第45話 起きなさい
応援してもいい。
では私はジミーに認められたのだろうか。
とっても下手で、言われたことをすぐにできなくて、もたもたしてしまうけれど。
努力を認めてくれたようで、胸がぽっと温かくなる。
だから毎日つきあってくれるのだろうか。
けれど。
『毎日練習に付き合わされれば親しくもなるっす』と、さっき言っていた。
「でも、わたくしの練習に毎日付き合わせてしまって申し訳ないわ」
自分のことで精一杯でそこまで気が回らなかったけれど、ジミーだって自分の練習もあるだろう。練習だけでなく、個人的な用事もあるだろうし、お休みだって欲しいのではないか。
私の発言に、ジミーは「ん?」と首を傾げていたけれど、自分が言ったことに思い至ったのか、ああ、と手を叩いた。
「あれは冗談っすよ。俺らはどうあれ、この二週間は令嬢たちに付き合うように言われてるっす。終わったら休みをもらえる予定っす」
「そうなんですか?」
それなら少し安心だ。私は胸に手を当てて、ほっと息を吐く。
ジミーは言葉を続けた。
「でもなんにしろ、俺は毎日来ないと」
「え?」
「殿下がほぼ毎日来てるから」
「……殿下が?」
「俺は殿下専属の捕手っすからね。殿下のフォークを捕れるのは俺だけっす」
そう言ってジミーは胸を張る。
けれど近くにいた捕手の人たちが、ふいにこちらに振り向いて言った。
「俺、さっき捕ったぜ。褒めてくださったよ」
「うかうかしてらんないな」
「ええー、今、自慢してたんすけどー」
ははは、と捕手の人たちが笑い合っている。皆、グラウンドでは見なかったけれど、ずっとここで待機していたのだろう。
ある意味、秘密の練習場なのかもしれない。
私はこのブルペンの存在を知らなかった。
そしてさきほどやってきたときにはウォルター殿下がいた。
それはつまり。
「殿下は毎日ブルペンにいらしているんですか?」
「そうっすよ」
あっさりとジミーはそう答える。
「グラウンドには出ていないだけ。ここで毎日投球練習してるっす」
「そうだったんですか」
「だから殿下は、誰が来て誰が来ていないかも把握してるっす。まあ、結果がすべてだから、関係ないっすけどね」
「へえ……」
そういえばさきほど、『今日も来たんだね』とお声をいただいた。
今日も、と言うからには、いつも来ていることをご存知だったのだ。
「じゃあ、ジミーはお休みは?」
毎日、というのはこの二週間に限ったことではないようだ。だったらジミーはずっと球場に来ているのだろうか。
「殿下が外遊に行ったときとか、そういうときに休むっす。それに毎日といっても、そう長い時間でもないっすから、まあ習慣みたいなもんすね」
「ああ、ご公務が……」
「なんだかんだ、殿下は毎日公務があるみたいっす。その合間を縫って、ここに来てるっす。さっき呼びにきた人がいるっしょ? あの人が来たら終わりの合図っす」
そうなのか。
ウォルター殿下は王太子であらせられるのだから、それはきっと当たり前のことなのだろう。
彼は野球だけをやっているわけではないのだ。きちんと公務と野球を両立させているのだ。
本当に、すごい。頭が下がる。
今さらだけれど、そんな人の妃になろうだなんて、生半可な覚悟ではいけないのではないだろうか。
「殿下がそんな人だから」
ジミーの声に顔を上げる。
「俺らは一生懸命練習しなきゃって思うっす」
そう言って笑う。
私たちの話を聞いていた、その場にいた数人が、うんうん、とうなずいたのが見えた。
◇
翌日は雨も上がり、とても気持ちのいい朝が訪れた。
私はランニングをしようと着替えて廊下に出るけれど、キャンディさまの部屋の扉が開く気配はない。
私は彼女が泊まる客室の前に立つ。
昨日一日、彼女はどうしていたのかとメイドに訊いたら、ずっと部屋にいたとのことだった。お医者さまを呼びましょうか、と言っても首を横に振るだけだったという。
私は思う。
調子が悪いとか、そういうのはきっと……嘘だ。彼女はやる気を失っている。なんとなく、わかる。
きっかけはきっと、左利きは不利だと言われたからだ。そんな気がする。
『やる気のない人間を無理に引っ張ったって、無駄っす』
ジミーがそう言っていた。
そうなのかもしれない。無駄なのかもしれない。
けれど、放ってはおけない。
だって彼女は仲間なんだもの。
少なくとも私は今まで、彼女の存在というものを脅威に思って、負けられない、とがんばってきたわ。
だからこれからも彼女には脅威でいて欲しいし、一緒に練習する仲間であって欲しいと思うのよ。
綺麗ごとかしら。強敵は一人でも少ないほうがいいかしら。
けれどこのままでは、私がすっきりしないのよ。そうよ、これは私の都合だわ。綺麗ごとなんかじゃない。
私は客室の扉をノックする。
「キャンディさま? ランニングには行きませんの?」
返事はない。
「キャンディさま?」
そしてそっと扉を開けて、中を覗き込む。
ここ数日のようにベッドの端で腰掛けているかと思っていたら、掛け布団が盛り上がっていて、その中で丸まっているのがわかった。
これは、重症だ。
私は大股で部屋を横切ると、ベッドの傍に立った。
そしてすうっと息を吸い込むと、できる限りの音量で叫んだ。
「キャンディ!」
私はキャンディが被っていた布団を両手で握り締めると、思いっ切り剥ぎ取った。
中で丸まっていたキャンディは、驚いたようにがばっと半身を起こしてこちらを見上げた。
ほら見なさい。朝に弱いなんてことはないでしょう。
「起きなさい!」
「な、なに……」
私は腰に手を当てて、彼女の顔を覗き込むようにして言う。
「起きないと、追い出しちゃうから!」
「えっ」
「だってわたくしと切磋琢磨するために、ここに宿泊することにしたんでしょう? わたくしのためにここにいるんでしょう? そうやって丸まっているだけなら、出て行ってもらうから!」
キャンディはこちらを見上げて、目を大きく見開いて、そして瞬かせていた。
*****
専属捕手・・・投手と捕手には相性があり、この捕手相手だと成績がいい、投げやすい、などの理由で、正捕手(チームでメインを張る捕手)であるか否かは置いておいて、バッテリーが固定されることがあります。
作中の場合、ジミーはウォルターの変化球を後逸する危険性が少ないため、彼の専属捕手という形になっているのです。
フォーク・・・変化球の一種。打者の近くで落ちる球。これまた捕りにくい。
ウォルターが二球目に投げるSFFもフォークボールの一種。違う球種と考えてもいいかもしれないけど。
SFFより少し遅くて落差がある変化球。
お化けフォークはマジヤバい。
フォークってお食事用のフォーク? はい、そうです。
二本の指で挟んで投げるこの握りが、フォークに似ているために名付けられました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます