうしますか。」


「ん、そうだな…。俺は別に構わないぞ?」


 レジスは特に考える事無く返事をする。そこに加えてキリがニコニコしながら付け加えた。


「ええ。それに大人気公演の黒幕役を護衛するとなれば今後良いコネクションが増えると思いますし。王都で仕事を探す様になったらさぞ待遇をよくしてくれるでしょう。」


「あんたそう言う所はめざといねぇ。まぁ、間違っちゃいないよ。この依頼は単に護衛するだけで無く遠方への移動に慣れてもらうのと、コネクション作りの目的もあるさね。勿論、ルクシア嬢の方にも利がある。」


「ええ、皆様が私を気に入って貰えたら、是非演目を見に来ていただければ…ね?」


 つまり三者三様に利がある案件らしい。ディノからすれば新米冒険者への仕事の斡旋が出来る、ルクシアからすれば顧客の獲得と自身の身を格安で守れる、冒険者からするとお金では得ることが出来ない経験とその立場からすると大きなコネクションを得ることができる。誰が見ても破格の案件だった。


「そこまで腹を割って言われたら受けるしかないね〜。私もいいと思うよ。」


「ええ、同じく。」


「おし、それじゃルクシアさん。請け負ったぜ。」


「はい、よろしくお願いします♪」


 こうして、久方ぶりの依頼が受諾された。


 ※※※


 早速準備に取り掛かった一同は消耗品の数を確認しつつ数日分の着替えを鞄に入れ、保存食を購入。更には夜の見張りを行う際の夜冷え対策として人数分の毛布を購入した。更に、マーレーとレジスは旅先での剣の手入れ様に"誰でも簡単!初心者研磨セット"と書かれた物を購入し、キリとラフィンは"旅先でも安心!美容パック"を購入していた。


「…いや、それは要らなくね?」


「ほう?レジス。貴方達が剣を磨くのと同じくらい私達は美を磨く必要があるのですよ。お二人の武器は剣でしょうが、私とラフィンの武器は美ですよ?」


 勿論、この様に一悶着あったのは言うまでもない。だがレジスがキリに舌戦で勝てる訳が無く、簡単に言いくるめられていた。


 一同が銀貨4枚分買い物を終えた所で、レジス達よりも大荷物を抱えたルクシアがよろよろと馬車の荷台に近づいていた。聞くところによると久々の帰郷らしく、お土産や暫くの滞在荷物でこの様になったとか。


 やがて、荷物や積み込みを終えた一同は一度ディノの宿へと向かい暫くのお別れの挨拶を交わす。


「気をつけて行っておいで。ルクシア嬢、また顔を出しなよ。」


「ええ…おば様…。ぐすっ…また必ず来ますから…!」


「相変わらず涙脆いねぇ。演目中の強気なあんたはどこ行ったんだい全く…。ほら、レジス。しっかり守らないと承知しないからね!」


「お、俺か?!分かってるよ!!じゃあな!ちょい護衛してくるわ!」


 なんて会話を交わした後一同は荷台に乗り込んだ。


 ※※※


 無事エルリアの街を出発した一同は荷馬車に揺られながらゆったりと過ごす。道中は見晴らしの良い草原という事もあって護衛というより旅行気分で、何気ない会話をしたり昼寝をしたりと楽しんでいた。


「そう言えば。ルクシアさんはどうして演劇をしようと思ったのですか?」


 キリの質問に待ってましたと目を光らせてルクシアが答える。


「私が演劇に憧れたのは殆どの冒険者様と同じですよ。」


「?」


。それだけです。けど剣も弓も魔術にも才能がない私が英雄になるにはどうするべきか。簡単な事でした。冒険者様な様な未来の英雄になれないなら、過去の英雄になればいい。では過去の英雄になるには?そう思い両親に無理を言って見せてもらった演劇が全てでした。」


 そこからのルクシアは童話を読んだらその役になりきり、村の子供達を集めてごっこ遊びを毎日の様に行っては村の人達にちょっとした演劇を見せてを繰り返していた。それがコリンダ村の風物詩となり始めてた頃、たまたま寄宿していた演出家の目に留まり練習生としてスカウトされたらしい。


「練習生として王都に行った後は衝撃的な毎日でした。私と同じ様に英雄に憧れた方々が共に研鑽する日々。それこそ、今までの自分なんてちっぽけに感じる程才能に溢れた方々が毎日血反吐を吐きながら努力している姿がそこにはありました。何度心が折れて辞めようと思ったか…。それでも、諦めきれずに努力を重ね遂に今の様に大役を任される役者として認められました。これが私が演劇を行おうと思った理由ですね。」


 まるで演劇の一幕の終わりの様に頭を下げたルクシア。思わず拍手を送り賞賛してしまった一同は思い思いにルクシアを褒めた。


「とても素晴らしい事だと思います。…今はどうです?英雄になりたいと?」


「ええ。そうですね。ただ…昔とは少し違います。例えばマーレーさん。私は貴方を演じたい。なんと言えば良いんですかね…そう。私を護衛してくれた方々が将来英雄となって、そんな人々を私が演じれたらそれは凄く素敵だと思いませんか?」


 ルクシアの微笑みに思わず息を呑む。もし自分が将来演じられるとなったら…。思わず身だしなみを整えたマーレーに一同は吹き出した。


「そんなに気にしなくてもマーレーさんは美形なんですし、多少乱れてる方がちょっとワイルドでカッコいいですよ?」


「そうなんです?私の里は皆一様に似た者同士なのでよくわかりませんが…。」


「それは意外ですね…。エルフってこう…『美しさ至上主義!!』みたいなイメージあったので…。」


「あー…マーレーさんはともかく、街生まれのエルフは美しさを鼻にかけてる事は多いかなぁ。」


「あー。恐らく半端だからじゃないでしょうか。半分は人間の血が混ざってますし。中途半端な血は優劣感を生みますから…。」


 キリの言葉にラフィンが俯く。二人とも恐らく過去に半端者として扱われた過去があるのだろう。


「血の濃さなんて関係無いと思いますけどね。私からすると見た目なんて単なる入れ物に過ぎません。中身が伴わなければそれは一つとして美しさなどありませんし。」


 マーレーの言葉に思わず女性陣が頬を染める。だが、その様子に気付いてないマーレーは言葉を続けた。


「そもそもそれならば美しさではキリさんの様な天使の血が混ざった人種に敵うわけありませんし、ラフィンの様なもふもふ可愛いの暴力に勝てるとでも?と。身内贔屓ではありますが私は思いますけどね。」


「「誰ですかこの人に酒飲ませた人は!!」」


 赤面して叫ぶ二人だが、勿論飲んでなど居ない。至って素面なのだがそれ故に照れ隠しをしていた。その様子を見てたレジスが首を傾げる。


「マーレーさんはよく見てるなぁ。俺この二人とディノさんやルクシアさんがそこまで大きな違いあるとは思わねぇし。」


「…同じ意味でも言い方が違うとここまで伝わり方違いますか。」


「まぁそれがレジスのいいとこだと思うけどねぇ…。」


 表情一転。苦笑した二人は溜め息を吐きながら顔を見合わせた。


 そんなこんなで一悶着がありつつ一度馬の為に休憩を入れる事にした一同は見張り番の順番を決めていた。


「とりあえず護衛対象のルクシアさんと御者の方はしっかり休んで頂くとして、どう振り分けます?」


「んー。普通にいつもの部屋の割り振りでも良いとは思ったけど…職的にラフィンとキリさんが見張りしている時に襲撃があると前衛が居ないな。」


「ですね。て事で別々に組む様に決めましょう。」


「んー。それなら私とマーレーさんは別の方がいいんじゃないかな?」


「ふむ…あぁ。成る程。夜目ですか。」


 見通しの悪くなる夜はラフィンやマーレーの様な夜目持ちが圧倒的に優位に立てる。その点も考慮して、前半の4時間をレジス・ラフィン組、後半をマーレー・キリ組が担当する事になった。


「レジス達は回復手段が薬草しか無いので何か有ればすぐ私を起こして下さいね?」


「了解。キリさん達も耐久面が少し乏しいからなんか有ればすぐ起こしてくれよ!」


 一様の取り決めを行った後休憩を切り上げて荷台に乗り込む。次の休憩まで結構時間がある為それぞれ武器の手入れを行ったりしていた。


「そう言えば…逆に皆さんは何故冒険者に?」


 蹄の音と荷車のタイヤが大地を蹴る音が響く中先程の質問のお返しとばかりに聞いてくる。その質問に内容は違えどキリ以外の三人は英雄や冒険者への憧れと答える。


「私は…使命ですかね。困っている者を救えと。そんな感じです。」


 一瞬目を逸らしたキリをマーレーは見逃さなかった。しかし、深く追及すべきでは無いと直感した彼はそのまま聞き流す事にした。


 やがて、何事も無く2度目の休憩を終えた一同は予定通りエルリアとコリンダの中間地点辺りで野営の準備を始める。男組はテントの設営、女組は夕食の準備(と言ってもほぼラフィン一人だが)だった。


「んん〜っ。ラフィンさんはお料理が上手ですね!しかし本当にキリさん手伝わなくて大丈夫だったんです?お疲れになりませんでした?」


「んー?こんな所で重篤患者を出すわけにはいかないからねぇ〜…。」


「?」


 首を傾げたルクシアは視線をキリに移す。思わず視線を逸らしたキリを見たルクシアは何かを察したらしく思わず苦笑した。


 その後、食事を終えた一同は使用した物を近場の河川で洗って片付けた後、前半の見張り役であるレジスとラフィンを残してテントで休息を取り始めた。


「…なんかこうして薪を眺めながら見張りしてるとさ、普段とは違ってちゃんと冒険者してるなぁって思うよね。」


 薪の管理をしているレジスに星を見上げながらラフィンが呟く。


「んー。確かに。普段と違う環境ってのもあって凄く冒険してる感覚あるな。」


「って言っても大森林行った時もやってたけどね。」


 違いない。と軽く笑ったレジス。そして二人が思い出したのはあの大森林での死闘だった。


「あの時さ。マーレーさんが居なかったらどうだったろうね。」


「んー…考えたくねぇな。なんなら先にあいつと会ってたのが俺らだったらってのすら考えたくない。」


「確かに…。先に会ったのが私達だったら誰かしら欠けてただろうね…。」


「ああ。そう言った意味ではマーレーさんには悪いが運が良かった。」


 言い方に思うところがあるのか。レジスはバツの悪そうな顔で言った。だがラフィンは別の事が頭をよぎっていた。


「運ねぇ…。ねぇ、レジス。私達が出会ったのって本当に偶然なのかな。」


「ん?どう言う事だ?」


「あの依頼。私達に受けようと持ちかけたのはキリさんだったじゃん。そしてレジスが最初にあったのもキリさん。私を加入させた時もキリさんが募集の話を持ちかけていた。…たまにね、キリさんはこうなる事をわかってたんじゃないかなって思うの。」


「ははっ…考えすぎだろ。俺はキリさんの前向きな姿勢が生み出した産物だと思うぜ?あの人が行動を起こそうと思ったから結果として今がある。確かに偶然ではないかもしれない。けどそれは予測していた未来では無く、前に進もうとしたキリさんの結果だと俺は思うぞ。」


「ほぇー…レジスの癖に難しい事言ってる…。」


「おまっ、バカにしてるだろ!!」


 わいのわいのと小声でじゃれ合う二人。そんな二人を明るく照らされた月は優しく見守っていた。


 ※※※


 交代の時間が来た知らせを受けたマーレーとキリは、うとうとし始めていた二人をテントで寝かせた後薪を囲んで座り込んだ。


「…こうしてマーレーさんと二人きりで話すのは以外と初めてですね。」


「ええ。最近は基本的にレジスと共に居ましたからね。」


「どうです?少しずつ慣れてきましたか?」


 慈愛を含んだ眼差しで見つめるキリに少しどきりとしつつマーレーは頷く。


「ええ。皆さんのお陰で。里で過ごした日々が遠い昔に感じますよ。」


 実際、マーレーが里を出てから2週間程しか経っていないにも関わらず、流暢に交易語を話せる様になり、最近では暇な日に街の警護を手伝ったりしている。その為このパーティー以外にも交流を深めていたりする。


「とは言え先日見回りで神殿に行った時は大変でしたけどね。」


「あはは…あれはご老人方が勘違いしただけですから。」


 思わず苦笑するキリ。実は神殿に見回りに向かった際キリと中庭で会い、雑談していた所を老人会が恋仲と勘違いして大騒ぎしたと言う事件があった。勿論誤解は既に解いてあるが。


「尤もここ最近はマーレーさんもギルドに篭りっきりだったのでご老人方も心配してましたよ?」


「あはは…帰ったら一度顔を出しておきますね。」


「是非そうしてくださいね。」


 キリが言い切ったのを聞いて思わず苦笑する。だが、それは困ったから出たものではなく里とは違う所に帰る場所を見つけた心地よさからくるもので、思わずマーレーは目を細めて微笑んでしまう。


「皆さんに会えて本当に良かったです。会えてなければ今頃私は森で朽ちていたかもしれませんし。」


 やはり思い出されるのはあの日の死闘。命を散らしかけながら必死に戦いつつ時間を稼いだ結果、キリ達と遭遇。そして撃破に至っている。だが、彼女達が来なければ。今頃マーレーという名前すらなかったかもしれない。


「…どうでしょうね。起きなかった未来は幾重でも想像ができます。もしかしたらマーレーさん一人で倒してた可能性もありますから。」


 成る程。と頷く。更にキリは言葉を続けた。


「選ばなかった可能性は幾ら想像してもキリがありません。でしたらそんなもしもを想定するより今ある現実を如何に見るか。だと思いますよ。可能性ばかり追って今を疎かにするのは本末転倒ですからね。こうすれば上手くいったとか、こうすれば上手くいかなかったなんてのは所詮そのタイミングでやらなかった選択肢です。哲学者なら意味はあっても私は達冒険者には余計な枷ですよ。」


 キリの言葉に納得したマーレーは、一拍の逡巡の後言葉を返した。


「確かに。もしも〜なんて選択をしている暇があると私達にとってはその時間すら命の凌ぎ合いですからね。思った事を思った通りに。間違っても一旦は進んで安全確保してから元の道に戻るしか許されてませんからね。」


「そゆことです。」


 マーレーの答えに満足したのか、薪を眺めてた視線が自然と合う。思わずお互い微笑みつつゆっくりと時間が流れーー




「この気配は。キリさん。」


「ええ。何かいます。…マーレーさん。時間を稼げますか?」


「勿論。その間に二人を。」


 小さく頷いたキリはごく自然な動きで欠伸をしてテントに向かう。相手が知性ある相手で見ている可能性を示唆しつつ。それに合わせマーレーも気配から一度視線だけを逸らしてキリを見送る。彼我の距離は分かっている。射程範囲に近づいてきた瞬間に奇襲で返す算段だ。


 ゆっくり。風の音に合わせて草原の中を低い姿勢で迫る何か。奇襲なれしているのか。それとも狩を行うときの種族的な習性なのか。どちらにせよじわりじわりと近づいてくるその何かは、やがてマーレー達まで20mを切る。その瞬間マーレーは静かに、けれど確実に狙いを絞って魔術を放つ。


「…闇達よ。影を伝いかの者達を射抜け。"シャドウニードル"」


 直後。マーレーの後半19mの所で5本の黒い針が地上から伸びる。同時に苦痛を帯びた悲鳴と共に5匹のゴブリンが腕や太ももなどから血を流しつつ姿を見せた。


「おや、これは。ゴブリンでしたか…。なるべく早く来てくださいねキリさんっ!」


 冷や汗が流れる。同時に飛びかかってきた彼らの数を1匹でも減らす為、たきぎから燃え盛るまきを一本投げ飛ばして命中させる。草原を燃やす程の燃焼力はないそれはだがしかし、生物に当たればそれだけで効果は絶大で、顔を焼かれたゴブリンが身悶えながら敵味方問わずその場で暴れ始める。慌てて他のゴブリンはそのゴブリンから離れてマーレーとの距離を一度取る様に身構えた。


 対してマーレーは細剣を摂り、ゆっくりゴブリンと正対する。彼らとやり合う場合は慌ててはいけない。それが隙となり一気に崩される事がある。


 やがて落ち着いたらしい焼かれたゴブリンは荒い呼吸音を発しながらマーレーを睨む。そして飛びかかるかと思いきやその場で大きく鳴き声をあげた。


『ギャッギャァァァッ!!ギャッギャァァァ!!』


「…これ…は?」


 思わず息を呑むマーレー。だがその瞬間が隙となり、飛来した矢が耳を掠めた。数拍遅れてマーレーは身構える。ゴブリン達の更に後方から飛来したそれは、気がつかなければ顔を射抜かれていた。


 ガサガサと這い寄る音が再び響く。漸くその姿が見えたと思えば、今のマーレーからすると御免被りたい状態となる。


「…アーチャーが5体、更にあれは…ホブですか。」


 総勢11匹。ホブゴブリンが率いる強襲部隊と言うべきか。軍団がそこにはいた。


 緊迫した空気が流れる。風が一陣、凪いだ。その瞬間にやりと顔を歪めたホブゴブリンの命令で一斉にマーレーへ襲いかかる!!


「させない!!練技"ワイドシュート"!!」


「かの者に光の加護を…"プロテクション"」


「ウォォッ!練技!"ヘイトアクション"」


 その瞬間後方から声が響く。飛びかかってきたゴブリンの内3匹は矢で頭を撃ち抜かれてそのまま仰向けに倒れ込み、2匹は突如現れた光の壁に攻撃を防がれ、飛んできていた矢は角度を変えて後方へ飛んでいき、鉄に当たり弾かれる音が響いた。


「遅くなった。すまん!」


「いえ、これからですよ!」


 直ぐ様マーレーの近くによるレジス。目の前に居るゴブリン2匹を睨みつつ手短に作戦を伝える。


「こいつらは俺が。マーレーさんはラフィンと共にアーチャーを。」


「わかりました。」


 マーレーはその場を離脱して距離を取る。ゴブリン達はヘイトアクションによる効果でレジスしか見ていない為余裕をもって離れる事ができた。


「ラフィン、右から。」


「任せて。左は頼んだよ。」


 そのまま左前方に走り出したマーレーに合わせる様にラフィンは右側のアーチャーに向けて矢を放つ。


『ギッ…ギァ!!』


 だが勿論ホブゴブリン達も黙ってやられる訳がない。レジスに襲いかかる2匹のゴブリンは知性が低いとは思わせない程いやらしく統率の取れた連携で少しずつレジスの防御を崩していき、アーチャー達はホブゴブリンの一声で正気を取り戻したのか、マーレー目掛けて再び矢を放ち始める。放たれた矢は風の加護で致命的なものは逸らすことが出来たが距離が近い為擦り傷を負う程度には当たった。だが気にする暇などない。一番近くのゴブリンアーチャーの心臓目掛けて刺突。そのまま一撃で仕留めたマーレーは直ぐ近くにいる別のゴブリンアーチャーに詰め寄る。しかし後一歩足らず。踏み出そうとした瞬間、第六感と言うべき警鐘が首の後ろ辺りにヒリヒリとした感覚で足を止められた。


『ギャッギャァァァ!!』


 その瞬間ホブゴブリンの咆哮が響く。体を地面に縫いとめられた様な感覚が走り、身を硬くしてしまう。もし詰め寄っていたなら至近距離で矢を穿たれていただろう。しかし、それでも尚体を硬直させるその咆哮は数秒の隙を作る。そしてそれは戦場に置いて何よりも致命的な時間。



 彼の目の前に現れたゴブリンアーチャーが醜い顔で笑いながら弓を引いていた。


 ※※※


 少し時間を戻してマーレーが1匹目のゴブリンアーチャーを仕留めようとした時。ラフィンも短剣を振り抜きながら自慢の足でゴブリンアーチャーに詰め寄り、あわやと言う所で回避した目の前のゴブリンアーチャーの弦を切り割く。弓が使え無くなった事で慌てた目の前の魔物を3度切り裂いて仕留めつつ、次の獲物を狙い矢を放つ。しかし、体勢が崩れていた為威嚇射撃程度にしかならなかった。

 それでも、ゴブリンアーチャー達はマーレーだけでなくラフィンにも警戒をする必要があると判断したのか、狙いを右往左往させつつホブゴブリンの指示を待っていた。


『ギャッギャァァァ!!』


 やがてもう一度距離を詰めようとしたタイミングでホブゴブリンが咆哮を放つ。事前にその兆候に気付いたラフィン即座にその場から離れ耳を塞ぐ。その視界の端でモロに食らったマーレーを見つつ。そして彼の直ぐ近くで弓を引こうとするゴブリンアーチャーを見つける。


 不味い。


 即座に不安感を感じ取ったラフィンは手に持った短剣を彼の目の前にいるゴブリンアーチャー目掛けて投げる。


 限界まで引かれる弦。今にも放たれかねないその矢を持つ手…ではなく狙いすましている弓を持つ手を狙い投げた短剣。世界がスローモーションになる。限界まで集中したラフィンの目には指が一本、二本と離れ始めしなりを利かせた弦が元に戻ろうと作用し始めた瞬間。


『ギィィァァッッ!!』


 左手の甲を短剣で貫かれたゴブリンアーチャーは弓を明後日の方向に向けてしまい、マーレーに擦り傷を与える事すら無く矢が飛んでいった。

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