第41話 ブルペンにいる人
一塁側ベンチ方向にしばらく歩いていると、パーンパーンという音が聞こえ始めた。ボールをキャッチする音だ。間違いない。
「ここっす」
ジミーが指差した部屋の中に、廊下からひょっこり顔を覗かせると、そこにはマウンドが三つほど用意されており、それぞれで投手がボールを投げているのが見えた。そしてそれを捕手が受けている。
「こんなところが……」
「投球前には、ここで調整するんすよ。いきなり投げられないっすからね。肩を作らないと。調子も見ないといけないし」
私の後ろにいるジミーがそう説明してくれる。
そういえば、選考会予選が終わって殿下が投球を見せてくれたとき、『肩を作るから待っていて』と言っていた。普段は、ここでするのか。
マウンドの数に合わせて、三人が捕手を務めている。けれどその他にも防具をつけた人が何人かいた。
「捕手って、こんなにたくさんいたんですね」
「そうっす。今日は選手もいるけど、ブルペンキャッチャーもいるっすよ。お嬢さま方のために全員待機していたんすけど、結局出番はなさそうっす」
苦笑しながらジミーはそう言う。
そうか。やっぱり捕手のことは捕手に訊くべきだから、その体勢は整えていたんだ。
けれどきっと、彼女たちは貴族であるかどうかを重視して、捕手に教えてもらいたい、とは口にしなかったのだろう。
言えば、教えてもらえたのに。
「あのとき、捕手の方に教えてもらいたいって言って良かったですわ」
「それならいいっすけど」
そう言って、ジミーは歯を出して笑った。
それから、私に首を傾げて問うてくる。
「ところで、キャンディちゃんは?」
「あ……それが、調子が悪いからって、今日はお休みです」
「ふーん」
「あ、キャンディさまは他人の屋敷で寝泊まりしておられますから、きっとそれで調子を崩されたのですわ」
なぜか言い訳がましくそんなことを言ってしまう。
「それに今日は雨だし、こんな場所があるだなんて知らなかったから。知っていたらきっと無理してでも来られたと思いますわ」
なんだろう、言い訳が止まらない。なんだか悪いことを隠している気分になる。
キャンディさま自身が調子が悪いって言って、お休みするって決断したのだもの、私が取り繕うようなことはなにもないのに。
「明日はちゃんと来られますわ」
キャンディさまが言ったことをそのまま伝えて、それで終わりのはずなのに。
私はどうして弁解しているんだろう。キャンディさまにそう頼まれたわけでもないのに。
「大丈夫っす、大丈夫っすよ」
ジミーが両の手のひらをこちらに立てて、慌てて制する。
「別に責めてるわけじゃないっす」
「あ……えと……」
「それに、毎日の練習は義務じゃないっす。特に今回は、『結果がすべて』なんすから。別に、たまには休んだっていいんすよ」
「そ、そうですわね」
それはそうだ。なんだか興奮してしまった。私は意味もなく自分の髪を撫でつける。
「お休みだって大切ですものね」
「そうそう」
私の言葉に、ジミーはこくこくとうなずいた。
私はそれを見て、ほっと安堵の息を吐いた。
ごまかすように、ブルペンをもう一度覗き込みながらジミーに問う。
「じゃあ、わたくしもここを使わせていただいてもいいでしょうか」
「もちろん」
「それなら、着替えてきます」
ジミーのほうに向き直りそう言うと、けれど彼は、にっこりと笑って言った。
「それはまたあと」
「え?」
「ひとまず一歩、中に入ってみるっす」
ジミーが中を指差すので、私はおずおずと部屋の中に足を踏み入れる。
ジミーのほうに振り返るけれど、彼はにこにことしているだけで、なにも言わない。
なんだろう、なにかあるのかしら、と投手と捕手が練習しているほうに視線を移す。
ネットが天井からぶら下がっていて、それが全面に張られている。私はネット越しに、端から視線を動かしていく。
そして。
最後、一番入り口に近いところのマウンドに。
きらきらと輝く金髪の、すらりとした身体つきの男性がいた。
ウォルター王太子殿下。
「えっ」
私はどうしたわけか、慌ててジミーの背後に回り込んで隠れた。
入り口に一番近いところにいたから、死角に入っていて今まで気付かなかったのだ。
「えっ、殿下が……えっ?」
今までずっと練習に姿を見せたことはなかったから、本選まで球場には来ないのかと思い込んでいた。
まさか、お会いできるなんて。
「なんで隠れてるんすか」
笑いながらジミーが言っている。
「だ、だって、いらっしゃるとは思っていなくて、驚いて」
あの予選の日から、一度もお姿を見ていない。なんだかまったく覚悟ができていなくて、今さらながらバクバクと心臓がうるさく音を立て始めた。
殿下は投球を続けている。パーンと捕手の人のミットがいい音を鳴らす。
やっぱり素敵だなあ、だなんて思いながら、私はその姿を見つめる。
「……真っ赤になってるっす」
自分の背中に隠れる私を、無理に身体をひねって首を伸ばして見ると、ジミーはため息混じりでそう言った。
「えっ、そっ、そう?」
私はジミーに言われて、慌てて頬を両手で包む。
だって急だったから。動揺してしまって。いるとは思っていなかったから。
私は心の中でそう言い訳を繰り返す。
「コニー嬢」
ふいに呼び掛けられて、顔を上げる。
殿下がひらひらと手を振りながら、マウンドを降りてこちらに歩いてやってきていた。
*****
ブルペンキャッチャー・・・ブルペンで投手の球を受ける捕手。
投手に気持ちよく投げてもらうため、良い音鳴らすことが重要課題。繊細な生き物であるピッチャーは、褒めて伸ばそう。
「良い音」がすると、なんか良い球投げた気分になるからね。まったく、ピッチャー様は手が掛かって仕方がないですな。
ブルペンキャッチャーは投手の調子を見て、コーチと投手の橋渡し役もやったりする。
捕手は捕手経験がないとできないと言われているため、割と人手不足。引退した捕手がブルペンキャッチャーとして再就職したりもする。
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