第64話 キャンディの捕球 その2

「よし、よく捕った!」


 言いながら、ウォルター殿下は自分のグラブを何度も叩いている。

 どうやら拍手喝采といったところだ。

 キャンディはそれに、小さく頭を下げている。


 その様子を見ていると、感想が口からついて出た。


「楽しそうです……」


 きっと少年のようにきらきらと瞳を輝かせていることだろう。


「楽しいんだと……思うよ……」


 げっそり、といった感じで兄がうなだれて言った。

 ジミーは顔を手で覆ってしまって無言のままだ。

 選手の人たちも、疲れたように椅子に座り込んでしまっている。


「そういえばキャッチボールのときも、キャンディのことを気に入っていました」

「ああ、サイドスローで投げさせるといいかもって言っていたよ。女性だから球威には難があるだろうし、コントロール勝負できるように育てたいとかなんとか」


 兄が何度も小さくうなずきながら、そう言う。

 どうやら王太子妃として、という以前に、選手としての彼女を気に入っているらしい。

 もしかしたらこの選考会は、王太子妃よりも選手を発掘するためのものなのでは? と一抹の不安がよぎる。

 いやさすがにそれはない、と私は首を振って居住まいを正した。


 次は、二球目だ。

 がっくりしている場合でもない。

 ちゃんと見届けるのだ。


「じゃ、二球目ね」


 いくらか弾んだ声音で殿下は言った。

 さきほどのストレートを見た令嬢たちは、興味を引かれたのか身を乗り出して、キャンディの捕球を見ようと目を凝らしている。


 そして殿下が構える。さきほどとまったく同じフォーム。そして同じように彼の手から白球は繰り出された。

 同じように球が伸びるかと思えるのに、ボールは軌道を変える。


「落ちましたわ!」


 はずみなのか、令嬢の一人がそう叫ぶように言った。

 ジュディさまを除いて、今までの令嬢たちへの投球とは違う。

 そしておそらく、ジュディさまのときよりも、ストレートもスプリットも速いのだ。さきほどのストレートを見たばかりだから、なおさら急速に落ちるように見える。


 キャンディはグラブをふっと下に降ろす。対応はした。ジュディさまと同じように、すくい上げるように捕るつもりだ。

 けれど、キャンディはボールをつかみきれず、白球は上に浮き上がった。


「弾いた!」


 と私たちが叫んだ次の瞬間に、キャンディは少し身体を浮かせて素早く左腕を伸ばし、ボールを素手でつかみ捕った。


「ストライーク!」


 ホワイトさんの声が響き渡る。

 私たちは、いつの間にか立ち上がっていたらしい。はーっと息を吐いて身体の力を抜いて、全員が同時に椅子に座り込んだ。


「ダメかと思いました……」


 冷や汗がどっと流れ出てくるようだ。心臓がバクバクと脈打っている。


「反射神経、半端ないっす……」


 ジミーが両手で顔を覆って、そうつぶやくように言う。


「あれで才能ないとか言ってました……」

「ふざけてるっす……」


 キャンディのほうを見ると、彼女はぺたりと座り込んで、少し上を見上げていた。

 きっと彼女も今、心臓の動きがすごいことになっているのではないか。


「いいね、すごいよ! 今のはなかなかできることじゃない!」


 ウォルター殿下はまたグラブを何度も叩きながら、はしゃいだ声音でそう言っている。


「まったくもう、あの人は……」


 呆れたように兄がつぶやいている。

 選手の人たちはもう諦めているのか、口の端を上げて、仕方ないな、という風にマウンド上の殿下を眺めている。


「ウォルター殿下は……」


 令嬢たちが、ぼそぼそと話し合っていた。


「楽しそうですわね」

「ええ、本当に」

「ああいうお姿は、新鮮ですわ」


 そんなことを言いながら、苦笑している様子だ。悪い感情を持っているようには見えない。


 そういえば、いつか兄が言っていた。


『殿下は柔軟性があるといえば聞こえはいいけれど、気まぐれで周りを振り回す人間だから』


 本当だ、ラルフ兄さまの言う通り。それを思い出すと、口から小さく笑いが洩れた。


 この三週間、結局、殿下に振り回された。

 それを不快に思わないのは、惚れた弱味というものなのかしら、と私はマウンド上の殿下を見つめながら思う。


 今まさに振り回されているキャンディは、たまったものではないだろうけれど。

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