02.ERのチュートリアル

 ERにはチュートリアルが存在する。

 移動しましょう、武器を装備してしましょう、実際に魔物と戦ってみましょう、村に行ってみましょう。

 村ではセーブポイントとなる万神ばんしん教会、身分証明を発行する冒険者ギルド、序盤の旅の拠点となる宿屋の3つをめぐり、チュートリアルは終了する。


「チュートリアルの始まる気配はない、と」


 言いながら、タビはきょろきょろとあたりを見回す。下草に隠れて見つけづらいが、あたりには何本か木の枝が落ちている。太いものを何本か見繕って、タビはそれらをストレージに格納した。

 手元には握りやすい枝を一本握る。これで布の服と木の棒、スニーカーを装備した冒険者の出来上がりだ。


 タビは手に持った木の棒を中段に構え、手ごろな木に振り下ろす。

 ごすっ、と擦れる音と共に、ピコンと機械音が鳴ってポップアップが表示される。


『【剣術】Lv1を入手しました。』


 タビはポップアップを一瞥すると、「以後称号ポップアップを表示しない」をONにしてから閉じる。


 称号はERでのやりこみ要素だ。様々な動作に応じて取得でき、それに応じてパワーアップするシステム。

 なにぶん数が多く、特に初心者のうちは頻繁にポップアップが出てきて鬱陶しいため、チュートリアルが終わるまでには大抵称号ポップアップを表示しないように設定されてしまう。

 タビが何もない場所で木の棒を振り回して称号を得たのには理由がある。

 【剣術】Lv1は剣ないしそれに見立てたものを1回振ることで得られる称号だが、大抵の場合入手場所はチュートリアルの魔物との戦闘になる。つまり、魔物との戦闘中に視界が遮られてしまう。

 ERの世界に死はないが、それでも痛いものは痛い。魔物に噛まれれば病気になることもある。タビはそんな面倒はごめんだった。


 タビは木の棒を無造作にポケットに突っ込むと歩き出し――


「いや待て、どっちが村だ?」


 左右どちらに向かって歩けばいいかを考え始めた。





 数分ほど考えて「道が繋がっているんだからどちらに行っても同じだろ」という考えにたどり着いたタビは左手の道を選ぶことにした。マップ上では北西方向を向いている。

 タビは念のため警戒しながら進んでいく。森の中で見通しは悪いが、タビはそうそう魔物に出会うことはないと思っていた。

 獣道であれ、道があれば魔物との遭遇率は低下する。それがERの鉄則だ。

 この世界での人は強い。不老不死であり、冒険者や騎士と言った護衛は簡単に魔物を駆逐する。彼らを倒して荷物を奪っても、「そこに魔物がいる」という事実が分かればすぐに討伐されてしまう。

 だから魔物は――特に頭のいい高級な魔物は――人を襲わない。道で出会う魔物はそんなこともわからないバカか、飢えすぎてどうにもならなくなった魔物であり、やはりほとんど出会うことはなかった。


「とはいえ、チュートリアルはあるんだろうな」


 タビがそう言えば、答えるようにして前方の草むらがガサガサと揺れる。低い草むらからちらりと見えるのは灰色の毛並みを草の汁で薄緑に染めた森林ウルフだ。体長は1m程で、ばねにするためか隠れるためか、姿勢を低くしてこちらを伺っている。

 低級のウルフ系統は噛みつきや突進がメインの攻撃手段のため、特に単体であれば行動が読みやすく、初心者向きの魔物だ。タビの覚えているチュートリアルでも遭遇する魔物は森林ウルフだった。


 タビが森林ウルフを確認すると、頭の上にゲージが確認できる。ゲームでの正式名称は生命力ゲージ。大半のプレイヤーは単にHPと呼ぶ。

 ボスエネミーは複数本の生命力ゲージを持っていることも多いが、大半の魔物が持っている生命力ゲージは1本だ。初心者向けの森林ウルフも例外ではない。


 タビは足元に落ちている石を拾い上げると、それを森林ウルフめがけて投げる。タビが動いた音に反応して駆けだそうとした森林ウルフに、吸い込まれていくように直撃する石。

 何の補助もない投擲で、森林ウルフはHPを3割ほど削られ、怒ったようにしてタビに飛びかかってくる。


「流石にもう見飽きたよ」


 ERの世界ではどこにいてもウルフが出てくる。タビがウルフを狩った回数は4桁を優に超えていたのだから、その対処法も頭に入っている。

 タビは一歩横にずれると、森林ウルフめがけて木の棒を振り下ろす。

 森林ウルフのHPが5割ほど削れ、そしてもつれるようにして崩れ落ちる。タビはそのまま森林ウルフを蹴り飛ばした。

 それなりの重さがあるからか森林ウルフは1mほど転がって、動かなくなる。


 タビは動かなくなった森林ウルフの死体を速やかにストレージに入れて、それから一応ステータスを確認する。【投擲】と【体術】、【回避】、【ウルフ討伐】がLv1になっている。称号の系統もゲーム時代と大差ないようで、タビは満足げに頷く。これならしばらく戦闘を繰り返せば旅ができるだろう。


 アイテムストレージに入った森林ウルフの死体も確認する。魔物の死体は冒険者ギルドで買い取ってもらうことができる。もちろん解体して食料や素材にしてもいいが、タビは解体用の道具をまだ持っていない。

 いずれにせよ、この森林ウルフは売却して村での初期資金にすることになる。


「まさか所持金0スタートとは思わなかったもんな……」


 タビはひとりごちる。ゲームではアイテムストレージに多少の金貨が入っていたのだが、”こちら”ではそんな特典はないようだった。

 序盤の冒険で必要な金貨数を試算しながらげんなりするタビだった。





 森林ウルフを討伐してからしばらく歩くと、木でできた素朴な柵と、策の入り口を守っている門番、奥にはいくつかの民家が見えてくる。


『マップが更新されました』


 タビは再びポップアップを表示しないように設定すると、門番に話しかける。


「こんにちは。村に入りたいんですが」


 槍を持った素朴な村人のような格好をした門番は、話しかけてきたタビを見て「放浪の民か?」と聞き返す。


「ああ、そうなんだ。村の近くで””ばかりでね」

「そうか、それは大変だったな。魔物には襲われなかったか? この辺りには森林ウルフとか出るんだが」

「ああ、それなら一匹」


 タビはアイテムストレージから森林ウルフを出して門番に見せる。


「ああ、確かに。こいつは冒険者ギルドに売るといい。普段はあまり獲れないから、卸してくれるとこちらも嬉しい」


 門番は森林ウルフをしまうように言い、懐から袋を取り出す。


「それと、これは出てきたばかりの放浪の民に渡す資金だ。兄ちゃんはまだ何も持ってないだろう? 遠慮なく持っていくといい。贅沢しなければ半月くらいは持つだろう」

「ああ、ここでもらえるのか。助かる。ありがとう」


 タビは素直に礼を言うと、金貨の詰まった袋をストレージに収納する。ゲームの時とほぼ同じ額だな、とストレージに表示される金額を見ながら考える。


「それからこれはこの名もなき村の地図だ。まぁ大したものはないが……。”出てきた”ばかりなら教会とギルドは早めに行っておくといい。宿屋はここだ」

「ありがとう。近隣の地図は手に入るかな?」

「それなら村長の家だな。地図だとここだ」


 門番が示してくれた場所に借りたペンで印をつけ、ストレージに入れておく。これでマップが更新されるはずだ。

 一応マップを確認し、門番に示された建物にピンが立っていることを確認すると、タビは礼を言って村の中へと進む。





「こんにちは、ようこそ万神教会へ」

「こんにちは」


 タビがやってきたのは村の中心にほど近く、狭くはあるものの人の手がかかっているような教会だった。豪奢ではないが、入り口を飾る白磁の花が、教会に対する素朴な愛を感じさせる。


(初めて触った時には驚いたんだよな、白磁の花)


 白磁の花は文字通り白磁でできた花で、林道などに自生しているらしい。落下などの衝撃には弱いが、長く美しい白の花を咲かせてくれるということで庶民人気が高い……と言う話だった。タビもゲームだった頃に白磁の花の採集クエストを受注した記憶がある。


「ここで≪旅の祝福≫を受けられると聞いたのですが」


 タビはそんな白磁の花から視線を切って、正面にいる教会の神父に声をかける。タビがこの教会にやってきた理由がこの≪旅の祝福≫である。

 言わば死に戻り地点の登録である。ERでの放浪の民は不老不死だが、リスポーンの基本設定は死んだ場所その場である。

≪旅の祝福≫があればそれを手近な教会にすることができる……というわけで、縛りプレイヤー以外は必ず教会を利用する。


「ええ、こちらで授けられますよ。どうぞ」


 人の好さそうな白髪の神父はタビを講壇の前に導くと、講壇に収納されていた小箱を取り出す。


「これを取り出すのも30年ぶりですね。貴公の旅に祝福があらんことを」


 神父が差し出した小箱を受け取ったタビは、そのままアイテムストレージに納める。相変わらず畏まった儀式は不要なようで、神秘が安売りされているように思えて笑ってしまう。

 中に何が入っているのか確かめたことはない。そもそも開かないようにできている小箱らしい。


「ありがとうございます。万神の加護に感謝します」

「ええ、良い旅を」






 タビは教会を後にすると、その足で冒険者ギルドに向かう。こちらは大陸全土で似たような建物が特徴で、小さな村では不必要な大きさに見える。

 中に入ると受付が一つと中には何人かの冒険者がたむろしている。


(不老不死で財産に困らないとはいえ、冒険者自体はいるんだよな)


 タビも最初は不思議に思ったのだが、冒険者という職業を”神”に与えられた冒険者は存在する。彼らはその職業を全うするため冒険者ギルドの依頼を忠実にこなしていて、ゆえにプレイヤーは冒険者ギルドの依頼を受けないことができる。

 何なら金銭さえあればそんな冒険者を護衛に雇うこともできるのだ。NPCとはいえしっかりとした強さがあり、新たなダンジョンの偵察などをする場合には護衛を雇って行くのがダンジョン攻略では必須だ。

 なにせERはソロ向けゲームなのだ。一人でダンジョン攻略をするのは難易度が高い。


 そんな冒険者たちを片目に、タビは受付に向かう。


「いらっしゃいませ。冒険者ギルドのご利用は初めてですか?」

「はい。ギルド章を発行してほしいんですが」

「かしこまりました。メニュー画面を開いていただけますか?」


 タビは受付嬢に促されるまま、受付台の上にメニュー画面を出す。

 受付嬢はそれを確認すると台に据え付けられたカード入れから一枚のカードを出すと、【ステータス念写】の魔法を使用する。


「便利そうですね、それ」

「これがなかったらと思うとぞっとしますね。はい、できましたよ」

「ありがとうございます」


 タビが受け取ったギルド章は彼の身分を証明するものだ。


――――――――――


 タビ/放浪の民 ギルドランクE

 依頼結果  討伐0/0 採集0/0 護衛0/0 その他0/0

 戦闘技術  【剣術】Lv1 【投擲】Lv1 他2種

 主要討伐数 【駆狼ウルフ】Lv1

 生産技術  なし

 踏破迷宮  なし

 その他   なし


――――――――――


 ギルド章を確認してアイテムストレージに収納したタビは、ついでに討伐した森林ウルフを取り出す。


「そうだ、これの引き取りもお願いできますか」


 受付嬢は少し驚いたようにした後、「かしこまりました。査定しますので少々お待ちください」と奥に行く。

 査定は獲物の討伐難易度・質・重量などが関係するためしばし時間がかかる。タビはその間にクエストの確認をしておこうとクエストボードに向かう。


 クエストボードには多種多様なクエストが貼られており、それを受付に提示することで受注できる。ERではクエストの受注上限、クエスト期間は基本的に存在せず、あるだけ受注するのが基本的には推奨される。討伐系のクエストなどは後請けも可能なので、倒せば倒しただけ報酬がもらえるシステムだ。

 タビはひとまず討伐系として森林ウルフ、蜜舐めヤギ、骸骨ウサギ、盗賊の4種類、採集系として白磁の花、幽霊草、空洞鉄鉱の3種類を受注することにした。いずれもゲームでの難易度は低いアイテムだが、地図が変わっている現在ではどこで入手可能かわからない。


(まぁ難易度がそれほど高いとは思えない、よな)


 放置してもデメリットはないので構わないだろうと判断する。無限の富を持つこの世界の住人は、たとえこのクエストを受注しなくても困ることは決してない。

 クエストをボードから剥がしたタビが受付に戻ると、査定が終わったのか受付嬢が戻ってきていた。


「お待たせしました。査定結果はこれくらいですね。お納めください。それから……、そちらはクエスト受注ですか?」

「ありがとう。お願いするよ」

「かしこまりました。ではこちら、期限もありませんのでよろしくお願いします」


 タビは受付嬢に軽く礼を言って冒険者ギルドを出る。






 冒険者ギルドを後にしたタビはそのまま村の宿に向かう。さすがに疲労感が強いので今日はもう寝たい。

 ひとまず1週間分の宿代を払い――ちょうど森林ウルフ1体の査定額と同じくらいであった――タビは夕食と風呂を済ませてベッドに入った。

 この世界に来るための研究を始めて以来、まともに寝た記憶がほとんどなかったなと、眠る前に考えたそれは、すぐにやってきた眠りに押しつぶされていく。

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