第63話 キャンディの捕球 その1

 兄と二人でストレッチをして、席に戻る。

 ちょうど、26番の令嬢が、一球目を捕り損ねたところだった。


「いよいよ、次ね……」


 私は椅子に腰掛けながら、ホームベース付近に向かうキャンディを目で追う。

 人のことだというのに、なんだかドキドキと心臓が脈打ってきた。私は胸を手で押さえ、ふーっと息を吐く。

 なんだか緊張する。もちろんキャンディはもっと緊張しているだろう。


 それでも力を発揮できるといいのだけれど、とそこまで考えて。

 私はどうして彼女を応援してるのだろう、とふと思う。

 がんばって、というその言葉に嘘はない。自然に口から出てきた言葉だ。


 もちろん、王太子妃になるのはただ一人、ということはわかっている。

 だからもしもキャンディが三球とも捕球したとしたら。

 そのあとの令嬢が誰も捕れなかったとしたら。

 そして最後の私が捕れなければ、その時点で王太子妃はキャンディに決まる。


 そのとき私は純粋に彼女を祝福することができるだろうか。

 醜い嫉妬心で胸の中をいっぱいにしたりはしないだろうか。

 がんばって、だなんて、うわべだけの綺麗ごとなんだろうか。


 けれど一緒に練習してきた。

 いろんなことを話し合った。

 喧嘩して、そして仲直りもした。

 私たちは敵でもあるけれど、仲間なのだ。


 そうだ。

 もし私が三球とも捕球できなかったとき、王太子妃になるのはキャンディがいい。

 そう思えるほどには、私は彼女のことが好きなのだ。


 うん、と私は一つ、うなずく。

 今、心の中を少しだけ、整理できた気がする。さっぱりできたように思う。


 今はキャンディを応援したい。

 その気持ちは、間違いない。


          ◇


「よろしくお願いいたします」


 ぺこりと頭を下げて、キャンディがキャッチャーズボックスに構える。

 私は固唾を飲んで、その姿を見守った。

 選手たちも、口を開くことなく、ただ黙ってその姿を見つめている。


「大丈夫、いつも通りっす」


 ジミーがキャンディの構えを見て、そう力強く言った。

 師匠であるジミーが言うなら間違いない。キャンディは緊張で固くなったりしていない。

 いつも通り、しっかりと構えられているように、私にも見えた。


「うん、いいね。安定してる」


 ウォルター殿下は満足げにそう言った。


「では、一球目ね」


 ジュディさまの捕球からここまで、殿下はほとんど緩やかな球を投げ、そしてほとんどの令嬢がそれすらも捕れなかった。


 けれど今、明らかに殿下は、いつも通りの構えに戻った。

 ジュディさまのときと同じように、通常のストレートを投げるつもりなのだ。それがわかる。


 殿下が左足を上げる。キャンディがぐっと力を入れて構える。

 そして殿下が力強く足を踏み込み、しなる右腕を振り下ろし、白球はまっすぐに彼の手から飛び出した。


 速い!

 今までが遅い球だっただけに、その違いは顕著だ。

 「きゃっ」と声を上げている令嬢もいるほどだった。


 次の瞬間、パーンッと小気味良い音が、グラウンド中に響き渡った。


「ストライーク!」


 そしてホワイトさんの声も続いて響き渡る。


「やった!」


 私は思わず身を乗り出して声を上げる。

 殿下の投げた球は、キャンディのグラブの中に収まったのだ。

 キャンディが、ほうっと息を吐き出しているのがわかった。

 捕れたのだ。一球目のストレートは、捕球成功。


「いや……今の殿下の球、速くなかった……?」


 ぼそっとジミーが隣で言う。


「うん、速かった。いつも試合で投げる普通のストレートだったよね」


 兄が眉根を寄せて、そんなことを言っている。

 確かに速いと私も思った。

 そしてジミーと兄が言うなら、間違いなく、力を抜いた球ではなかったのだ。

 危ないから七割くらいの力で投げる、と言っていらしたのに。


「どうしてキャンディのときだけ、そんな」


 私は兄のほうに振り返り、問う。兄は肩をすくめて返してきた。


「捕れると思ったんだろうね」

「思ったって……。だって、キャンディだけ不利になってしまうじゃない」


 公平性を期す、のではなかったのか。


「どうしてそんなこと」


 兄は苦虫を噛み潰したような表情で、ためらいがちに口を開く。


「……そんな人だから……としか……」


 選手の人たちが、ああー……、となにやら納得したように肩を落としている。


「本気には本気で返すっていう、そういう主義だから」

「でもまさか、こんなところで」

「いやでも、今までのご令嬢方にはストレートではなくて、スローボールを投げていたわけでしょ?」

「だったら筋は通っていると……言えなくも……ない、かな?」


 選手の人たちが集まって、顔を突き合わせてそんなことを話し合っている。


 そう言われると、そうなのかもしれない。

 確かに今までの令嬢たちに投げた球は、彼女たちには有利だったのかもしれない。

 結果、それでも捕れなかったから、ここまで問題視されなかっただけなのだ。

 その時点で、公平ではなかった。


 でも。それでも。

 ちょっとひどいと思います!

 見えないだろうけれど、私はウォルター殿下を少し睨みつけた。

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