05.名もなき廃墓の少女
タビは夕刻になって名もなき廃墓に来ていた。
村長の家を出た時点で昼を回っていたからという理由で、骸骨ウサギが出そうな夜の時間を狙ったのだ。
タビは昼の間は広場で素振りや<基本魔法・火の書>に書かれた火魔法の練習をしていた。タビの取得した称号【火魔法】Lv1では火を球状にして明かりにするか相手にぶつけるかくらいしかできないが、骸骨ウサギ相手であれば十分だ。素振りの結果もあって【剣術】もLv2に上がった。周辺の探索をするには十分だろう。
鍛錬を終えた後、タビは早めの夕飯と入浴を済ませている。どうせ廃墓に来るなら入浴はあとでもよかったのだが、汗が冷えて風邪を引いたらたまらない。最悪、明日の朝にもう一度入ればいいだろうと考えている。
「にしても、広いな……」
名もなき廃墓はタビの想像以上に広かった。かつてタビが通っていた中学校の校庭を含めた広さがこれくらいだっただろうか。必要以上の広さが確保できない住宅地とはいえ、タビの住んでいた地区は人口がそれなりに多かった。あの校舎の広さを考えれば、名もなき村の小ささに比べてこの墓地がいかに広すぎるかがわかるというものだ。
タビは苔むした墓石の裏に潜む骸骨ウサギを火魔法で消し飛ばしながら幽霊草を探す。
「ここにあるのはわかってるとはいえ、この広さを探すのはちょっと疲れるぞ……」
暗くなってきたので、火魔法で明かりを付けつつ、骸骨ウサギを討伐しながら探索しなければならないのは、ERの世界に慣れきっているタビでも躊躇いを覚えるくらいには面倒だ。
「<ファイアバレル>」
タビの放った火の弾丸は、彼を側面から奇襲しようとしていた骸骨ウサギの突き刺さる。ジュッと音がすれば骸骨ウサギはカラカラとその骨を転がす。既にアイテムストレージに20以上溜まった骸骨ウサギに、幽霊草を見つけるまでどれだけ倒す必要があるのかと頭を抱えるタビ。
骸骨ウサギはウサギの骨格標本のような魔物だ。普通のウサギとの大きな違いは耳まで骨でできていることだろう。耳の外側は鋭く研がれていて包丁並みの切れ味を持っている。
とはいえ所詮ウサギ並の運動能力しかなく、大群に囲まれたり不意打ちで奇襲されたりしない限りは冒険者にとって苦労しない相手だ。火魔法をぶつけてもいいし、鈍器で殴りつけてもいい。剣なら背骨のどこかを切り離せば倒れる。
比較的大きく鋭い刃を持つ耳以外はほとんど役に立たない骸骨ウサギの遺体だが、解体中に不意打ちされるのが危険なためタビはこの場で解体はしない。そのままストレージにしまって探索を再開する。
しばらく探索を続けていると日はすぐに沈み切った。骸骨ウサギの出現率がこころなしか上がったようにも感じられる。
幽霊草を今日中に見つけるのは難しいかもしれないとタビが考え始めたころ、彼の視界に入ったのはここまで単調に続いてきた苔むした墓ではなく、一回り大きな墓だ。その墓はこの棄てられた墓地の中で唯一苔に覆われておらず、磨かれたようにつるりとした石でできている。
幽霊草がそうした愛された墓の近くに生えやすいことを思い出しながら近づいたタビの目に、思わぬものが飛び込んできてその体を硬直させる。
墓石に隠れるようにして少女が立っていたのだ。
「うわッ!?????????????」
ERに幽霊の概念はない。タビがこの世界で生まれていれば、墓地に立つ少女は魔物であると結論付けて手早く火魔法を放っただろう。
そうしなかったのはタビがこの世界の生まれではなく、かつて暮らした世界で幽霊という存在を知っていたからだ。そしてタビはその手の話に非常に弱かった。
2000頁の論文を書き上げたタビはきちんと筋道を立てて説明できることが好きだ。ゆえに、きちんとした筋道で説明できないものを何よりも恐れていた。その中で最も恐れていたのが幽霊なのだ。タビは実物を見たことがなかったが、とうとうここで見てしまったのだと稼働を止めた頭で考える。
一方の少女は驚いて叫んだタビに気づくと、墓への祈りをやめて――そう、彼女は墓に祈りを捧げていたのだ――タビに話しかけた。
「あ、あの……、こんばんは」
タビはその言葉に「見つかった!」とばかりに体をこわばらせるが、それきり不安そうに見つめる少女を見て落ち着きを取り戻す。
見れば少女は冷え始めたこの墓地でワンピース一着で佇んでいた。裸の足は土で汚れ、赤いはずの唇はほのかに青みを帯びている。長いことここにいるのか、手指は赤くかじかんでいた。
「……すまない。君はどうしてここに?」
たっぷり固まっていたタビは、ようやく質問を口にした。
少女は少し考えたあと、素直ながら少し舌足らずに答える。
「……えと、おはか参り……です」
「そうだった……。ここは墓地だったな……」
タビはがっくりと肩を落とす。廃棄されているとはいえ墓地なので、墓参りをする人がいる可能性を失念していたのだ。
実際、ゲーム時代のERに墓参りをしている住民はいなかった、とタビは思い返す。アンデッド系の討伐称号や火魔法の検証に繰り返し訪れたこともあったので、そのあたりの記憶は確かだ。
もともとERの世界はNPCのロールプレイが豊富だったが、タビにとっての現実になったことで変わった部分があるんだろうな、などとタビが考えていたところで、ピコンと音がしてポップアップが表示される。
『従者獲得イベント』
『新たな従者を獲得しますか?』
『従者獲得数/上限 0/1』
「従者?」
「はい、わたしは従者です」
従者はERにおける特殊なNPCだ。従者は”神”に「放浪の民に従うこと」を役目として命じられているらしい。
そのため彼ら彼女らは放浪の民に会うまで「何もしない」をしているという奇妙な行動を取る。従者には名前がなく、何もしていないが故にどこにいるか実際に会ってみるまでわからない。
タビは考える。おそらく、タビが連れていくと言えばこの少女従者はついてくるだろう。連れて行かないのであればこの少女はずっとここにいるのだろう。
「このお墓は知り合いなの?」
「……いいえ。わかりません。苔が生えてなかったので、これだけでもきれいにしたくて」
少女は足元のバケツを指さす。タビはようやく気付いたが、どうやら少女はこの墓の掃除をしていたらしい。なみなみと張られた水は泥を吸って薄汚れている。
タビは改めて少女を見る。この暗く寒々しい墓地で、ワンピース一枚を着て墓掃除をしていた少女を。タビが連れて行かなければ、きっといつまでもここにいるだろう少女を。
ある意味でそれは”神”による脅迫のようなものだった。タビが連れて行かなければこの少女はいつまでもこのままなのだ。死という終わりのない世界でいつまでもというのは本当にいつまでもだ。終わりなんてない。そして、従者にとって次の機会などそうそう訪れることのない奇跡だ。なぜなら放浪の民は世界を旅するし、従者はどこにいるか決まっていない。再開するまで数年で済めば御の字だろう。
タビは溜息を一つつくと、ポップアップのYESを押して少女に言う。
「一緒に来てもらえるかな」
「はい、わかりました」
それが彼女にとって嬉しいのかどうか、タビは読み取ることができない。それは少女が感情を表現するのが苦手なのか、凍えてしまって表情が動かせないのかも分からない。
それがエゴなのだとしても、タビにとってこれからの旅の道連れが増えることは少しだけ嬉しいことなのだった。
「あの、これ……よければどうぞ」
少女が差し出したのはタビが探していた幽霊草だった。タビも最初は固辞しようと思ったのだが、少女はお墓の掃除の際に摘んだだけなのでと言って聞かなかった。
タビは渋々とそれをストレージに入れて、来た道を引き返す。帰り道でも何体か出てきた骸骨ウサギを火魔法で蹴散らして、どうにかこうにか日付が変わる前に宿屋にたどり着いた。
「ルジュ、もう一つ部屋を用意してくれるかな?」
「あら、従者? わかった。料金はいらないから」
「助かるよ」
ゲーム中もERでは従者の宿泊には金銭が不要だったので大丈夫だとは思っていたが、その辺は変わっていなくて助かった。人数が増えることで食事代なども変わると思うのだが、宿屋の宿泊料は一律だ。後にルジェに聞いたところによると”神”には「パーティー1組1泊あたり」で価格が決められているらしい。
そんなわけでとりあえず今晩の宿を確保したところで、一度入って寝ようかと思っていたタビだったが、続くルジェの言葉は予想外だった。
「で、その子はなんて名前なの?」
ぴしり、と体が固まる感覚がする。完全に忘れていた。ゆっくりと――動ける限界の早さで――少女の方を向いて「もしかして名前あるんじゃないの?」と視線で問いかけると、少女はすげなく首を振って、タビを見つめる。
タビはたっぷり30秒ほど考えて、これだという名前を決める。
「君の名前はルルだ。いい?」
残念ながら旅人だからタビと名付けるような彼にネーミングセンスなどというものは存在しない。この名前もとっさに思いついただけで、愛称のようにも聞こえる。
しかしそんな名前でも少女――ルルにとっては嬉しいものだったようで、ルルはゆるく唇の端を上げて微笑んだ。
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