20.乗馬体験
いずれサイヒの街を出る前にやっておかないといけないことが1つあった。
移動手段の確保だ。
名もなき村からサイヒの街まで1週間以上の旅になったことからも明らかなとおり、集落から集落への距離は結構なものがある。公共交通機関が乗合馬車程度しかない以上、何らかの移動手段を手に入れなければ快適な旅にならないのだ。
ERにおける序盤の移動手段確保は大きく分けて3つの手段がある。「馬の購入」「馬車の借り入れ」「自転車作成」である。なお、乗合馬車は寄り道が大変多いため非推奨。
今回タビが選んだのはERでは
まず、馬車を借り入れようとするとその度にある程度の身分証明が必要になる。ビオテークという事実上の後見人がいるサイヒの街ならいざ知らず、他の街に行くたびに身を立てなければならないのだ。移動しない期間は経費がかからないとはいえ、安価な手段ではない。
自転車を作成する場合はさらに難易度が上がる。ある程度の【鍛造】Lvがないとまともに作ることも叶わないし、空気入りのタイヤを作るのはさらに難易度が高い。代わりに馬ではいけないようなところに行けたりするので、
そうなってくると安価で効果的なのは馬を自身で用意してしまうことになる。幸い広い土地と豊富な木材を手に入れたことで馬小屋や飼料を用意することができたので、後は馬に乗る練習と、余裕があれば馬上戦の訓練をしておきたいとタビは考えていた。
「というわけで練習しようか」
「は……、はい」
街で購入した尾花栗毛の双子馬に鞍や手綱をあつらえた翌日、タビとルルはサイヒの街の東側、農業地区にやってきていた。
タビがカヤとススキと名付けた彼女らは、名前の通り秋の実りを思わせる金の鬣を持つ牝馬だ。タビがこの双子馬を選んだのは、スタミナがあって2頭立てで購入することができたからだ。”神”はまとめ買い贔屓らしく、たいていの商品はまとめ買いすると少しお得になる。
双子馬の体はやや小さいものの、今のところ乗るのはタビとルルでどちらも大柄ではない。2人とも今後金属鎧を装備する予定はないので、多少パワーが劣ったところで問題ないと判断した。見た目だけでなく乗りやすさもそっくりらしく、有事の際に乗り心地が変わらないのが魅力だと馬商は言っていた。
「とりあえず一緒に乗ってみよう。乗れるかな」
「は、はい……」
タビの手伝いを借りながら、ルルがどうにかカヤの背に乗る。補助用に付けた小児用の鐙を履かせ、その後ろにタビが乗る。
「よし、それじゃあしばらく歩いてみようか」
「はい……。おねがいします」
カポカポと2人を乗せたカヤが歩き出す。後ろを歩くススキと共に、大豆が収穫されたばかりの畑と芽を出しつつある小麦の畑の間を眺める。小麦の畑には今も何か手入れをしているのか、何人もの農家たちが作業をしていた。
慣れない高さの視点に農家たちの様子を見ることもままならないルルを見ながら、タビは昔は自分もこうだったなと思い出す。
今こうしてタビがカヤに乗っているのも、元はといえばERの――正確にはERを含むVRゲーム全般の――おかげだ。特にERはシステムアシストがリアルスキルを補助する用途で組み込まれており、リアルスキルさえあれば何だってできるのだ。
そのリアルスキルも、繰り返しゲームで経験していれば手に入ってしまう。タビが補助なしで馬に乗れるのは、ひとえにERで長距離移動を繰り返したおかげだった。
一方でルルは当然、乗馬経験などない。ただし、【騎乗】の称号さえ手に入れてしまえばシステムアシストで簡単に乗ることができるようになる。タビとルルが目指しているのはそれだった。
半時ほど畑をぐるぐる回り続けた頃には、ようやくルルにも周りを見る程度の余裕ができた。高い位置から見下ろすのが珍しいのか、きょろきょろと見回しては笑顔を見せている。
「少し休憩にしようか」
「えっ、でも……」
「うん、確かにまだ余力はあるだろうけど、慣れるまではお尻の皮が剥けたりするから長く乗りすぎないようにしよう」
「あっ……。……そうですね……」
思わず腰を浮かせるルルを微笑ましく見ながら、田園外れにある木陰に向かう。開始時刻を調整していたので、ちょうどお昼にちょうどいい時間。レジャーシートを広げて、ルルの作ったお弁当に舌鼓を打つのだ。
ルルはすっかり料理にはまったらしく、安息日以外の日はいくつもの料理を作り溜めしている。タビが自身で料理する機会は気分転換に夜食を作る時くらいのものだ。ちなみに既にタビのストレージには半年は補給なしで生きていけるくらいの料理がストックされているが、いずれ必要になることが明白なのでタビも納得して作らせている。
ウルフ肉とキャベツで作った照り焼きバーガーに舌鼓を打った後は、今度はススキに2人で乗って畑の周りを歩く。おっかなびっくりカヤに乗っていた午前中に比べれば驚くほどの成長をしているが、やはり1日2日では【騎乗】の称号を手に入れることはできないのだろう。
そう判断した時点でススキとカヤを連れて屋敷に戻る。
「……今日はもう終わりですか?」
「うん、多分明日は筋肉痛だから覚悟してね」
「え……。う……はい……」
残念そうに問いかけてきたルルが慣れない乗馬で足をプルプルさせていることを、後ろに乗っているタビはよく観察していた。それに、タビもこちらに来てからは乗っていなかったのでこれ以上は難しい。
「まぁ最初は2日に1回くらいから初めて少しずつ慣れていこうね。1人で乗れるようになれば多少遠くに行っても大丈夫だよ」
「はい、わかりました」
農業地区から貴族街東端の屋敷まではほど近い。徒歩なら随分かかってしまう道のりでも、双子馬に乗っていればあっという間だ。
裏庭に作られた厩舎に2頭を入れて、掃除と餌やりを済ませる。毛並みを整えてやればその顔はどこか嬉しそうだ。ここに来るまでに丁寧な躾をされていたようで、いい買い物をさせてくれた馬売りにタビは感謝した。
「タビお兄ちゃん。まだ日が沈むまでには時間がありますけど、今日はどうするんですか?」
「あぁ、それなんだけどさ……」
タビは首を掻く。馬に揺られながらぼんやりしていた時に思い出したことがあったのだ。
「ちょっとギルドに行ってくるよ。やり忘れていたことがあるし、さすがに馬の世話を2人でするのはちょっと大変だしね」
「……従者探しですか?」
「そう。できれば鍛冶もできる人がいればいいんだけど」
「鍛冶ですか!!」
突然目を輝かせ始めたルルに、タビは思わずのけぞる。こんなに嬉しそうにするルルは初めて見る気がするな、と思うと少しだけ嬉しい。
「うん、やっぱり最初だけはできる人に見せてもらった方がいいしね」
「わかりました! 夕食は少し多めに作っておきますね」
「よろしく、ルル。じゃあちょっと行ってくるね」
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