第10話 粘性の魔物

 5m程ある魔物が音を立てて蠢く。その身体は透明な為分断されたラフィンが膜の先に見える。あちらも無事らしい。それでもその事実が余談を許さない現状を物語っていた。


「ラフィンの方に集中されると不味い。直ぐにでも倒さねば…!」


 即座にファイアーボールの魔術が記されたスクロールを使い攻撃に移る。しかし、中心を狙って放った火球を感知した魔物はその射線上の膜の部分を空け魔術を避けた。それどころか射線上に居たラフィンに飛ぶ形となる。慌てて回避した彼女の反応速度のお陰で同士討ちにはならなかったもののレジスは思わず息を詰まらせた。


「慌てないで!こういう時こそ冷静にいきましょう。」


 キリが冷や汗を垂らしながらレジスを諌める。今にも飛びかかりそうな彼を抑えつつキリはマーレーにアイコンタクトを飛ばした。


「…レジスはそのままキリさんの防御を。ラフィンは回避に専念してください。」


 目を閉じて静かに述べたマーレーに慌てるレジス以外は小さく頷く。そのままマーレーは剣をしまい杖を構えて刮目する。


「風よ、我が声に答えよ"ウインドカッター"」


 杖先から放たれた3枚の不可視の風刃は魔物の左上、右下、右上を狙いすまして切り裂かんと飛ぶ。同時に狙われた魔物は右上に飛んだ風刃を避ける事は出来たものの残りの風刃には対応出来ずにその身を削られる。


「同時に二箇所以上の対応は出来ないみたいですね。私の魔術に合わせてスクロールを。」


「了解。」


 再びウインドカッターを放つ為に集中し始めるマーレー。だが、勿論魔物もタダでやられる訳にはいかないとばかりに身体の一部を鞭のようにしてマーレーを縛りつけようとする。


「させるかっ!!」


 すかさず間に入ったレジスが鞭の様に伸びた部分を斬り飛ばしてマーレーを守る。その代償としてレジスの剣が一番錆びた。


「チッ…これはなるべく早くカタを付けなきゃ装備がまるまるダメになるな。」


「ですね…現時点ではそこまで脅威とはなってませんが、時間が経つとこちらの手札が無くなります。」


「…その為にも一撃重いのを…!風よ、我が声に答えよ"ウインドカッター"」


「ラフィン!」


「レジス!!合わせるよ!」


 マーレーのウインドカッターに合わせて二人もファイアーボールのスクロールを使用。目論見通り風刃2発と火球2発を対応する事ができないまま受けた魔物はその身体を揺らしながら瞬く間に燃焼し始めた。


「おしっ!効いてる!!」


「ええ。このまま…っ?!」


 マーレーが再び魔術を放とうと集中状態に入ろうとした瞬間だった。驚くべき事に身体を炎で包まれた魔物が無差別に身体の一部を伸ばし鞭の様に振るい出す。当然伸ばされた部分も燃焼しており、さながら炎の鞭の如く振り回されたそれは元来のものより危険な状態になっていた。なりふり構わない無差別の攻撃は距離を取って攻撃範囲から抜け出した一同を襲う事はないが再び近づく事が暫く出来ない状態にある。それが一つの問題を生んでいた。


「…ラフィンと完全に分断された。」


 燃え盛る魔物を睨みながらレジスは言う。5mも有る魔物だ。高さは勿論横幅も余裕で埋めている。このままではいつまで経ってもラフィンは閉じ込められてしまう。更にそれだけではなかった。



「ひっ?!や、やば…後ろにもっ?!」


 ラフィンの背後にべちゃり。と何かが落ちてくる。顔を引き攣らせながらチラリと見ると同じように魔物の膜が生まれている。それどころではない。両方の魔物の膜がゆっくり枝垂れかかる様に倒れてきた。そのままお互いがぶつかり延焼するのも厭う事なく。燃え盛る炎のドームとなりラフィンを完全に囲い込んだ。


「なっ…このままではラフィンが!!」


「ええ…。最低でも窒息。それどころか中で骨一つ残らないまで捕食されるでしょう…。」


 青い顔をしながらレジスとマーレーはどうするべきか考える。同じ様にキリは背負ったバックパックから分厚い本を取り出して必死に何かを調べている。そしてドーム生成から1分後。何かを見つけたキリがバックパックを下ろし眺める事しか出来ない二人に並んだ。


「…二人とも。私が合図したら。」


「…は?けどあいつは…。」


「…何か解決策がある様子。レジス、従いましょう。」


 舌打ちをしつつ了解と言ったレジスはマーレーと共に剣を構える。その後ろではキリが苦悶の表情を浮かべながら両手を胸の前で組んで祈り、小さく呟いている。


「…彼方に恵みを、聖なる雨を降らせ給え。汝は豊穣。汝は神。汝の行いは奇跡となりて人々を支えるだろう…」


「…っまだか?!」


 時間が経つにつれラフィンが生きて戻れる可能性は低くなる。焦りから苛立ちを見せるレジスは今にも突撃しそうな程冷静さを欠いていた。勿論祈祷中のキリには届かなかったが。


「…約束された繁栄を。約束された慈愛を。汝の力によって人々は生まれ栄えるだろう…」


 苦痛の表情を浮かべ大量の汗を流しながら祈祷を続けるキリ。無理もない。いま行っているのは村の修道者10人が力を合わせて行う祈祷だ。1人で負担をするにはかなりの無茶を強いられる。それどころか普通の修道者程度ならば発動出来ない。MPが枯渇して途中で気絶してしまう。それを何故か続ける事が出来ている。その代償は凄まじく、キリの全身から所々血が流れ出し、一度も被撃して無いはずの彼女の足元には血溜まりが出来ていた。


 理由は一つ。キリが有する賦術にある。

 彼女が持つ賦術は"生魔転換"。生命力とMPを入れ替える事が出来る能動スキル。これにより足りない分のMPを一時的に生命力で補う事が出来る(逆も可能)のだが、キリはその生命力が危険域になる事も構わずギリギリまで踏み切った結果、肉体が耐える事が出来ずに至る所が裂傷となっていた。


 だが、そんな事等構う事なく魔物を睨みつけたキリは一瞬の息継ぎを終え最後の節を唱え切る。


「…豊穣の神よ。…我が、願いに応え、よ…"スコール"…!」


 直後、下水道の中に居るにも関わらず魔物の頭上から大雨が降り注ぐ。決して攻撃用の魔術でも奇跡でも無いそれにレジス達は呆気に取られる。下水の水位を僅かに上げる程に降り注ぐ雨はやがて燃え盛る魔物の炎を鎮火していく。やがて火の勢いが衰えた頃には予想外の物が目に入った。


「…っ…いきな、さい…!」


 キリが息を荒げながら、それでも魔物から目を離さずに告げる。一拍置いて突撃したレジス達は剣を振るった先には先程まで酸性の粘膜で出来た魔物だった筈が、その身を炭の様に脆く硬質化させた魔物だった。剣を溶かす事なく硬質化した魔物を切り崩していく二人。程なくしてうつ伏せに倒れたまま意識を失っていたラフィンを救出する事に成功した。

 彼女の容体は呼吸が荒くなっているものの現状即座に命が奪われる事はない。救護院に運び込めば問題無さそうである。


「それよりキリ、あれはなんだったんだ?どうして…」


 ラフィンの無事にホッとしたレジスが振り向くと血溜まりに伏したキリが居た。マーレーがなんとか薬草を使い傷の修復を試みているが意識の方は戻りそうもない。


「…一命は取り留めています。しかし、危険な状態には変わりありません。恐らく限界を超えて行使した奇跡の反動でしょう。」


「…っ。仕方ない。とりあえず二人の様子を見つつ一旦戻るか。」


 レジスが溜め息を吐きながらラフィンを背負う。だが、そんな二人に追い討ちをかける様にべちゃり。という音が少し離れた所で響いた。


「…前言撤回だ。マーレーさん。キリを頼む。全力で離脱するぞ。」


「…かしこまりました。」


 顔を引き攣らせた二人は倒れてる二人を抱えてすぐにその場を離れ、下水道から逃げ延びるのに成功した。

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