10 元社畜と大盛な貝の網焼きセット(Another)

「やー、この量、流石に失敗しましたかねえ」


 ギルドにいるとき、街を歩くとき、料理店の前を通るとき。いつだっておねーさんがどこかにいないかと探してしまう僕の耳に、あの人の声が聞こえてきて、慌てて振り返った。

 明らかに独り言じゃない、誰かへ話しかけている雰囲気に、焦りながら。

 せめて女相手であってくれ、と思いながら話しかけたものの、僕の願いはむなしく、おねーさんの話し相手はエルフの男だった。ついでに言うと、すごく楽しそうだし、パッと見は同年代に見えるのがものすごく悔しい。


 しかも、おねーさんはまた、お酒を飲んでいる。飲酒姿のおねーさんは見慣れたもので、彼女の傍らにお酒があることは珍しくもなんともないけれど、それでも誰かと一緒にお酒を飲んでいる姿を見て、血が沸き立つような気分を味わった。

 パッと見たら恋人同士に見えるんじゃないかって。気が付けば、奥歯を噛みしめる音が頭に響いた。


 この醜い感情を腹の底に抱えていることを、きっと、おねーさんは知らない。




 エルフの男はおねーさんのことを友人だと言ったけれど、本当だろうか。……きっと、本当、だとは思う。おねーさんとエルフの男の間の空気には、色気の『い』の字もない。からからと乾いていて、酒が置いてありながらも、男女のしっとりさはない。第一、おねーさん、嘘つくの苦手そうだし。


 でも、でも!


 酒があるだけで、周りからは十分、男女の中に見えるはずなのだ。一人で酒を飲むのは、男に誘われそうで心配だけれど、だからと言って誰かと一緒の席で飲んでいるのは、それはそれでむかつく。

 叶うことなら、僕と一緒にいるときだけにしてほしい。


 ……なんて、そんなことを言う勇気があったら、一人でこんなにやきもきしていない。

 機嫌よく網の上で貝類を焼いているおねーさんを横目に、残りの貝の数を確認してから、適当にウエイトレスを呼びつけ、追加で料理を注文をする。


「えっ、まだ食べられるの?」


 ぎょっとしたようにおねーさんが言う。

 食べても食べても食べたりない、なんてことはないけれど、流石におねーさんとエルフの男が食べ残しただけでは足りない。貝って、殻があるから、量があるように見えて、身を取り出したら以外と少ないのだ。


「僕、お腹減ってるから」


 そう言うと、おねーさんが「いいな~」と、さっきまで貝を並べていたトングを開閉してカチカチと音を鳴らしながら言った。


「成長期だねえ……。若いっていいなあ」


 しみじみと言うおねーさんに、僕は思わず言い返したくなった。そう言う言い方、距離を感じてしまうから嫌なのに。おねーさんに悪気は微塵もないのだろうが――悪気があった方が、ずっといい。

 僕のこと、全く相手にしてくれないんだって、思い知らされるから。


「少年を見上げる日は近いかな」


 いや、そうなってくれなきゃ困る。今もおねーさんよりは身長が高いけれど、それでも目線はあまり変わらない。おねーさんはかかとが高い靴が好きじゃないのか、いつも高さのない靴ばかりはいているけれど、もし、ヒールの高い靴を履かれたら身長の高さは逆転すると思う。

 おねーさんには、おねーさんの好きな恰好をしてほしいから、ハイヒールを履いたときは隣に立ちたくないとか、そもそも履いてほしくないとか、そういう器の小さいことは言わない。


 言葉にしないだけで、思ってはいるけど。

 子供っぽいプライドだとは分かっているけれど、やっぱり、おねーさんよりは背が高い自分でいたい。

 正直、遺伝を考えたら期待できないけど。片方しか親を知らないけれど、そんなに背の高い人じゃないし……。でも、諦めるにはまだ早いと思うのだ。


「成長期? 少年はいくつなのだ?」


 エルフの男が会話に割り込んでくる。

 僕とおねーさんの話に混ざってくるな、と思いつつも、僕は大人しく「十五だけど」と答えた。

 おねーさんの友人だというなら、態度を悪くするとおねーさんに嫌われてしまう。『友人』のうちは、多少優しくしないと。


「十五? 随分と若いな」


「……まあね。でも、もう冒険者は五年続けてるから、その辺の駆け出しと一緒にしないでよね。まあ、エルフから見たら、人間なんて皆、子供みたいなもんだろうけど」


 このエルフの男が何歳かは知らないが、僕よりはずっと年上に見える。おねーさんと同じか、少し上に見えるってことは、百から二百は少なくとも生きているだろう。もう少し上の可能性だってある。


 僕の年齢を聞いた彼は、ぱちぱちと目を瞬かせた後、「十五で冒険者五年目、ということは――十のときに冒険者になったのか?」と聞いてきた。


 ……嫌な感じ。


 散々聞いた、「子供」という言葉を、ここでも聞かされるのか。相手が長命のエルフなら、僕なんて赤ん坊みたいなものかもしれないけれど、それはそれ、これはこれ。

 ガキの冒険者、と嫌になるくらい聞いてきた。聞きなれたからって、言われて何も思わないくらいにはなっていない。嫌な気分にはなる。


 ――でも。


「でっ、では、あの、最年少記録を更新した冒険者か!?」


 エルフの男の反応は、なんか、思っていたものと違った。

 目をきらきらと輝かせ、興奮したように僕を見る。僕よりずっと年下の子供のようだ。少なくとも、予想していた、さげすむような色は全く見られない。


「少年は有名人なの?」


 自分より強いか弱いか、はたまた、冒険者歴が長いか短いかでしか、冒険者のことを判断しないおねーさんは、僕が最年少記録を更新した冒険者だと知らなかったらしい。多分、先輩冒険者、とひとくくりにしていたに違いない。

 そこはおねーさんの長所でもあるし、魅力でもあるけど――知ってほしかったな、という気持ちがないというのは嘘になる。


「ああ、長らくここのギルド長が保有していた、最年少記録を更新した冒険者なんだ。未成年が冒険者になろうとすると、試験が義務付けられるんだが、は一発で合格するくらい強くてな! 君だったのか!」


 エルフの男は、よりいっそう、はしゃぎながら僕の説明をする。

 ここのギルド長が冒険者になったのが、十三歳。その記録を三歳も下で更新した上に、当時最年少記録を持っていたギルド長が、現在、最強の冒険者と言われる何人かの一人になっていることから、僕もいずれはそうなるんじゃないかって、噂されるくらいだ。


 まあ、そのおかげでやっかみも多いんだけど。ガキの癖に生意気、というのもあるかもしれないが、僕が最強の冒険者になる前に辞めさせたいんだろう。

 たまたま最年少記録を更新しただけで、成長したらすごくなかったって、だからたいしたことないって、自分を慰めるために。くだらない。そういう奴らの慰めになるのだけはごめんだから、当分やめるつもりもない。お金も、他の十五歳より稼げているし。


「はえー、少年、そんな凄い人だったんだね。そりゃ有名人か」


 おねーさんは驚いた表情を隠しもせず、そう言った。

 ……! おねーさんに、すごいって言ってもらえた!

 嬉しい、と頬が緩んだとき、僕はとんでもない言葉を聞いた。


「――そうだろう!? 俺の憧れなんだ!」


 迷いなく言い切ったエルフの男を、僕は思わず見てしまった。人間のものよりもやや大きい耳は、興奮でか赤くなっている。エルフは色白が多いから分かりやすい。

 憧れ。

 その言葉が、嘘偽りないものであるというのは、エルフの男の顔を見れば一目瞭然だった。これが演技やお世辞なら、そうとうな演技力だと思う。エルフだから人間ウケもいいし、冒険者なんかじゃなくて役者になるべき。

 彼が本当のことを言っていると分かっても、散々、馬鹿にされてきた僕は、その言葉をすんなりと消化することができなかった。


「べ、別に、僕なんかより凄い冒険者はもっといるし……」


 思ってもいない言葉が口から出た。確かに、僕よりも強い冒険者は何人もいる。でも、その辺にいる冒険者よりはずっと強い自信があるし、負けないって思ってるのに。


「少年、称賛は素直に受け取っておくべきだよ」


 そんなことを言いながら、おねーさんは「はい、焼けた」と、貝をいくつか皿の上に載せて、僕にくれる。


「少年が凄いことと、少年より凄い人が他にもいることを一緒に考えることはないんじゃない? 少年より凄い人がいたところで、剣士さんが憧れているのは少年なんだから」


「――……剣士?」


 おねーさんの言葉を、僕は思わず繰り返してしまった。

 エルフなのに、魔法師でも治癒師でもないわけない、と思ったのに――エルフの男の近くの壁には、剣が立てかけてあった。なんとなく剣が置いてあるのには気が付いていたけれど、それが男の物だとは思わなかった。でも、よく見れば、明らかにエルフの男のものである位置に置かれている。


「……アンタ、エルフの剣士?」


 僕が聞くと、エルフの男は何度も首を縦に振った。


「知っているのか!」


「……まあ、有名だし」


 僕のとは違い、だいぶ酷い名前の広まり方だけど。

 僕はガキだから、と馬鹿にされることが多いが、それはあくまで最年少記録を破った者へのやっかみからきている。中には本当に子供だからと馬鹿にするやつも少なくないけど。


 でも、このエルフの男の場合は違う。完全に愚か者を嘲笑するような意味合いの有名、だ。

 筋肉のつかないエルフのくせして、得意な魔法を捨てて剣の道に進んだ大馬鹿者、というのが、大体の認識だ。


 僕もその噂を聞いたとき、なんて無駄な奴、と馬鹿にしたものだが――こんな男だったのか。

 僕が決して、いい意味で知っているわけではないことを分かっているだろうに、エルフの男は「認知されている……!」と無駄に喜んでいた。能天気で前向きな性格なのか、それともエルフというのは皆こうなのか。


 ……いや、この男の性格だな。前に一緒に依頼を受けたエルフはかなり卑屈でネガティブな性格だった。「どうせ云々だし」とやる気を見せず、非常に面倒くさい奴だった。


 ふーん……ま、まあ、悪い奴ではないのかな。

 良く言えば素直、悪く言えば愚直。

 生きやすい性格だとは思えないけど、少なくともおねーさんを傷つけるようなことはしないだろう。


「よかったですねえ、剣士さん。少年に認知されてて」


「ああ、ああ! これであと百年は頑張れる!」


 涙目になりながら喜んでいるエルフの男の頭を優しく撫でるおねーさん。僕は思わず立ち上がった。


「ちょ、ちょ、ちょっと!」


 で、でも、おねーさんの件に関しては、話が別だから! このエルフの男がどれだけいい奴だったとしても、おねーさんは譲らない! 絶対に嫌! おねーさんを幸せにするのは僕なんだから!


「距離近いって! 特におねーさんはお酒入ってるんだから、周りに勘違いされるよ!」


 まるでおねーさんが困るだろうと言わんばかりの言い方だけれど、周りに勘違いされて一番困るのは僕である。


「ええー? ちょっと頭撫でただけなのに……。あ、剣士さん年上だっけ? 思わず撫でちゃった……。酔ってるのかな」


「おねーさんってば!」


 酔ってるなんて自己申告、誘い文句でしかない。流石のエルフの男でも、ぎょっとしていた。さっきまで耳だけが赤かったのに、今は顔もゆであがったように赤い。

 あああ、周りの勘違いが加速する……!


「おねーさん! た、こ、く、出身だからって、あんまりこの国の文化を知らないままでいるのも良くないよ! 今日はもう、お酒おしまい!」


 周りに言い聞かせるように、『他国出身』というワードを大声で強調しながら、僕はおねーさんから酒の入ったコップを取り上げる。……うわ、これかなり度数あるお酒だ。氷入れただけでそのまま飲んでるの? 嘘でしょ?

 僕はおねーさんから取り上げたお酒の度数の強さに若干引きつつも、おねーさんの座る席の前を片付け始める。


「ええー! ……分かったよぉ、でも、それだけ! コップに入っているやつだけ飲み切らせて。もったいない」


 「駄目?」と小首を傾げるおねーさんに、僕はウッとなる。お酒が入っている状態で、そんな可愛いことしないで……!

 活舌はしっかりしているし、動きが特段鈍いということもない。焦点もしっかりしている。

 こんな馬鹿みたいに強いお酒を飲んでおきながら、おねーさんの中では、ほろ酔い程度でしかないのだろう。恐ろしすぎる……。


「こ、これだけだからね……!」


「わーい、ありがと」


 僕はお酒の入ったコップをおねーさんに返す。

 僕の馬鹿……! でも、あの状態のおねーさんのお願いを断れるわけがない……!


 僕がコップを返すと、タイミングよく、僕が注文した料理が運ばれてくる。

 僕はそれを受け取り、もくもくと食べ進めた。いつか、おねーさんを養って、幸せにできるような大人になるために。

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