16.サイヒ海岸でカニ集め

 青い海! 白い砂浜! 照りつける太陽!

 タビとルルはサイヒの街の北東、サイヒ海岸に来ていた。海底古道に通った折通ることはあったのだが、結局見て回ることはなかったからだ。門から出て30分ほど牧草地を歩けばたどり着く砂浜には、けれど近さの割に人気は少ない。


「……夏になったら泳いでみたいですね」

「そうだね」


 流石にシャツ一枚では肌寒いどころではないこの季節に海水浴に来ている人はいなかった。人の多い夏に開くのだろうか、簡素な木でできた海の家も寂しそうに佇んでいるだけだ。

 ではそんな誰もいないサイヒ海岸に、2人はなぜ来ているのか。それは持っているものを見れば明らかだろう。


「ててーん!」


 タビは手に持った虫取り網を高々と掲げる。突然叫んだタビを前にルルが「?」と小首をかしげているが、旅の恥はかき捨てだ。名前もタビだし。

 そう、2人はこのサイヒ海岸でカニ集めをするつもりなのだ。


「いやわかるかッ!」


 タビが投げ捨てた網が砂に埋もれる。ギルドで恥じらいガニの採集クエストを受注した時に、専用アイテムとしてもらった虫取り網を前にした時にもタビは同じ反応をした。


 恥じらいガニは涙の大陸の砂浜に生息し、幅15cm、高さ10cmほどのかなり小型の魔物だ。殻は小ぶりだが軽くて固く、身は潮の香りと濃い甘みで酒のツマミに定評がある。

 そんなわけで需要の大きい恥じらいガニなのだが、集めるには問題が1つある。それが「人の気配を感じると恥ずかしがって逃げる」ということだった。目が合おうものなら全力で後退ダッシュを敢行するため、巣穴に逃げられる前に虫取り網で捕まえる必要があるのだ。


(どう考えてもカニなのになんであんな速度で後退できるんだろうな……)


 そんな恥じらいガニの秘密を考えつつこの後3時間――午前中いっぱい――かけてタビが検証した結果だが、恥じらいガニは無限ポップする魔物だった。取りつくす危険はないので、延々探し続けることができる。


「とりあえずやろうか、ルル」

「はい、タビお兄ちゃん」


 ひとまず網を持って恥じらいガニを探す。あたり一面は砂浜なので姿を隠すことはできないが、【隠密】の効果は有効なようで、カニに見つかる前に捕まえることができていた。

 カニを見つけたらすぐに網を振り下ろせば捕まえられる。そう考えると比較的簡単に思える。そんなに簡単であれば今頃この砂浜は冒険者でいっぱいになっている。簡単なカニの捕獲以上に難しいのはこの――


「あ、足が重い……! 休憩……!」

「……はぁ……はぁ……」


 砂浜だ。

 普通に足を取られるので歩きにくい。普通の靴を履いてきて砂まみれになるのは嫌だったのでサンダルを履いてきたが、すごく歩きにくい。かなりの距離を歩かないと上がらないはずの【徒歩】Lvがあっさり上がった程度には歩きにくい。

 砂浜に足を取られた末、1時間も持たずに2人は疲労困憊になっていたのだ。


「ここで走り込みをするとレベリングが捗りそうだなぁ……」

「……タ、タビお兄ちゃん……」

「うそうそ。やらないよ。……やりたくないし」


 ルルにジト目で睨まれてしまったタビは慌てて取り繕う。やりたくないのは確かだった。今後の移動距離を考えるなら移動関連の称号は早めに上げておくに越したことはないのも確かなのだが……。

 しばしの休憩の後、2人は再度網を構えた。休憩時間は15分ほどだが、もう少しは何とかなりそうな気がする。

 時刻はまだ昼にもなっていないが、タビとルルは今後の重労働を頭から叩き出してカニ取りに歩き出した。






 夕方までカニ集めに熱中して足腰をボロボロにした後、ギルドに指定された数を納品して今日の仕事――必要な数は最初の休憩までで集められていたので、半ば観光や遊び――は終わりを告げた。日が出ていてなお薄ら寒いこの季節、蟹の甲羅で飲む熱燗が大変美味しくなるということで、数を揃えたら割り増しで買い取ってもらえたのでタビはほくほくだ。

 足が棒のように動くのを拒否するが、教会と宿屋に余った恥じらいガニを少しばかり差し入れをしてから帰ってきた。


「疲れました……」

「お疲れ……。先お風呂入ってきちゃいなよ。今日はもうカニ料理は辛いでしょ」

「そうします……。作り置きの暖かいスープ出しておきますね」


 ルルはそう言ってカブとベーコンのトマトスープを取り出す。ストレージに蓋つきお椀の形で入っていたためまだ暖かいそのスープは、以前タビが絶賛したものだ。カブの甘みとベーコンの塩味、そしてトマトの酸味をうまく調和させたそのレシピは、タビが用事を済ませている間に教会で教わったものらしい。

 万神教会は頻繁に炊き出しをやっているためか、こういったスープ系のレシピは美味しいものが多いのだ。ちなみにこの世界に貧富の差はないので、炊き出しは生活困難者の救済ではなくお祭り騒ぎのために行われる。


 ルルは疲れているのか早々に風呂に行ってしまったので、タビはストレージから取り出した固いパン――非常事態に備えて準備したもので、資金難を脱した今は積極的に買わない――をスープにつけながら食べる。行儀はよくないが、この家にいる限り見るのはルルくらいだ。

 パンを食べ終えてもまだ残っているスープをちびちびと飲みながら、すっかり習慣になった写経を始める。既に何冊か完成しているとはいえ、【複写】のレベリングは可能な限り早めに進めておきたい。必然、幾度となく魔導書を読み返しているのだが、そのたびに新たな発見がある。


 写経を始めて以来、筆記具は名もなき村で手に入れた羽ペンを愛用していたのだが、街に住居を手に入れてから何度目かの買い出しの折に見つけた万年筆に持ち替えている。

 鉄紺の胴に白群の縦筋が2本渦を巻くように頂点を目指す配色は、決して芸術的とはいえないまでもどこかタビの心を掴んでいた。握りの太さも申し分なく、ペン先に描かれた蝶が美しかったことも決め手の1つだった。

 魔導書を複写する以上、どうしても作図することが多く手がインクを擦ってしまうため、インクの出は細いものを利用している。墨色のインクが紙に載っていくのが最近楽しみになってきたところだ。


 残り数ページというところから始めた写経作業が終わるころ、ルルが食堂に顔を出した。


「すみません、つい長湯してしまいました……」

「大丈夫だよ。2人しかいないんだから気にしないで」

「ありがとうございます」


 ルルは眠そうにしながら食堂を出ていく。多分部屋に戻って寝るのだろう。先日買っていた猫のぬいぐるみ――ルル本人は猫と言っているが、デフォルメにしても到底猫とは言い難い何か――を抱いて寝るのだろうか。

 既に必要な家具・雑貨は大半が揃っているので困ることはないと思うが、明日の朝にでも足りないものがないか聞いてみた方がいいかもしれないなどと考えつつ、タビは風呂場に向かう。


 屋敷を購入した日からここの風呂を使っているが、やはり大変に心地よい。広い風呂に入るのは(今は違うとはいえ)日本人としては求めてやまないものなのだ。

 ついでに言えば風呂の火力は自分の火魔法で調整するのでなかなかいい訓練になる。こういう細かい部分でレベリングを積み上げていくのが気持ちいいと思うのはゲーマーの性なのかもしれない。

 タビはたっぷり1時間の間風呂に浸かってからしっかり髪を乾かして床に就いた。


 ちなみに翌朝、早起きしたルルが作ったカニ汁は澄んだ汁にカニの出汁がよく効いていて、またカニ集めをしに行くか迷うくらいには美味しかった

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