第60話 ジュディさまの捕球 その2

 殿下は自分のグラブを軽く叩きながら、明るい声音で言った。


「今のをよく捕れたね、ジュディ」

「お褒めに与り、光栄ですわ」


 ジュディさまは軽く頭を下げながらそう応える。

 それを見ていた令嬢たちは、またひそひそと喋り始めた。


「もし次の球をジュディさまが捕ったら」

「ジュディさまが王太子妃、ということですわね」

「他に誰も捕れなければね」


 そしてちらりとこちらに視線を移してきた。

 もし捕るとしたら、私かキャンディだと思われているのかもしれない。


「でもここまで捕ったら、三球目は簡単なのでは?」


 令嬢の一人がそう言って、他の令嬢たちが、ああ、とうなずく。


「そういえば予選会のとき、見せていただきましたわね」

「三球目が一番簡単そうでしたもの」


 ウォルター殿下が、三球とも投げて見せてくれた。

 あのとき、傍から見ているぶんには、三球目が一番簡単そうに見えたのだ。


「ではもう、ほぼ決まりってところかしら」

「まあこんな選考会がなければ、元々、ジュディさまが王太子妃になるだろうとは言われておりましたしね」

「こんな選考会を開くなんて、とんだ茶番だったってことですわ」


 令嬢たちはため息とともに、そう言う。


「では三球目。魔球ね」


 マウンドの上から殿下の声がして、令嬢たちは口を閉じてそちらに顔を向ける。

 私も同じように顔を上げた。


 よく見ておかなくちゃ。もし私が二球目まで捕球したとしたら、捕らなければならない球だ。

 ストレートもスプリットも、あの雨の日に見せていただいた。

 けれど結局、三球目は見ることはできなかったのだ。


 殿下が胸で手を合わせるように構えて、そして左足を踏み出す。

 今までのフォームとはまったく違う。踏み込みも浅いし、腕の振りも鋭くない。

 そしてその手から繰り出された球は、やはりそんなに速い球ではなかった。


 令嬢たちは諦めたような表情で、それを見ている。

 一球目も二球目も捕ったジュディさまなら、この緩やかな球が捕れないはずはない、と全員が思っていたに違いない。


 なのに。


「あっ」


 その球は、ジュディさまのグラブの上のほうに当たると、前のほうに落ちていく。

 ジュディさまは落ちていく球に右手を差し出した。

 体勢を崩しながらも懸命に手を伸ばすが、けれど無情にも、その白い球は手には届かず、地面にぽとりと落ちる。


 ジュディさまはそのままグラウンド上に倒れ、砂煙が舞った。

 グラウンドはしん、とした静寂に包まれる。

 その中でジュディさまは手をついて起き上がり、天を仰いで息を吐いた。


「捕れませんでしたわ」


 自嘲的な、それでいて達観しているような、そんな声がぽつりとつぶやかれる。


「惜しかったよ。ナイスファイト」


 殿下の言葉に、ジュディさまはふっと小さく笑うと、一礼した。

 そして身を翻すとマスクを取りながら歩き、ヘルメットを外し、プロテクターを脱ぐとメイドに手渡す。

 最後にレガースをメイドに手伝ってもらいながら脱ぐと、背筋を伸ばしてこちらにゆっくりと歩いてくる。


 倒れ込んだせいで、彼女のユニフォームは砂に汚れている。

 腕には擦り傷もできているようだ。

 綺麗に結われていた輝く金髪も、乱れてしまっている。


 アッシュバーン公爵令嬢、ジュディさま。

 いつも優雅に微笑む彼女からはかけ離れた姿だった。


 けれど今の彼女は、今までのどんな彼女よりも美しく思えて、誰もなんの言葉も発することができなかった。


          ◇


 ジュディさまは椅子が置かれているところまでやってくると、まっすぐに私のところまで歩いてきて、そして私の前に立ち止まった。


「コニーさま」

「は、はい」


 皆、固唾を飲んでそれを見守っている。

 私はこちらを見降ろすジュディさまを見上げた。

 ジュディさまは腰に手を当てて言い放つ。


「拍手は必要ありませんわ。馬鹿にしていらっしゃるの?」


 二球目を捕ったあと、私が拍手したことについて言っているのだろう。

 ジュディさまは静かに怒りの視線をこちらに向けている。


「馬鹿にだなんて、そんな」

「見下していらっしゃるの? わたくしたちは敵同士。わたくしが捕れば、あなたは気落ちなさればよろしいですわ」


 言っていることはそんな厳しい言葉だけれど、どこか動揺しているようにも窺える。

 きっと三球目が捕れなかったことに落ち込んだままなのだろう。それはそうだ。


「あれは、しようと思ってしたのではありません」

「え?」

「なんだか自然に出てしまったのです。素晴らしかったから。あんなに鋭い落ち方をした球でしたのに、こう、すっとグラブを動かしてらして」


 私が身振り手振りを加えながらそう言うと、ジュディさまは少し頬を染めた。


「まあ、よろしいですわ。終わったことですもの」


 そう自分に言い聞かせるように言うと、ジュディさまはぷいと去っていこうとする。


「ジュディさま」


 私が呼び掛けると、ジュディさまは足を止めた。


「けれど、三球目を落とされたときは安心してしまいました。申し訳ありません」


 そう言って小さく頭を下げると、彼女はふっと笑った。


「それがあるべき姿ですわ」


 それだけ言うと、ジュディさまは元いた席に腰掛けた。

 背筋を伸ばして凛としてそこにいる彼女からは、その誇り高い心映えが窺えた。



*****


捕れませんでしたわ・・・一度で捕れなくとも、地面に到着する前に手の中に入れれば正規の捕球として認められます。

グラブで跳ねたあと、服の中に入ってしまうとかマスクに挟まるとかした場合は認められません。ミット(グラブ)、または手で捕る必要があります。

なので身体に当ててからそれを手で捕った場合はOK。


作中では捕球が成功した場合にストライクコールをしていますが、本来、捕手が捕球するしないにかかわらず、ストライクゾーンを通ればストライクです。

球審がストライクコールをしているのはウォルターの指示によるもの(55話)。

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