17.老爺の森(1)
サイヒの街の北西の門を出て歩いて半日、街から外れるほどに高く大きくなっていく木々の合間に見える巨木――樹齢2000年を数える大樹を中心に広がるのが老爺の森だ。
名前の通り樹齢の高い木が群生している森は、昼でさえ灯りがなければ先が見えないほどに暗く、トレントや木吊蜘蛛が寝首を掻くべく虎視眈々と潜んでいる。トレントの枝や根を使った締め付け攻撃を受ければまともに動けなくなり、木吊蜘蛛の糸や毒はそれだけで致命的だ。
そんなどこにトラップがあるかわからない危険な森に、タビとルルはやってきていた。前衛はルル、後衛がタビだ。
2人は常時火魔法で作った火の玉を四方に浮かべ、蜘蛛の巣がないことを確認しながら進んでいる。もともと火の手が上がりにくい森の奥、木吊蜘蛛は火の対策をしていないので蜘蛛の巣は燃えやすい。
またトレントも火を嫌う。普通の木に比べて驚異的な速さで成長するトレントは、他の木に比べて乾燥していることが多く、火が付けば薪のように燃え上がってしまう。
すなわち、火魔法が使える2人にとってはそれほど難易度の高い場所ではないのだ。
「長老樹に会って話を聞いてみたいからってやってきてみたけど、やっぱり遠いね」
「タビお兄ちゃんはもうちょっと計画性を持ってくれると嬉しいです」
「ははは……。でも”前”はこんなに深い森に入ったことがないから新鮮だよ」
「わたしも初めて入りました。暗くてちょっと怖いです」
森の奥の方に入ってきたからか、既に陽光はほとんど差し込んでこない。先日降った雨のためか地面が少しぬかるんでいて、ルルが5回目に転倒した時――タビは3回転倒している――タビはこれ以上進むのを断念した。
「今日はここまでにしようか」
「わかりました。ひとまずあたりで落ち着ける場所を探してみますね」
「うん、一緒に行こう」
30分ほどかけてやや広まった場所を見つけた2人は、土魔法を使って簡易的な小屋を作る。テントが丸ごと入る大きさの立方体の壁に、タビが辛うじて出入りできる入り口を作る。入り口の脇で焚火をして不寝番をつければ拠点は完成だ。
簡単な拠点だけど木吊蜘蛛は入り口だけを見張っていればいいし、トレントではこの壁を越えられない。
休息できることを確認してから、夕食の時間にする。ストレージから出すのは大物だ。
老爺の森の道中で討伐したバイホーンベアが今夜の晩餐だ。鋭い2本の角と巨大な牙を持つ大柄の猪で、木々の隙間からカッ飛んできた瞬間に死を意識するような獲物だ。幸いこちらが先に発見したので、【隠密】で近寄ったルルが斧を首に叩きつけて一撃必殺を決めたのだ。
タビは取れかけたボアの首を改めて落とし、頭の方はさっさとしまう。頭の方はあとは角と牙さえ落とせば後はゴミなので、体を先に捌いていくのだ。首から刃を入れて皮を引っぺがし、内臓を取り出して肉を切り分けていく。内臓の処理は知識が足りなくてどうしようもないので、骨と一緒に魔石に混ぜてしまうつもりだ。
肉を切り分けたらあとはルルにお任せである。サイヒの街で積極的に買い出しや調理をしているところを見るまでもなく、どうやらルルは料理をするのが好きなようで、適当に切り開いただけの猪肉を綺麗に切り分けていく。
今夜は何を作るのかと気になるところではあるが、タビは改めて自分の仕事に戻る。皮は街に戻って職人に鞣しを頼む、大きめの骨はどこかの工房に持ち込んで下降するとして、魔石に練りこむ小骨と取り分けておく。
顔の皮を剥いで(品質的にこちらは使えないだろう)、頭蓋骨の中に入っている物を掻きだしてしまう。このあたりは完全にゴミだろう。頭蓋骨はしっかり形が残っているので、このまま持ち帰ろう。
タビが仕分けを終えてから魔石にするべく小骨を叩いていると、ルルが調理が終わった旨を報告に来たので夕食にする。今夜は牡丹鍋だ。肉の臭みを抜くためかしっかりと味噌味のついた肉を春菊や白菜と共にいただく。
バイホーンベアは長生きで、鍛え上げられた肉体はかなり固いはずなのだが、ルルが薄く切ってくれたおかげか肉は柔らかく、山椒のピリリとした刺激が舌に心地いい。
肉厚な夜光キノコを噛みしめ、味噌の染みこんだ豆腐に舌を火傷しながら食べていれば、あっという間に牡丹鍋は空になってしまった。
その夜、タビとルルは初めて不寝番を置いて夜を明かした。敵襲はなかった。
「放浪の民とその従者が来るなど何百年ぶりじゃろうな。しばし待つがいい。茶を用意しよう」
夜明けからさらに2時間も歩けば森の中央に辿り着く。
そこに佇む長老樹はぱっと見でも10mを超える巨大な広葉樹だ。幹の太さはタビが20人手をつないでも抱えきれず、蓄えられた葉は光を通さぬほど分厚い。
そしてその木陰に佇むのが【森の友】だ。鼠色のローブを纏った老爺で、身長はルルよりも低く、蓄えた髭が今にも地面につきそうである。老爺の森の守護者であり、長老樹の代弁者。実体はなく、こちらから彼を害することはできないが、ひとたび長老樹に攻撃を加えようとすれば二度と老爺の森の外を踏むこと能わずと畏れられる精霊である。
「急な訪問にも関わらず歓迎していただきありがとうございます」
「ほほ、固くならずともよい。
【森の友】は柔らかく笑う。手に持った盆には湯飲みと茶菓子があり、2人はひっそりと建てられた東屋へと案内される。
遇された澄んだ浅緑色の茶を啜れば、爽やかな香りが通り抜け、飲んだ端から臓腑が暖まる。葉の形をした――もとい、葉を幾枚も重ねて砂糖に漬けたというのが正しいだろう――菓子は甘さを主張せず、口の中で柔らかく溶けて消えてしまう。ルルはその食感が不思議だったのか2つ目を手に取って眺めまわしている。
「気に入ったかい? よければ帰りに持たせよう。ここでならいくらでも手に入るからね」
「……あ、ありがとうございます」
「きちんと礼を言えるのは美徳だ。大切にしなさい。……さて、君達を招待した理由だがね」
「はい」
やはり、とタビは身構える。【森の友】は訪れるものに頼みごとをする。その働き如何によって、他では手に入らない報酬を授けると伝えられているのだ。
「そう身構えることはない。ただ森に蔓延る木人と蜘蛛を倒していただきたいのだ。ここしばらく誰も訪れなかったのでな、少々森が澱んでおる」
「どれほどの数をお望みでしょうか」
「そうじゃな、ひとまず10程度ずつは討伐していただきたい。能うならばより多く……その場合は寝所と食事も提供しよう」
「いいのですか?」
「構わぬとも。今は光のほぼ射さぬ森だが、木人どもを払えばその景色は美しかろう。貴殿らはそれを見に来たのであろう?」
「ご存じだったのですか……」
「ふふ、森の中のことで我らの知らぬことはないさ。で、いかがだろうか」
タビはルルを見て、ルルはこくりと頷きを返す。いつも通りのやり取りを経て、タビは了承の答えを【森の友】に返した。
「ふむ、そう言ってくれて嬉しいよ。……さて、前報酬としてこれを渡しておこうかの」
そう言って【森の友】は手を差し出す。握られているのは……イヤリングだろうか。小指の先ほどの大きさの木のリングの一部が欠けて、耳に差し込めるようになっている。
「それは老樹のイヤリング……長老樹の枝から作ったイヤリングさ。老爺の森にいる間、付近の魔物を教えてくれる装身具じゃよ。ほれ、手伝ってやろう」
つけ方がよくわからずあたふたしていたルルを【森の友】が手伝う。耳の上端に装着された老樹のイヤリングは、ぱっと見は髪に隠れて目立たない。しっとりとした木細工はルルの肌の白さをより強調しているようでよく似合っていた。
見られていることに気づいたルルに「似合ってるよ」と告げておくのも忘れない。
「それから寝所だが、この裏に小屋を用意している。そちらを使うといいだろう」
「ありがとうございます。数日は滞在させてもらうと思います」
「ありがたい。食材は果実や迷い込んだ獣を用意しておこう。好きに使ってくれて構わない」
では期待しているよ、と告げて【森の友】は姿を消した。文字通り、すうっと消えてしまったのだ。
それを見てルルが小さい悲鳴を上げた。精霊の類とは初めて会ったらしい。
自分が初めて会った時もびっくりしたなぁと思いながら、タビはルルの頭を撫でる。
「それじゃ、借りる小屋を見に行こうか」
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