第2章:サイヒの街と冒険の準備
09.サイヒの宿屋
「街だ……!」
盗賊を倒してから2日ほど東に歩き続けて、タビたちはようやくサイヒの街を視界に収めた。
サイヒの街は円形をした土塁と堀に囲まれた都市だ。ここから見える限りでは門は1か所、左右に物見櫓が設置されていて、弓手が目を光らせている。土塁の高さは2mほど、堀の深さは1mほどで、見とがめられずに塀を超えるのは難しそうだなとタビは思う。
2人は東西連絡路を歩いて門までたどり着くと、門兵といくつかやり取りをする。基本的にギルド章の確認さえできれば街に入るのに困ることはない。
「で、宿と教会とギルドだったか。ちょっと待て、説明用の地図がこっちに……あった」
「へえ、地図もらっていいの」
「あぁ。地図が欲しいなんていうのは放浪の民くらいだしな」
「なるほど。何にせよありがとうございます」
地図にはサイヒの街の概観が描かれている。
門は東西連絡路の西、涙滴北部港に繋がる北西、東側外環路とつながる南東側と非常用通路の北東側の4つ。それぞれに街の中央から道路が伸びていて、街は中央から放射状に広がっている。
教会とギルドは街の中央付近、宿屋は北西側と南東側に数軒ずつ。商店の多くは北西から南東の太い道路沿いに建てられている。中央から北に少し行くと貴族街で治安が良く、逆に南端のあたりは貧民街でやや治安が悪い。
「……いや本当に丁寧すぎて助かるんだけど本当にもらっちゃっていいのか?」
「大丈夫だって。まだこんなにあるから」
ばさばさと地図を振る門兵さんに礼を言って、2人はサイヒの街を歩きだした。
「……広くて……疲れました……」
用事を終えた二人は北西側の宿のうち1軒を見繕って、その内一部屋に陣取っていた。
「こんなに広いとは思いませんでした……」
「まぁ今までこんなにたくさんの人に囲まれたことがないからね」
ルルはベッドに手足を投げ出しながら呻く。
サイヒの街は広く、何よりも人が多かった。名もなき村よりも重厚な気配で佇む教会には祈りを捧げる信徒がひっきりなしに訪れ、10個近い受付カウンターを擁する冒険者ギルドには途切れることなく冒険者が並んでいた。
2人はなんとか≪旅の祝福≫と路銀、いくらかのクエストを受注して、ようやく宿にたどり着き、久しぶりに温かい食事をとったところだった。
ちなみに夕食はぶつ切り大王エビのペペロンチーノに白磁蜂オレ。白磁蜂の蜜を入れた特製オレはデザートと言われても疑わない甘さながら、鼻を通り抜けるコーヒーの香りはスッと香ばしい。タビはややクドい甘さだと思ったが、ルルが喜んで飲んでいるのを見て追加で一杯注文した。
「ところでこれは……エビか?」
「はい。街の北東にある浜辺で今日討伐されたみたいですよ。大きいのでなかなか切るのは大変でしたけど、中までしっかり火を通してあるのでお腹を壊したりはしません。大丈夫です」
「いや、別に健康上の心配をしているわけではなくて……」
ペペロンチーノに入っているエビが分厚かったのだ。文庫本みたいな厚さのエビがカットされてゴロゴロ入っているので驚いてしまった。「これを旅人さんに出すとよくそう言われますね」と宿屋の娘は言う。
タビは恐る恐るペペロンチーノを口に運ぶ。
「……ん、うまいな」
プリプリと締まった肉感は歯ごたえと溢れ出る汁を確かに伝え、もともと甘みの強いエビの肉が唐辛子のピリッとした味を際立たせている。細麺で巻き取りやすいパスタをフォークに絡め、さらにエビを突き刺して落ちないようにしながら口に運ぶのは大変贅沢に思える。
ルルは唐辛子が思ったより効いていたのか、オレや水をちびちび飲みながら食べ進めている。変えて欲しいと言わないので、エビの食感が気に入っているのかもしれない。
美味しかった夕食を思い出しながら、タビは今後の予定を考える。
ルルにも相談したいところだが、彼女は既にベッドの上で寝息を立てているところだ。長旅の疲れの中起こすのも酷だろうと、タビはルルに毛布を掛けてやる。
まずやらなければいけないのは情報収集だ。この街がどんな風になっているのか、どんな場所にあるのか、どんなものが手に入るのか、近くにある古代遺跡は、達成できそうな依頼、魔導書を売っていそうな店、美味しい料理や弁当を売っている店……。考えるだけでも欲しい情報は山ほどある。
それから金策。複写した魔導書があるとはいえ、性能は市販品の方が高い。まだ持ってない属性があれば買いたいし、総じて魔導書にかかる金額はこの旅の中で最も高い。
食料や宿賃、装備の入れ替えもある。地図も買わなければならない。受注できるクエストの種類も多いので、しばらくは腰を据えて金策する必要があるだろう。
魔導書集めも並行して行う。最低でもタビとルルが基本魔法を使える必要がある。写経は修練目当てだけど毎日続けたいと思っている。余った分は錬金術の素材にでもしてしまえばいい。
そう、錬金術。それから鍛治もやりたい。できれば拠点がこの街に欲しい。地権は商業ギルドが管理しているはずなので、寄ってみる必要があるだろう。もちろん金策が落ち着いてからだし、その後地獄の修行が待っている。
修行はそれだけではなく剣や魔法もやる必要があるのだが、これらはクエストをなんとかしてさえいれば少しずつ形になっていくだろう。
それから食料や調理器具、キャンプ用品の買い出し。まとまった資金ができたらこまめにストレージに食料を突っ込んでおくのがいいかもしれない。温かい弁当があればさらにいい。
あたりの観光もしたい。サイヒの街の北東には砂浜が広がっているとか。これから寒くなる季節でなければ水着を買って泳いだかもしれないのだけど。
そして忘れてはならないのが交通手段だ。馬か馬車が手頃に手に入る交通手段なので、どちらかは欲しい。この世界の馬車はストレージがあるおかげで大量の荷物を運ぶ必要がないからか、人力車のような見た目をしている。ちょっと目立つのだが、乗馬の練習をするのとどちらがマシか……。
何にせよ明日は街を見て回って、周辺の地図を手に入れる……といったところだろうか。
(自動マッピング機能は便利だけど、行ったことがない土地は全然わからないのがな……)
以前は攻略wikiを参照していたのでそんなことを考えなかった。だが結果としてみれば、マップが変わったことでタビはまだ見知らぬ世界を旅することができている。どちらがいいかといえば、不便を押してでも見知らぬ世界を旅するほうが楽しい。
今日起こったことや考えたことを走り書きでメモに書き留める。論文を書いていたころからの習慣だが、それを見返す楽しさは当時の比ではない。何なら後で清書して製本するのもいいかもしれない。
やりたいことを書き出せるだけ書き出して、思いつかなくなったところでタビは眠気を自覚した。既に入浴は済ませてあるのであとは布団に入れば寝ることができる。
そう、寝ることが――
(……ん!? そういえばなんで同じ部屋なんだ!?)
タビはようやくそこで2人で1部屋となった事実を認識した。幸いにもベッドは2つあるので、いきなり間違ってしまうなどといったことは起きそうにないが。
ルルの方を見る。ルルは久しぶりに初めて会った時のワンピースを着て寝ている。普段身に着けている衣装は探検用で草木や虫から身を守るのに都合がいいが、そのまま寝れば寝苦しい。野営の際はそんなことも言っていられないのでしばらくは着ていなかったのだ。結果的にタビにはその姿がより無防備に見えてしまう。
(明日ちゃんと言わないとダメかもな……)
誰かに襲われるなんてことがあったら夢見が悪い――そこまで考えてタビはこの世界の性事情が何も分からないことに気づいた。そもそも「不老不死の世界で子供はできるのだろうか」がわからない。もしできるのだとしたらこの世界はあっという間に赤子で埋め尽くされてしまうから、おそらくは生まれないのだろうが……。
何にせよそう言ったことはきちんと確認しておかないとあとで痛い目を見ることになるのはタビ自身だ。異世界とのギャップを隠したままにしていると、必ずどこかで反動が来る。異世界ファンタジーのお約束は研究過程で死ぬほど見てきたのだ。
(そのためにわざわざ神との接触を断るルートを選んだんだからな)
かつて行った歩道橋での乱数調整を思い出しながら、タビは床に就く。
願わくば、我が道行きに面倒が降りかからんことを。
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