14.ビオテークという男
「うわああああああああああああああああああああああああああ!」
「ひゃああああああああああ!?」
「うわっ!?」
翌朝、ビオテークに声をかけたタビが聞いたのは長い絶叫と高い悲鳴、それから自分の口から出た驚きの声だ。長い悲鳴を上げながら蹲っているのがビオテーク、高い悲鳴を上げてタビの後ろに隠れたのがルル。
ビオテークはなおも悲鳴を上げながら、時折息が続かなくなるのかヒッ、ヒッと息を吸っている。その恰好は普段図書館で見るメイド服姿ではなく、街中ではあまり見かけない格好――端的に言えば貴族のような豪奢な服装――だった。
見慣れぬ恰好のビオテークに怯んだのは初対面のルルだけでなくタビもで、声をかけるのを一瞬ためらってしまう。
だがそんなことを言っている場合ではない。タビはビオテークの肩をゆすりながら声をかける。
「お、おい大丈夫か?」
「あああああああああああああああああああああああああ!」
ビオテークの絶叫はなおも止まらない。幸い、ビオテークの図書館は貴族街の外れだ。人通りは多くなく、誰にも見られることはないのだが、それは裏を返せば誰も助けが来ないということでもあった。
「あ、あの……」
「あああああああああああああああああああああああああ!」
ルルが声をかけようとすると、より一層悲鳴が大きくなるのを見て、タビはひとまずルルに助けを呼ぶように言う。
「すまんルル。教会に行って神父を呼んできてもらえないか」
「わ、わかりました」
これ以上できることはないのが分かったのか、ルルは速やかに走り出す。
ルルが見えなくなったのを確認してから、タビは改めて声をかける。
「ビオテークさん、ビオテークさん! すみません、ビオテークさん!」
「ああああああああああああああああああガボッ! ゲホ! ゲホ!」
タビが声をかけるとようやく悲鳴が止まり、そして盛大に噎せる。タビは慌ててストレージから水筒を取り出すとビオテークの前に置く。
ビオテークは数分間盛大に噎せ続け、ようやく落ち着いてきたところで水を飲もうとしてまた噎せた。
「大丈夫か、無理するな……」
「ゲホッ……ゲホッ……、すまない……」
ビオテークの声は長く上げ続けた悲鳴のせいかガラガラに嗄れていて、真っ青になった顔色もあわせて大変に痛々しい。今は咳き込みつつ、少しずつ水を飲んで落ち着きを取り戻していく。
未だ息も荒く、声も出せないビオテークに時折水筒から水を注いでやるタビ。
そんなタビに声をかけてきたのは、ルルが呼んできた神父だ。
「待たせてすまない。大丈夫かねタビ殿」
「大丈夫ではないのでお呼び立てしてしまったのですが……、すみません」
見れば神父はかなり慌ててやってきたようで、祭服の裾には泥が飛び散り、肩で息をしながらタビに問いかけていた。
「すみません、急かしてしまって」
「ああ、すまない。しかしこれは事前にきちんと言っておかなかったこちらのミスでな」
ミス? と小首をかしげながら、タビは神父用にも水筒を取り出して水を注ぐ。神父はタビに礼を言うと素直に水を含んで、水筒を返した。
「あぁ、以前図書館を勧めたときにルル嬢を行かせないようにしただろう。その時にきちんと理由を話さなかった私の落ち度だ。改めて面倒に巻き込んでしまってすまない、タビ殿」
「い、いえ……。大丈夫ですから頭を上げてください」
神父が急に頭を下げてきたので、タビは慌てて手を振る。誰も見ないだろうとは言え、街の有力者に頭を下げさせている図は心臓に悪い。
頭を上げた神父は「とりあえずビオテークを図書館に運ぼうか」と言って一人でビオテークを担ぎ上げると、タビには何も聞かずにずんずんと歩いて行ってしまう。
「えーと……、とりあえずついていけばいいのか?」
取り残されたタビは急に動き始めた事態についていけないまま、その後を追い始めた。
「とりあえずビオテークは落ち着いたようだ」
図書館にやってきた2人はビオテークを寝室に寝かせ、執務室のソファで向かい合っていた。執務室と寝室以外の部屋は本で埋め尽くされていて、とても入りきれなかったのだ。
「とりあえず一晩寝れば問題ないだろう。今日はできるだけ動かないように言っておいたが、しばらくは喉が枯れて話すのも大変だろうな」
「ははは……」
先程のビオテークの絶叫を思い出して思わず苦笑してしまう。絶叫マシンやホラー映画ですら見られないような大声だったから当然だろう。
神父はストレージからティーセットを取り出すと2人分の紅茶を注ぐ。本だらけの部屋にふんわりと香りが立って、部屋の緊張感が少しずつほぐれていく。
「さて、ビオテークの話だが」
紅茶を飲んで一息ついたところで話を切り出したのは神父だ。タビも背筋を伸ばして話を聞く姿勢になる。
「その前に聞いておきたいんだが、今日は一体何の用事だったんだ?」
「あぁ、ええと……。臨時収入が入ったのでこの街の物件を探してもらおうと思ったんです。できれば鍛冶や錬金術の設備のあるものを……」
「ふむ、タビ殿の臨時収入とその条件か……、少々待っていてもらえるかな」
神父は再び立ち上がると、一度執務室を出ていき、タビが飲みかけの紅茶を飲み干す頃に帰ってきた。
「中座してしまってすまないね。ビオテークの了解も取れたのでその件もあとで話そう……と思うのだが、ルル嬢がいないのだな。少し歩かせてしまうが、一度教会に来てもらっても構わないだろうか」
「構いませんが……、ということはルルは教会に?」
「あぁ、こちらに連れてくるわけにはいかなかったのでな。ビオテークの考えを尊重するのであれば、ルル嬢にも彼のことは伝えておいた方がいいだろうと思うのだ」
神父の考えが読み取れず、タビはただ「はぁ……」と生返事以外にできることがない。
それを肯定と取ったのか、早速神父は立ち上がり「では行こうか。話の続きは教会でだ」と言ってサクサク歩いていく。神父の歩みは教会内のゆったりした歩き方とは似ても似つかず、意識しないと置いて行かれそうな程度には早い。
貴族街東端にある図書館から街の中央にある教会までは、それほど離れているわけではない。数分と経たず、2人は教会にやってくると、ルルを呼んで談話室に向かう。
教会の談話室は厚い木の壁で覆われ、聖書などが入った小さな本棚と大型の暖炉があり、ゆったり座れるソファは低いテーブルを囲って10人程座れる配置になっている。タビとルルは卓を挟んで神父と向かい合っていた。
神父は図書館に続いて取り出したティーセットから紅茶を含む。それを真似して飲んだルルは、淹れたてのまま保管されていた紅茶の香りにひどく驚いていた。
「さて、ビオテークについてなのだが、3つほど私の方からお話をさせていただきたい。1つめは今朝のことと2人に対するお願い。2つめはビオテークという男について。3つめは今日の目的だった内見についてだ」
「……? 1つめはともかく、2つめや3つめは神父さんが話していいことなのか?」
「構わない、とビオテークに言われている。どちらにせよ今日話すつもりだったらしいからな。残念ながらそういうわけにもいかなくなってしまったが……」
「……であるなら問題ないです」
「わたしも大丈夫です」
「そうか、では始めよう」
「簡単に言うとだね、ビオテークは女性恐怖症なのだ」
「……」
「……」
タビとルルは神父のその言葉に絶句した。
「……あの……」
「言いたいことはわかる。普段はあの格好だしな」
「あの格好って……?」
ビオテークの普段の恰好を知らないルルがそう聞いてくるが、タビはそれを言っていいのか迷って思わず目を逸らす。
目を向けられた神父はそんなタビの動揺など素知らぬ顔で「彼は普段メイド服を着ているのだ」と説明する。
「いつからかわからんが女性と会うとああなってしまうのだ。とてもではないが街中を出歩くこともできん。やむなく人気のない図書館をこしらえてそこの管理人を任せることにした……というのがあの暗闇の図書館ということだな」
「はぁ……」
「……」
「つまりお願いとしてはルル嬢にはできるだけビオテークとの接触を避けてほしいというわけだな。ああなってしまうと大変なのはわかっていただけたかと思う」
で、だ。神父は指を振る。
「当然それだけではあのバカみたいに広い図書館を作ってやる理由などないのだが、ビオテークには”神”から与えられた役目があった。いや、正確には彼の父親に与えられた役割が、彼の役割を決めた……という方が正しいだろうか」
驚くタビとルルに、神父は言った。
「端的に言ってしまえば、彼はサイヒの街を治めるサイヒ伯爵の息子ということになる」
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