第36話 おもいあい

★★★(クミ)



「最後にもう1回聞くけど、本当にやるのね?」


 オータムさんの問い。

 私は体操着姿で頷いた。


 魔法を習得する。

 その決意を固めた後。

 私はオータムさんのお屋敷に出向いて、私の雇い主で師匠のオータムさんに意思を伝えたんだ。


 そして、今日がその決行の日。


 今日は一緒に、サトルさんにも来てもらっている。

 わざわざ、今日だけ仕事を休んで、だ。


「クミさんが代償に何を支払ったのか。それをこの目で確認する」


 俺を心配させないために、嘘を吐くかもしれないからな。

 だって。


 普段は仕事第一で動いてるのに。

 こういうときはこういうことをしてしまう人なのか。


 またひとつ、新しい面が分かったようで、ちょっと嬉しい。


 今日、お屋敷に通してもらったとき。

 私たち、食堂で待たせてもらえた。


 いきなり旦那を連れて来た。

 邪険にされたらどうしよう?


 いや、失礼なんじゃないか?


 色々思ったんだけど。


「粗茶でございます」


 セイレスさんが、ティーセットをワゴンで運んできてくれて。

 お茶を淹れてくれた。


 紅茶だった。

 湯気の立つティーカップが2つ置かれる。


「え? そんな」


 どうしてですか。悪いです!

 そう言おうとしたら。


「クミ様。お気になさらず」


 ……私の分のお茶まで淹れて、一礼して去って行ってしまった。

 ……うう。肩身が狭いよ……。


「……すごいお屋敷だな。噂には聞いてたけどさ」


 お茶を努力して静かに飲もうとしてるサトルさんが、素直にオータムさんのお屋敷の感想を小さな声で口にする。


 まぁ、私も最初そう思ったよ。

 超一流になると、冒険者ってここまで裕福になれるんだ、って。


 壁も、絨毯も、調度品も。

 良いものばかりなんだもの。

 お屋敷、大きさは、常識はずれの大きさじゃないけど。

 使ってる素材の質が違うというか。


 ……やっぱり、いざというときに領主様に頼られるような立場を得てる人は違うってことなのかなぁ。


 しかし、オータムさん。

 なかなか来ないけど……。

 準備に手間取ってるのかな?


 ……実は、ちょっとだけ気になってることがある。

 言うまでもないことだけど、オータムさんって超美人。

 誰にも文句をつけられないレベルで。


 ……サトルさんが見惚れたらどうしようかな。

 分からなくもないけどさ。でも、ちょっと悲しい。

 ……これが、人を好きになるってことなのかな。

 日々の努力の結果か、2人で過ごした歴史の成果か分からないけど。

 私、多分今、サトルさんが心から好きになってるから。


 ……オータムさんの美しさにうっとりとなってしまうサトルさんを想像すると。

 私の胸がズキッと痛んだ。


「お待たせして悪かったわね」


 ガチャ、とドアが開いて。

 この屋敷の主人のオータムさんがやってきた。


 別段、ドレスを着ているとか。

 化粧をしているとか。


 そういうのは無かったんだけど。


 いつもの黒装束。とんがり帽子は被ってなかったけど。

 でも、やっぱり綺麗だ。

 女の私でも見惚れそうなほど。


 で、ちょっと怖かったけど、サトルさんを盗み見ようとしたら……。


「はじめまして。クミさんの夫をさせていただいているサトルです」


「妻がお世話になってます」


 ……いきなり平服せんばかりに丁寧に挨拶をしたのだ。

 カチコチで。

 見惚れるって感じじゃ無かったな。


 その後。

 オータムさんからも挨拶してもらって。


 精霊との契約の流れを説明してもらったんだけど。

 契約に挑む前に、その着物姿から、いつもの体操着に着替えろということで。

 最後の契約の場のセッティングがあるから、その間に着替えて頂戴ってことで。

 オータムさんが席を外して、また2人きりになった。


 だから、すかさず言ったよ。


「サトルさん、オータムさんのことどう思ったの?」


「どうって?」


 着替えなくていいの?という目をしながら返してくれる。


「綺麗な人でしょ?」


「うん。そうだね」


 で?って感じ。


 ……えーと。


「いいなぁ、とか。付き合いたい、とか思わないの?」


 ちょっと聞きづらかったけど。

 直球で聞いてみた。聞いてみたんだよ。


 ……そしたら。


「いやー、それは無いかな」


 頭の後ろを掻きながら、サトルさんはちょっと困ったように言った。


「正直さ」


 俺、クミさんに出会うまで、女の子を本気で好きになったこと無かったんだよね。

 そりゃ、綺麗だな、エロいな、って思う子は何人も居たけど。

 好きだ、って思える子は1人も居なくて。


 その辺もあって、女の子が好きってどういう感覚なのか?

 それすら分かってなかったんだよ。クミさんに出会うまでは。


 ……だからまぁ、そういうのは無いかな。

 クミさんを捨てて乗り換えるとか、本気で意味が分からないというか。

 というか、クミさんにこれまで言った言葉、やったこと、すぐに「無かったこと」に出来るような、軽い意味で言ったつもり、したつもり無いんだけど?


 ……そういうことを何でもないって顔で言ってくる。

 私は単純なので、ジーンとしてしまう。

 嬉しい。



★★★(サトル)



 俺の奥さんのクミさんが、稽古用の衣服上下に着替えて、このお屋敷の一室に設けられた窓のない部屋に通される。

 床板が無くて、土が剥き出し。

 中央部に竈のようなものがあって、その脇に白いもの……盛り塩?

 それで囲われた、正方形のエリア。


「ここで一心不乱に氷の精霊の事だけ考えて精神を集中しなさい」


「あなたの精神の波長が、目当ての精霊と合致した時に精霊の声が聞こえてくるから」


「……ただ、本当に気をつけるのよ。言っても効果ないかもしれないけどね」


 クミさんの雇い主のオータムという女性が、盛り塩で囲ったエリアを指し示しつつそう言ってくる。

 

 この盛り塩……何なんだろう?

 予備知識がほぼ無いと言って等しい俺は、そこが気になった。


「この盛り塩は?」


 俺が気になったことは、クミさんも気になるのか。

 聞いて欲しいことを俺の奥さんは聞いてくれた。


「フユウレイ対策」


 ……精霊との契約を狙って精神集中してると、精霊のフリをしたフユウレイがやってきて「契約してあげるから身体に入らせて」なんて嘘の契約を迫り、憑依を狙ってくることがあるそうな。

 フユウレイたちは無理矢理生きた人間に憑依することはできないけれど。

 一度許可を貰えば、やりたい放題らしく。


 憑依されてしまうと、払うのが非常に大変なんだそうだ。

 この盛り塩はフユウレイの接近を知らせるもので。

 黒ずんできたら、そのときは傍にフユウレイが居るらしい。


「その場合は即中断するから」


 危ないからね、とクミさんの雇い主。

 そして、どん! と盛り塩エリアの前に、寸胴を置いてきた。

 中には水が入っている。


「凍らせたら、開始よ」


 雇い主からの言葉に、クミさんは頷き、特技の異能で寸胴の中になみなみと入った水を一瞬で凍らせた。

 そっと、寸胴に触れることで。


 凍る瞬間、パキン、という音がした。


 そして素足でぺたぺたと盛り塩エリアに入り、凍らせた寸胴に向き合う形で正座して、眼を閉じる。


 ……精霊契約のための精神集中がはじまったのだ。

 どうか、どうか無事に済みますように。


 俺は真剣に祈った。


 祈ったんだ。いや、祈っていたんだけど……。


 俺の奥さんが体操着姿で正座して、眼を閉じて。

 集中している姿。


 ……色々、そそるものがあった。


 いや、すでに何度も確かめ合った仲だけどさ。

 衣装が違うと、また別の魅力があるというか……。


 ブルマーから伸びる白い太腿とか。

 白い半袖の胸部分を押し上げる膨らみとか。


 ……俺、別に体操着好きでは無かったと思うんだけど。

 好きな女の子が着ると、また話は別なのか……。


 だから、つい、口走ってしまった。


「すみません。あの」


「何かしら?」


 俺のすぐ横で様子を見守っているクミさんの雇い主は、緊張を感じる声でそう返してくる。

 とても真面目な声だ。

 そんな彼女に、俺は真剣な声でこう聞いた。


「……あの体操着って、同じものまだありますか?」


 言った瞬間だった。

 ……とても冷たい視線を、横から感じた。



★★★(クミ)



 目を閉じて、私は精霊の事を考える。

 氷、雪、つらら、かき氷……。


 氷を連想させる冷たいものを想像し、頭の中を氷の精霊で一杯にするように努めた。

 何をすれば精霊とのチャンネルが合うのか分からないけど、やれと言われたことをやっていくしかないよね。


 ……いや。

 こういう風に余計なことを考えること自体が、雑念で、妨げになる気がする。


 やめよう。


 氷……氷……氷……氷……


 …………


 …………


 精神集中の暗闇の中。

 どのくらい念じていただろうか。

 やがて私は、小さい声を聞いた。


 本当に聞き取れないほどの、小さい声だった。


 キャハハ キャハハ!


 その声は楽しそうに笑っている。

 ……あ……これ、精霊?


 そう思った私は、その存在に呼びかけた。

 心で。


「もしもし、精霊様ですか?」


「セイレイ……セイレイ……?」


 ウン、ソウダヨ。

 そう答えてもらうのを感じた。


「契約を結ばせて下さい」


「……イイヨ」


 ……やった!


 喜びの感情が吹き上がりそうになるが、耐える。

 多分ここで喜ぶと、チャンネルがずれる。

 それを本能的に感じたから。


「代償ヲ払ッテネ」


 ……来た。


 何を要求されるのか。

 寿命? 身体? 若さ?

 恐怖に支配されそうになるが、そこは思考を止めた。

 大事なことだけど、あまり考えすぎるとやはりチャンネルがずれる気がする。


 直感で、危険な条件が提示されたら拒否しなければならないのだ。


「足ノ爪7枚頂戴」


「捧げます」


 命に別条がない。

 痛いだろうけど、それだけだ。


 私は即答した。



★★★(オータム)



 クミちゃんが目を開いた。

 終わったのだ。

 それを直感で感じ取った。


 同時に、クミちゃんは顔を顰めた。

 正座してたんだけど、とても苦しそう。

 ……足が痺れた、では無さそうだった。


 足を崩す。

 そこで分かった。


 なんと、クミちゃんの足の指から出血していた。

 足の爪が7枚、引き毟られて消えていたのだ。

 右足の爪全部。

 左足は親指と人差し指……。


 代償、それで済んだのね……!


 破格の安さだ。

 視力や聴力、若さ、寿命まで要求される事例、聞いたことあるのに。

 クミちゃんと契約を交わした精霊との相性がいいのか、それとも単に運が良かったのか……。

 その辺は、よくわからないけど。


「おめでとう。これであなたも今日から魔法使いよ」


 とりあえず、爪を治してあげないと。

 爪なら治癒の奇跡で治せるし。


「ありがとうございます。オータムさん」


 クミちゃんは痛みに耐えつつ微笑んで、爪が剥げた足を投げ出すように伸ばして座る。

 大仕事を終えたクミちゃんは、とても嬉しそうだった……が。


「あれ……?」


 ハッ、とした顔になり、自分の頭に手を当てた。

 愕然とした表情で。


「どうしたの!?」


 私は駆け寄った。

 まさか……自分の記憶の一部まで捧げたとかじゃないでしょうね……!?


「そんな馬鹿な……?」


 彼女は、目の前の寸胴を凝視していた。

 口が動いていた。


 放電の術、操鉄の術、雷撃剣の術、飛翔の術……


 えっと……

 それ、雷の精霊の精霊魔法……


 精霊との契約が成立すると、使用できる魔法の内容が、頭の中に書き込まれる。

 それを確認して、驚いたんだろう。

 自分が想定していたものと違うから。


 ……ひょっとしてクミちゃん、契約する精霊を間違えた?


 なんてこと……!

 よく確認をしなかったのね……!


 運が悪いというか、良いというか……

 クミちゃんは全力で氷の精霊とコンタクトを取ろうとしたハズだけど。

 だからといって、氷の精霊とのみ波長が合うとは限らないわけで。


 あの場には、考えつく限り。


 氷の精霊。土の精霊。水の精霊。光の精霊。闇の精霊。

 あと、どういうわけか、いつも雷の精霊が居る。


 氷は用意した氷由来。

 土は剥き出しの地面由来。

 水は人間の体内の水と、氷から滴る水由来。

 光と闇は、見える以上、影がある以上、必ず居る。

 ……雷の方は、よく分からない。

 どこでもいつも雷の精霊が居る現象については謎とされてる。

 人間の体内に、雷の精霊が居るとも思えないし。

 何でいつも雷の精霊が居るのかは謎なのだ。


 ……まあ、だからありがたくもあるんだけど。

 契約の場に本物の雷を用意することは、人間には無理だから。


 ただ、居ると言っても雷の精霊の声はとても小さく。

 狙って契約するのはかなり難しいのだ。


 それを、クミちゃんはやってしまった。


 ある意味不運で、ある意味幸運。

 狙いから外れたことをしてしまったけど、代わりに得たのが高難度の精霊。

 ある意味、ツイてる。


「お、オータムさん、私……」


 自分が失敗した、と気づいたクミちゃんは、私に縋るような眼を向けてくる。

 大丈夫よ。雷の精霊魔法は冒険者にも有用なものが多いし。

 失敗じゃない。

 それに、雷なら氷との併用もできるしね。

 クミちゃんにまだ覚悟があるなら、また契約することだって……


 ばりっ


「くっ」


 ……そのときだ。

 何かを引き毟る嫌な音と、男性の押し殺した呻き声が聞こえてきた。


 えっと……?


 後ろからだった。

 振り向いた。


 そこで私が見たものは……


 ……クミちゃんの旦那さんの作務衣の男性……サトルさん? が、座り込んで、自分で自分の足の爪を素手で剥がしている姿。


 すでに右足5枚全部剥がしていて、6枚目に取り掛かろうとしている。

 左足の親指。

 額には脂汗が滲み、うっすらと目には涙が滲んでいたが、躊躇いというものが全くなかった。

 ばりっ、と6枚目の左足の親指の爪が剥がし、7枚目の人差し指に手をかける。


 ……えっと……これは何?


 ばりっ。

 そして7枚目が剥がされたとき。

 私は金縛りが解けた。


「……あなた、何をしてるの……?」


 その異常さにわなわな震えながら、絞り出すように言った。


「……約束なんで」


 7枚剥がした後。

 クミちゃんの旦那さんは激痛に耐えながら笑って見せて、足を投げ出すようにして座った。クミちゃんと同じように。


 すると……。


「ああ……サトルさん……」


 爪7枚剥がしたままのクミちゃんが立ち上がる気配があり。

 そのまま、よたよたと旦那さんの方に歩いていく。


「そんなことしなくて良かったのに!」


「約束したじゃん。けじめだよ」


「ああ、嬉しい。大好き! サトルさん!」


 そのまま抱擁を交わし、口づけを伴った熱いスキンシップをする2人。

 私は思った。


 ……この夫婦、異常では?

 嫁の負傷に合わせて自分の爪を剥ぐ旦那も旦那だけど。

 その旦那に感激して求愛してしまう嫁も嫁。


 レロレロを伴った熱い触れ合いを交わす2人。

 瞳はなんだか2人ともぐるぐるしてる気がする。

 浮世絵師のケン・イシカワの絵みたいに。


 ……ああ、こんな夫婦だったら、夫婦の契りを交わしただけで異常に強くなるの、頷けるかも。

 納得してしまった。全然変なことじゃ無かったんだ……!


 ……まあ、とりあえず。

 2人とも、足は治さないとね……。

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