第105話 壊れる日常

★★★(サトル)



 クミさんが居ない朝。6回目。

 明日でもう、1週間か。

 クミさん、帰ってくるまで10日を見てくれって言ってたけど。


 寂しいよ。あと4回、これがあるのか。


 独身時代は、1人で寝起きが普通だったのに。


 前にさ、離婚を切り出されて、ちゃんとクミさんが説明してくれないから、思わず文句を言ったら


「目の前がぐわんぐわんするくらいショックを受けました」


 ……って、言われたっけ。後で、だけど。

 そこまで俺の事を愛してくれてて、好きでいてくれたんだ、って思って。

 嬉しかったけどさ。(離婚切り出されたのは嫌だったけどね)


 ……俺も似たようなもんかもしれない。


 1人で寝起きするの、どうしようもなく寂しい。


 ……寝るときに隣にクミさんが居るのが、普通になってるんだなぁ。

 クミさんとの生活が長くなるたび、その想いが強くなってくる。


 クミさんの出張、これまでも無かったわけじゃないけど。

 これほど長期は久々と言うか。


 ……あーあ。

 早く4日経たないかなぁ。


 ……

 ………


 ま、この辺にしておこう。

 俺は職人だしな。


 気持ちは切り替えないと。

 子供じゃ無いんだから。


 今日も仕事があるわけだ。

 大切な仕事。


 将来は、俺の家族を支えるために、無くてはならないものになるものだ。


 ヨシッ。


 俺は気合を入れて布団から出て、気分を切り替える。


「おはよう」


「おはよう」


「おはよう」


 ……男3人。

 俺と親父と爺ちゃん。

 クミさんの居ない、ヤマモト家の残留組だ。


 顔を突き合わせて黙々と食事を手早く済ませ、工房に行く準備をする。

 食事中、会話、ほとんど無かったなぁ。


 ……親父も爺ちゃんも、寂しいって思ってるのかな?


 ホント、早く帰ってきて欲しいよ。


「……あと4日くらいか?」


 工房への道中、俺の後ろを歩いていた親父が、ポツリ、とそう言った。


「うん、そのはず」


 まあ、気持ちは切り替えているから、頭の中身の大半は、今日の仕事の段取りなんだけど。

 それでもまあ、言われてすぐ反応した。


 ……頭の片隅から離れないんだな。


 そうして。


 とぼとぼと道を歩いて。

 工房がある大通りの方まで出て来たときだった。


 なんだか、大通りが騒がしい。


 ワーだとかキャーだとか。

 助けてくれとか。


 ……悲鳴?


 最後の言葉でそこに思い当たり、俺は足を止めた。


「……どーした?」


 親父は気が付いていないらしい。


「静かに」


 俺は一瞬振り返り、唇の前に人差し指を立てた。


 道の壁際に寄り、大通りをそっと覗く。


 すると、そこには……


 人間ほどの大きさの、蟷螂が居た。


 そいつが、知らない男をその鎌で捕まえて、首の肉を咀嚼していた、


 首の肉を食いちぎられている男はすでに事切れていて、あたりは血で染まっている。

 俺は息を呑んだ。


 ……あれって、100キロカマキリ……!


 クミさんが、友人と話しているのを聞いたことがあった。

 一緒に芝居を観に行ったときだ。


 帰りに、クミさんの友達のアイアさんに遭遇し、ついでにセンナさんにも遭遇し。

 彼女ら3人が話してる内容を傍で聞いてて、覚えてた。


 曰く、熊より危ない超危険生物。


 それが、何で街中に……?


「……ひっ」


 親父も覗き込んだ光景に驚き、漏れそうになった悲鳴を手で抑え込んでいる。

 まずい。


 ……気づかれたら、死ぬ……!


 昆虫特有の、あのまるで温かみの無い緑色の眼……。

 あれに姿を捉えられたら、終わりだ……!


 逃げないと……!


 ……しかし、どこに?


 引き返しても、俺の家はかなり奥まったところにある。

 追い込まれると、逃げ場がないかもしれない。

 行くのは正直、危険が伴うと思う。


 ……爺ちゃん、どうしよう?


 そこにも思い当たった。

 逃げ場が無いのかもしれないなら、早々に連れ出すべきなのではないだろうか?


 進むも地獄。

 戻るも地獄。


 俺はどうすれば……?


 そのときだ。


 ドシャ!


 重いものが投げ出される音がした。

 何の音かは、すぐに想像できた。


 喰われていた男の死体だ。


 まだ全部食べて無いのに、あの巨大蟷螂、獲物を捨てたのだ。

 何のために……?


 それはきっと……


 まずい!


「親父、引き返せ! 振り返るな!」


 羽音がする。

 昆虫が飛ぶときに出す、特有の音だ。


 来てる!


 確認はしない。

 するだけ無駄だからだ。


 俺も親父に続いて走ろうとした。


 頭の中に、走馬灯が駆け巡る。

 生まれてから、寺子屋に通い、クミさんに出会い、そして……


『だから、子供の数、1人はまずいですよね。3人は作らないとダメじゃないですか?』


 ……クミさんが仕事に行く前の晩、一緒に話したことを思い出した。

 一緒に子供の数について相談したことを。


 これから、家族を増やして、賑やかに、幸せに生きていくはずが……


 ……嫌だ!


 こんなところで俺は死にたくない!

 死ねないんだ!


 誰か、誰か助けてくれ!!


 心臓の鼓動が早鐘を打ち、口から飛び出しそうな錯覚を覚える。


 恐怖と焦燥感。

 それに支配され、俺は走った。


 他に何も考えていなかった。


 そのときだった。


「オロチ様、我らに限界突破の奇跡を!」


「メシア様、薙ぎ払ってください!」


 声。

 それと同時だった。


 ドゥ! という音がした気がしたんだ。


 背後で。


 同時に俺の背中に、何かの力が浴びせられる。

 吹っ飛ばされた。


 前のめりに突っ込み、倒れ伏す。


 身を起こした。


 特に骨を折るような重大な怪我はしていなかった。

 腕を少し擦り剝いたけれど。


 弾かれたように背後を見た。

 意味は無い……はずだった。


 この距離で、追われているのに転んだ時点で詰みだからだ。


 しかし……


 そこには、巨大な蟷螂の姿をしたものが、目の前にバラバラの残骸を晒し、そしてドロドロに溶けて消えていく姿があったんだ。

 どうも、背後から何かしらの手段で、不意打ちを喰らって倒されたらしい。


 それをやったのは……


「……大丈夫?」


 そこには、右手を突き出した姿の、着物姿の小柄な女の子……


 クミさんの友達の、センナさんが居たんだ。


 彼女、ちょっと顔を赤くしてて、ハッ、ハッと軽く息を乱してた。

 息が上がってるって感じじゃ無かった。慌てた精神状態を反映してる。そう感じた。


 助かった……?


「あ……ありがとう」


 俺がとりあえず言えたのは、それだけだった。



★★★(センナ)



 間一髪だったよ。


 クミちゃんの家に、クミちゃん家族を助けに向かったら。


 巨大蟷螂……100キロカマキリに、クミちゃんの旦那さんが追われてた。


 100キロカマキリ、背中の羽根を広げて、かなりのスピードで飛んで追いかけてる。


 まずい!

 あの生き物なら、人間なんて一撃だ!


 死んでしまった生き物を助ける魔法は存在しない。

 いや、あるかもしれないけど、私は聞いた覚えが無かった。


 だから、何としても止めなきゃいけない!


 私は全力で走った。


 メシアの瞳の効果で、今の私にはスタミナ切れが無いから。

 自分の持てる最大速力で、いつまでも走り続けることが出来る。


 けど、それで間に合うかどうか……!


 すると、ガンダさんがすかさずサポートしてくれた。


「オロチ様、我らに限界突破の奇跡を!」


 ……その呪文を聞いたとき。

 私の身体の行動限界の上限が上がった感覚があった。


 ……ムッシュムラ村で、アイアさんに掛けてた魔法だ。


 ありがとうございます! ガンダさん!


 私は走った。

 今までの人生で、一番速く走れた気がする。


 ギリギリ、間に合った。


 巨大な蟷螂の背中に追いつき、飛びついて、しがみついた。


 蟷螂、私にその時やっと気づいたのか、羽ばたきを止める。


 そしてぐぐっ、と後ろを見ようと頭を捩じってくるけど……


 その前に、その硬い背中に手のひらをあてて唱えたんだ。


「メシア様、薙ぎ払ってください!」


 ……私の『波動の奇跡』


 何気に、使うのははじめてだった。


 ゼロ距離だから、威力は絶大。


 蟷螂の胴体が、背中から砕けて吹っ飛んだ。


 同時に私もその衝撃で投げ出されそうになったけど……


 ギリギリ着地し、とんとんと片足でバランスを取り、右手を突き出した姿勢で踏み止まる。


 ……あ、なんか気持ちいい。

 波動の奇跡、すっごいな。


 有意義に魔法を使えた気がしたのと、その絶大な威力に私は少し気分を高揚させてしまう。


 ……おっといけない。


 サトルさんは、大丈夫かな?


 多分、余波で深刻なダメージを負うことは無いと思ったんだけど。

 あの蟷螂の身体で、だいぶ威力が死んでると思うから。


 でも、気になったから言ったよ。


 クミちゃんの旦那さんを助けるつもりで、とんでもない大怪我をさせてたら事だし。


「……大丈夫?」


 すると、ありがとう、って返してくれた。


 どこも酷い怪我はしてなさそうだった。


 ……ほっ。

 良かった。

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