第39話 二人のやる気

 ジミーは防球用ネットのほうに振り返ると、キャンディさまに声を掛ける。


「じゃあ、次はキャンディちゃんね」

「あ、はい」


 キャンディさまは言われて、ネットの後ろからこちらにやってくる。


「コニーちゃんは、後ろ。まだ目を閉じることがあるから、意識して見るっす」

「はい……」


 ボールへの恐怖心が拭えないのだろう。どうしても、目を閉じてしまう。だから捕れないのだ。


 私がネットの後ろに立つのを見届けると、ジミーがうなずく。それを見て、キャンディさまが声を出す。


「お願いしまーす」


 それを聞いて、おや、と思う。

 なんだか声に、覇気がないような気がしたのだ。


「じゃ、いきまーす」


 投手の人が、ボールを投げる。

 キャンディさまのグラブが、パンッといい音を鳴らした。


「いいっすね。今の忘れないように、次」


 ジミーが満足げにうなずきながら、褒めている。

 気のせいだったのかしら、と私は思う。覇気がない、というよりは、落ち着いている、ということかもしれない。私はすぐに舞い上がってしまうから見習わないと、と気合を入れ直す。

 それからも何球か受けたけれど、キャンディさまはすべてをグラブの中に収めた。

 すごい。敵う気がしない。


「ストレートはもう問題ないっすね」


 太鼓判だ。

 私も早く追いつかないと、と目を凝らして投げられるボールを見る。

 怖がらないように、ちゃんと目を開けて、と自分に言い聞かせる。


 そして何球目かのストレートが投げられた。

 キャンディさまがグラブを差し出す。

 けれど。


「きゃっ!」


 グラブの端に当たって弾かれた球が、私の目の前、ネットに突き刺さった。

 思わず自分のグラブを顔の前に出していた。ネットがあるのだから当たるはずもないのに。


「びっくりした……」

「ご、ごめんなさい、コニーさま」


 キャンディさまが慌てて立ち上がり、私に言う。


「あ、大丈夫です。ネットがあるのに声を上げてしまって、こちらこそごめんなさい」


 私は胸の前で両手を振る。それでもキャンディさまは申し訳なさそうに頭を下げた。


「今のは」


 ジミーの声が、私たちの会話を遮る。


「今のは、棒球ぼうだまだったっす」


 その声音がなぜか厳しさを含んでいて、私たちはジミーのほうに振り返る。

 ジミーはキャンディさまのほうをじっと見つめていた。


「キャンディちゃんなら、捕れないといけない球だったっす」

「そ、そうですか」

「気を抜いたっすね」


 睨むようにジミーはキャンディさまに視線を向けていた。


「そんなつもりは……」

「慣れてきた頃が、一番危ないっす。一球だって気を抜いたらダメっす」

「……ごめんなさい」


 キャンディさまは、しゅんと肩を落としてそう謝罪する。


「わかったらいいっす。同じ球ばかり続けて受けたから、つい気が抜けたんすかね」

「そう……なんでしょうか」

「じゃあ次は、スプリット。コニーちゃん、受けるっす」

「はっ、はいっ!」


 私は慌ててネットの前に走り出る。入れ替わりにキャンディさまはネットの向こうに向かう。注意されたからか、少し、目を伏せて歩いていた。


「お願いします!」


 しゃがんでグラブを構えると、変化球が飛んできた。

 落ちる球。

 そこにグラブを差し出すけれど、ボールはその下をくぐった。


「いっ……」


 内ももに、硬球が打ち付けられる。声にならない。


「……大丈夫っすか?」


 どこか呆れたような声。それはそうだ。もう何度、こんな姿を見せたかもわからない。


「だ、大丈夫です!」


 私はなんとか体勢を立て直して、また構える。


「お願いします!」


 そう言うと、また変化球が飛んできた。

 そしてまた。


「いっ……」


 まったく同じようなことが繰り返された。

 ジミーのため息が聞こえる。


「コニーちゃんはもう、慣れるしかないっすね」

「おっ、お願いします!」


 慣れるしかないなら、慣れなければ。

 私はまた構える。

 そして。


「いっ……」

「……やる気は、認めるっす」


 内ももを押さえて痛がる私に、ジミーの声が降ってきた。


          ◇


「あー……また痣に……」


 更衣室でユニフォームを脱ぐと、私は内ももを見る。

 今日の痣だけではない。今までの痣もある。


「落ちるってわかってはいるけれど、毎回まったく同じ軌道ではないのだもの。難しいわ」


 ぶつぶつと言う私を見て、キャンディさまは、くすっと笑う。


「でも、コニーさまはすごいですわ」

「すごい?」


 私はキャンディさまに振り返る。

 どう考えても、キャンディさまのほうがすごいのに。


「だってあんなに当たっているのに、それでも立ち向かおうとするのですもの」


 ロッカーの扉を閉めながら、そう言う。

 私は唇を少し尖らせて答える。


「そうするしか手がないのです」

「わたくしだったら、きっと諦めていますわ」

「けれどキャンディさまは、上手く捕れますもの。羨ましいくらい。あんなにすぐ上手くなったら、きっと楽しいでしょうね」


 私の言葉に、キャンディさまは口の端を上げた。


「そうでもないわ」


 楽しくはないのだろうか。

 私だったら、嬉しくて仕方ないような気がするのに。

 一球捕れたらすごく心が弾むから、あんなに捕れたら面白いような気がするのに。


 野球、楽しくないのかな。

 私は物憂げなキャンディさまの横顔を見て、そんなことを思ったのだった。

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