第62話 キャンディの番です

 そんな風に場は少しずつ崩れ始めていたけれど、私とキャンディだけは、どうにも緊張が解けなかった。

 二人並んで、ガチガチに身を固めて並んで座っている図は、傍から見たらどんなものだろう。


「最後のほう、っていうのはあまりよくなかったかも……」


 キャンディがそんなことをつぶやく。膝の上に置いた手をぎゅっと握り締めていて、色が白くなっていた。


「そうですね、待っている時間がつらいかも……」


 いろんなことを考えてしまって、どんどん身体が固くなってきている気がする。

 頭の中に浮かぶのは、主に悪い想像だった。

 一球目から失敗したらどうしよう。二球目は想定以上に落ちたらどうしよう。三球目はどんな球なんだろう。

 いい想像をしようとするけれど、どうしても悪いことを考えてしまう。


「そっすか? 心の準備ができる前っていうのもつらいっすよ?」


 頭の後ろで手を組んで、キャンディの隣に座るジミーが飄々としてそう言った。


「じゃあストレッチでもしたらどう? 身体がほぐれると心もほぐれるよ」


 兄がそう言って立ち上がる。


「そうしようかな……」


 兄の提案に、キャンディはぼそりと応える。


「やるなら、キャンディ嬢はそろそろ始めたほうがいいかもね」


 兄が歩き出し、キャンディは慌てたようにガタリと音を立てて椅子から立ち上がると、その背中を追う。

 私は二人の姿を、身体をひねって目で追った。

 すると背後から声を掛けられる。


「コニーちゃん」

「はい?」


 ちょいちょい、と右手の指先でジミーが私を呼ぶ。


「なんでしょう?」


 私は少しだけ、そちらに顔を寄せる。


「コニーちゃんにしか言えないアドバイスをするっす」

「……はい」


 私はじっとジミーの目を見て言葉を待つ。

 ジミーはゆっくりと口を開いた。


「自分を信じるっす。自分がやってきたことを信じるっす。自分の努力を信じるっす」


 自分を信じる。

 その言葉が、私の胸の中に染み渡っていく。


「コニーちゃんだけが、毎日、ひたすらに練習してきたんす。そこには一欠けらも疑いの余地はないっす」


 それはとても、真摯な言葉だった。


「もしどこかでサボっていたら、あのときサボったから、と言い訳が生まれるっす。けれどコニーちゃんにはそれがない」


 一日も休まなかった。

 要領がよくなくて、不器用で、才能もない私が誇れるのは、それだけ。

 けれどそれは、私の力になる。

 ジミーはそう言ってくれたのだ。


「信じるっす」

「はい」


 私は深くうなずく。ジミーもうなずき返してきた。

 けれどそのあと、視線を泳がせて、ぼそぼそとしゃべり出す。


「それと……」

「はい?」

「あの……。もしっすよ? もし、今日……」


 私は首を傾げる。声がとても小さくて、よく聞き取れない。


「もし……あの……」


 握り締めた拳が震えている。

 なんだろう。なんだか、深刻そうな。

 けれどジミーはしばらくして一つため息をつくと、言った。


「いや。いいっす」


 ジミーは何度か首を横に振る。


「え? なんですか、言ってください」

「いや」


 ジミーは小さく笑うと、言った。


「もしコニーちゃんが王太子妃になったら、俺が引退することになったあとも、コーチとして雇ってくれって殿下に言ってほしいっす。年俸は多めで」

「まあ」


 ジミーはにやりと笑って続ける。


「だって、にっぶいコニーちゃんが捕れるまで教えたってことになるっすから。殿下にそう言ってほしいっす」

「にぶい……」


 返す言葉もないけれど。


「だから、がんばって」

「はい、ジミーの引退後の職のためにも」


 くすくすと笑いながらそう言う。もしかしたら、リラックスさせようとしてくれたのかもしれない。


 ジミーが笑っている。なんだかどこか吹っ切ったような笑顔で、それにつられて私もなにかが吹っ切れたのだろうか。

 少し、肩の力が抜けた気がした。


 信じよう。

 たった三週間だけれど、がんばってきた自分を。

 私にはそれしかないのだから。


          ◇


 ストレッチを終えて帰ってきたキャンディは、いくぶんかはすっきりとした顔つきをしていた。


「うん、やっぱり身体を動かしたほうがいいわよ。ただ座って待っているのは性に合わないわ」

「そう?」

「コニーも軽く身体を動かしとけよ」


 キャンディと一緒に帰ってきた兄に言われて私はうなずく。


「じゃあ」


 そう腰を浮かしかけたところで。


「27番の方、そろそろご用意を」


 私たちはそう告げに来たメイドに振り返る。


 27番。キャンディの番号。


 キャンディは「はい」と、きりりと締まった声で返事をしている。


「がんばって」


 そう声を掛けると、キャンディは口の端を上げた。


「がんばってもいいの?」

「それはそうよ」


 想定外の返事が返ってきて驚きつつそう言うと、キャンディはくすくすと笑う。


「ではがんばってくるわ。見ていてね」


 そう言って片手を上げて、彼女は歩き出していった。

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