第46話 戦いの火蓋は
私がじっとキャンディを見下ろしていると、彼女はふっと目を逸らして、そして俯いた。
「ご、ごめんなさい……。そうね、出て行かないと……」
ぼそぼそとそんなことを言う。
ここまで弱気になっているなんて。
本当に、重症だ。
「どうしてそこで、そんな返事をするのよ」
「だって」
「じゃあがんばるって返してくれないの?」
キャンディはますます俯いて、黙り込んでしまう。
まだたった一週間とちょっとの付き合いだけれど、私が知っているキャンディはこんな人ではなかった。
物怖じしないで私にキャッチボールの相手を申し込んできた。
令嬢たちの嘲笑に堂々と言い返していた。
野球のルールをすぐさま理解して、面白いわね、と笑っていた。
もちろんそれが彼女のすべてではないのだろう。
今、私の知らないキャンディがそこにいる。もしかすると、これが彼女の素の表情なのだろうか。
いや。きっと、そんなことはない。
快活そうな感じのいい笑顔をする彼女が、きっと本当の彼女なのだ。そう思いたいだけかもしれないけれど。
「キャンディは、なにをしに来たのよ。言ってごらんなさい」
私があえて強い口調でそう言うと、キャンディははっとしたように顔を上げた。
「……王太子妃に……なりたくて」
まるで、そのことをすっかり忘れていた、というような表情だった。
忘れているなら思い出させてあげないと、と私は思う。
「そうよね、そのはずよね。『ここにいる方たちは、王太子妃を夢見ていらした方だけだ』って言ったのは、キャンディだったものね」
「ええ……言ったわ」
あの予選が終わったあとの昼食会で、彼女が言ったのだ。
ならばキャンディだって王太子妃を夢見ていたはずなのだ。
「キャンディは才能があるから、そうして怠けていても捕球できると思っているの?」
「そんなことは……」
「わたくしみたいに、がんばってもがんばっても上手くならない人間を目の当たりにしたから、練習なんてしなくても余裕だって思っているの?」
「そんなこと!」
私の言葉に、弾かれたように顔を上げる。
よかった。そこまでひねくれているわけでもないのだ。
私は胸を張って言った。
「もしそうでも、わたくし、絶対に負けない。そんな甘い考えの人に負けたくないもの」
キャンディは下唇を、きゅっと噛んだ。
あと一押し、という感じがする。
「キャンディには本当にがっかりさせられたわ」
肩をすくめて、わざと嘲笑を含んでそう言ってみせる。
「ラルフ兄さまが言っていたわ、きっとキャンディは死に物狂いで王太子妃の座を狙ってくるって。だから一緒に練習するといいって。それがなに? どこが死に物狂いだっていうの? がっかりだわ!」
私はそこまで一気に言うと、黙った。あとはキャンディの反応を待つだけだ。
「わ……わたくし……」
ぼそりとキャンディは口を開く。
握り締めている拳が震えている。だから私は畳み掛けた。
「なあに? なにか申し開きがあるなら聞いて差し上げてよ? あるものならね?」
私は両の手のひらを天井に向けて、そう言った。
私は私の人生の中でこんな言い方をしたことがない。だから上手く言えていなくて不自然かもしれないけれど、彼女の苛立ちを誘うには充分だろう。
キャンディはキッと私を睨むと、叫ぶように言った。
「わ……わたくしの気持ちなんて、コニーにわかるはずないわ!」
「わかりません! わかりたくもないもの!」
「そんな言い方しなくてもいいじゃない!」
「しますー! そんな言い方しますー!」
だんだん子どもの喧嘩のようになってきた。
もうこうなったら、とことんまで喧嘩してやろうじゃないの、と思う。
私は靴を脱いでベッドに上がり、そしてキャンディの前に彼女と同じように座った。
殴り合いになってもいけないから、私は枕の一つを手に取って、自分の身体の前に盾のように持った。
それを見て、キャンディも同じように枕を持った。
戦いの準備は整った。
「わっ、わたくしが本気を出したら、絶対に捕れちゃうわよ、それでもいいのっ?」
「できるものならやってみるといいですわ!」
「で……できます、できますとも!」
「へえ、それは楽しみですわ!」
私は枕を振り上げて、彼女の頭をぼすんと叩いた。
「きゃっ!」
ふわふわの羽毛の枕だから痛いわけはないと思うけれど、キャンディは大袈裟に痛がって見せた。
「なにするのよ!」
キャンディも応戦してきて、枕を振り上げて私を叩く。
やっぱり特に痛くはなかったけれど、私も大げさに痛がってみる。
「きゃー! なにするの!」
「先に叩いたの、そっちでしょー!」
それから私たちはお互いに文句を言いながら、ぼすんぼすんと枕で叩き合った。
「わたくしが捕れてから後悔したって遅いんだから!」
「しませんー! 絶対捕れないもの!」
「捕れるもの! わたくしのほうが上手いし!」
「なんですってー!」
そんなことを言い争って叩き合っているうちに、縫い目から破れてきたのか、枕の中から白い羽根がバッと舞った。
「きゃー!」
「破れたー!」
「どうするのよ、これ!」
「知らないわよー!」
きゃーきゃー言っていると、すぐ近くに人影を感じて、私たちは慌てて振り返る。
メイドが呆然とした様子でそこに立っていて、私たちはぴたりと動きを止めた。
「申し訳ありません、何度かお呼びしたのですが」
「あ、そ、そう」
メイドはこの部屋の惨状を見渡してから。
そして首を傾げた。
「お嬢さま、なにをされているのです?」
その冷静な声に、私たちはしゅんとうなだれた。
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