10

チリリ、チリリ、と朝を告げる魔法道具の音がする。わたしはまだ眠い中、目を開けずに頭の近くにあるであろう魔法道具を手探りで探した。――ない。

 いつもこの辺にあるのに、と思いながら、ぱすぱすと手を動かしていると、魔法道具の音が止む。でも、わたしが止めた手ごたえはなかった。枕元の棚に置いてある目覚ましの魔法道具を触るどころか、棚に触れることすらなかったのだ。


 なんで、おかしい、と思いながら、わたしはようやく目を開ける。あくびをしながら、周りの様子を見て、寝ぼけた頭が徐々に覚醒していく。

 ――ああ、そう言えば、昨晩、わたしはソファで寝たんだっけ。

 魔法道具のある棚はベッドの横。ソファからじゃ、そりゃあ届かないわ、と変に納得していた。


 音のなる魔法道具を止めたのはわたしではなく、わたしの代わりにベッドで寝ていたジェゼベルドだった。

 寝癖が凄い頭のまま、彼はベッドの上で青白い顔をして、座っていた。目覚ましの魔法道具を手に持って。


 まだ体調が悪いのだろうか、と思いながら、わたしは彼の出方を待つ。

 それは向こうも同じだったようで、わたしの出方を待っているのか、目線がかち合っても、なにも言わなかった。


 やや長い沈黙のあと、わたしは、小さく、「お、おはよ」と挨拶をした。多分、ジェゼベルドの求めてた言葉じゃないだろうけど、わたしも何を言ったらいいのか分からなかったので、とりあえず挨拶を。


「おはよう、ございます……」


 返してくれたジェゼベルドの声はガサガサで、今にも死にそうな声だった。寝起きだからか、それとも、あれだけ酷い生活をしていたから、風邪を引いてしまったのか。顔色が悪すぎて、後者のようにも思えるけど、咳とかはしていないので判断が難しい。


「あの、まだ体調悪い? もう少し寝る?」


 昨日と同じように、するりと出てくる、彼を心配する言葉。自然と出てきた言葉に、自分でもびっくりするくらいだった。

 家族じゃない男と、同じ部屋で寝たのに。怖い、嫌だ、よりも先に、心配が顔を出す。同じベッドで寝たわけじゃないけど。一緒にベッドで睡眠をとっても、同じ反応が出来るか、流石に今は、ちょっと自信がないけど。


 でも、他人の男と同じ部屋で眠ったとは思えないほど、しっかし寝れたようで、頭がすっきりしている。確かに寝付くのには少し時間がかかったけど、眠りが浅くて起きてしまう、なんてことはなくて。

 こうして少しずつ彼に慣れたら、そのうち――などと考えているわたしとは正反対に、本当に、ジェゼベルドは今にも死にそうだった。死にそうというか、自害しそう、というか。


 彼の返事を待っていたが、ジェゼベルドはゆっくりと目覚ましの魔法道具を枕元に戻す。


「――すてないでください」


 ぽつりと、ジェゼベルドは言った。わたしの、体調はどうか、という質問に答えるものではなく、呆然と、捨てないでくれと泣きそうな顔で言った。

 見たことのない様子に、わたしのほうがびっくりしてしまう。


「ど、どうしたの……?」


「男が怖いという貴女に、こんな、こんな……! ちゃんと我慢できますから、捨てないでくださ――」


 ――バサバサッ!


 転げ落ちるようにベッドから降りるジェゼベルドの腕が当たったのか、枕元の棚に積んでいた本が落ちる。ここ最近、寝る前に読んでいた恋愛小説の本たちである。部屋に本棚らしい本棚がないので、積みっぱなしだったのだ。

 積んでいた本の山に気が付かなかったらしい。急な音にびっくりしたのか、流石に、この状態のジェゼベルドでも視線がそちらに向く。


「う、うわー!」


 今度はわたしが慌てる番だった。


 恋愛事情に疎いわたしが読むには丁度いい本たちではあるが、もう何年も前に成人した女性が読むには、かなり子供っぽい本である。恋愛小説に詳しくなくたって、装丁からして子供向けにしか見えない本なので、一見すれば、なんとなく対象年齢が分かってしまうだろう。


 今更こんな本を読んでいるとは知られたくなくて、わたしは慌てて棚にかけより、乱雑に何冊もの床に散らばった本を拾い上げた。


「こ、これは違うの、違くて……」


 何が違うのか自分でも分からないまま、本を隠そうと必死になる。とにかく、この本たちを見られたくない。その一心だった。


「ち、違うんだってば。が、頑張って受け入れるなら、勉強も必要かなって! しょ、初心者なんだから、こういう本からでも、しょうがない……って……」


 活字が苦手で子供向けな本しか読めないわけでも、女児が好む『王子様』に夢を見ているわけでもない。これは決してわたしの趣味じゃないんだ、という意味で、咄嗟に言葉にしたけれど。

 当の本人の前で「あなたの為に勉強して読んでいます」っていうのもなかなかに恥ずかしいんじゃないだろうか。

 完全に言葉を間違えて自爆した気がする。


 本を抱きかかえて座り込んだまま、顔を下げて、床を見ることしか出来ない。ジェゼベルドがどんな顔をしているのか、想像することすら恥ずかしかった。何と弁明しようと考える半面、何か言ってくれと、ジェゼベルドに願わずにはいられなかった。


 少しの間の後、ジェゼベルドの声がする。


「――頑張って『好きになる』ではなくて、ですか?」


「えっ」


 わたしは思わず顔を上げてしまった。

 ジェゼベルドの固い笑顔。でも、それは、作り物の笑顔というよりは、信じられないものを見ながらも、頬が緩むのを押さえられない、と言う風な、なりそこないの笑顔だった。


 ぽかん、とジェゼベルドの見ていると、段々彼の顔が赤くなっていくのが分かる。


「貴女は男が怖くて苦手――どころか嫌いなようですから、嫌悪感をなくしてからが、好きになってもらうスタートラインだと思っていた、の、ですが……」


「え、あ、あ……」


 かぁっと体温が上がるのが分かる。

 わたしの中では、男嫌いを克服して、彼を受け入れよう、という道筋に、矛盾を感じたことはなかった。


 でも、指摘されれば分かるのだ。好きになる過程が、抜けていないか? というのが。


 ドキドキと心臓が高鳴る。それが、恐怖から来るものとは少し、毛色が違うことを、今、この瞬間、ハッキリと認識してしまった。甘く痺れるような心臓の早鐘に、いつものような不快感は、ない。

 いつから、いつからだろう。


「……期待しても、いいんでしょうか」


 彼がわたしの手を取る。ただでさえ体温が上昇しているというのに、ジェゼベルドに触られたところは、もっと熱い。力が抜けて、バサバサと、抱えていた本のほとんどが、膝の上に落ちた。

 でも、そんなことすら気にならない。ジェゼベルドから、目を離せなくなっていた。


「貴女に無体を働きたいわけでもないですし、こんな、夜中に部屋を訪れて、あまつさえベッドを借りた男の言う権利はないかもしれませんが――キスを、する許可をいただけませんか」


 この期に及んでも、彼がわたしに無理やりなにかすることはない。本当に、彼はわたしに前触れなくなにかすることはないのだと、嫌なことはしないのだと、確信できる。


 ――信用、できる。


 彼と会ってから――彼と再会してから、今、最も強く、そう思った。


 バクバクと暴れる心臓を押さえるように、胸元を掴み、服を握りしめながら、わたしは、震える声で「どこに」と問う。


「――手の甲に」


 手の甲。それはこの国で、敬愛を示す、結婚式のときにも使われる部位。

 結婚式で見たときよりも、ジェゼベルドはずっと熱っぽい瞳をしていた。――そして、おそらく、わたしも。


 あのときは、さっさと終わってほしい儀式でしかなかったのに、今は、全然違う。


 怖いと思う、その先に、何かを期待しているわたしがいた。

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