第38話 五球に一球
そして私はもう一つ、彼女たちが甘える先に心当たりがあった。
『これは本当は、王太子妃選考会ではない』。
それなら練習したって意味がない。実際、ジュディさまは来ていない。
厳しい練習はせずに、成り行きを見守ろう。
一応、どちらに転んでもいいように本選に来てはみる。そして運よく捕球できればいいじゃないか。
そんなところだろう。
私だって、少し気を抜けば転がり落ちるかもしれない、と思う。
毎朝のランニングはキツい。そのあと球場で練習するのだって、大変だ。日に日に身体に痛い箇所が増えてきている。
それだけに、今日一日くらい怠けてもいいじゃないか、と思ってしまうようになるのが怖い。
一度怠けると、どこまでも怠けそうな気がする。
だから一日だって怠けられないのだ。
「わたくし、甘えてしまう気持ちはわかる気がしますわ」
隣でキャンディさまが、ぽつりと言った。
そちらを見ると、頬に手を当てて物憂げにしている。
「でもキャンディちゃんは、毎日来てるっす」
ジミーが驚いたようにそう言う。
「わたくしだってコニーさまがいなかったら、毎日は来ていないかもしれませんもの」
そう言って、ほう、とため息をついた。
もしかしたらそうなのかもしれない、と思う。
実はここ二日ほど、朝のランニングの時間に起きていないのだ。
いや、正確に言うと、起きてはいる。部屋に向かうと、ベッドの端に腰掛けたまま、ぼうっとしているのだ。
「キャンディさま、ランニングには行きませんの?」
そう呼び掛けると、はっとしたように顔を上げる。
「ごめんなさい、わたくし、朝が弱くて。すぐ支度しますから、お先に行っていらして」
「そう? ではお先に」
それで私は先に走り出し、けれどキャンディさまはすぐに追いついてくる。なにせ足はキャンディさまのほうが圧倒的に速い。
朝が弱いというのは本当かもしれない。けれど、最初の頃は起きていたのだから、絶対に起きられないということはないはずだ。
やる気を失い始めているのだろうか。
面倒になったから? 練習がつらいから?
それとも。
左利きが不利だって聞いたから?
けれど、あれから捕球の練習をしているけれど、やはり捕球だけなら問題なさそうだった。
そのことはジミーも太鼓判を押している。
「ちゃんとグラブを広げて真ん中に置けば、変わりないと思うっす」
それならよかった、とキャンディさまは笑っていらしたのに。
「ま、やる気のない人間を無理に引っ張ったって、無駄っす。俺たちは俺たちでやればいいっす」
きっぱりとジミーが言って、エディさまも兄もうなずいている。
「むしろ、あなたたちにとっては都合がいいのではないかな」
エディさまは私たちに微笑みながらそう言う。
「そうですわね。強敵は少しでも少ないほうがいいですもの」
私がそう言うと、兄はちょっと驚いたように目を見開いた。
「へえ、なんか変わったなあ」
「そうですか?」
「うん、頼もしくなった」
兄はそう言って、二度ほど満足げにうなずいた。
「強敵は少ないほうがいいとは言うけど、でも仲間がいると伸びるものなんだよね。きっとそれでだ」
仲間。それは言わずと知れた、キャンディさまのことだろう。
「そうですね。負けてはいられない、とは思いますもの」
私がキャンディさまのほうに振り向いて微笑むと、けれど彼女は困ったように口の端を上げただけだった。
◇
「というわけで、他の人がサボっている間に、俺たちは練習するっす」
パン、と手を叩いてジミーが言った。
それでエディさまと兄は自分の練習に戻るために散っていく。
「誰かー! 投げられるー?」
ジミーがそう声を上げると、選手のうちの一人がこちらに歩み寄ってきた。
「じゃ、受けてもらおうかな」
ここ最近では、投手の方々が投げる球を受ける練習をしている。
まだ十球に一球捕ればいいほう、だなんて有様だけれど、それでも捕れるときもある。
それが嬉しくて、もっとがんばらないと、と思えるのだ。
「では、わたくしから」
そう言って私は、お願いします、と投手の方に一礼してからキャッチャーズボックスに座った。
捕手の構えは今でもやっぱり恥ずかしいけれど、彼らは特に気にしていない素振りだから、こちらも気にしないようになりつつあった。
キャンディさまは防球用のネットを挟んで、私の後ろに立つ。
自分が受けないときは、こうして目を慣らすようにしているのだ。
「ストレート、お願いするっす」
ジミーがそう言うと、投手の人は私に礼をして、そして振りかぶるとボールを投げてくる。
よく見て。グラブを広げて。ボールを受け取ったら反動を利用するようにすぐに握り込んで。
私のグラブが鈍い音を立てる。私はほっと息をつく。
なんとか一球目は捕れた。ジミーがやるときのような、パンッという小気味良い音は鳴らないけれど、とにかく捕れた。
「ノーワインドアップでお願いするっす。殿下はそうっすから」
「わかりましたー」
ジミーと投手の人がそう言葉を交わしている。私が構えると、今度は振りかぶらずにボールを投げてきた。
よく見て。グラブを広げて。ボールを受け取ったら……。
「きゃっ!」
グラブで受け止められずに弾いたボールがマスクを直撃して、私は後ろに倒れ込んでしまう。
「コニーさま!」
「コニーちゃん!」
キャンディさまとジミーが私に駆け寄ってくる。
「大丈夫?」
「だ、大丈夫です」
防具は絶対に着けること、と言われる理由がよくわかる。防具がなかったら今頃私は、怪我だらけに違いない。
私はのろのろと立ち上がると、ユニフォームについた砂を手で払う。
投手の人もこちらに駆け寄ってきた。
「大丈夫ですか?」
「はい、すみません、大丈夫です」
私が微笑むと、投手の人もほっと息を吐く。
「俺、ノーワインドアップのほうがスピードが出ないんだけど……」
「ということは、一球目が捕れたのは単なる偶然っすね」
ぴしゃりとジミーが言う。私はため息をついた。
偶然、か。少しずつ上手くなっているような気がしているのに。
「言っておくっすけど、殿下の球はもっと速いし、もっと伸びるっすよ?」
「はっ、はいっ!」
私は気合を入れて、マスクを被り直す。
「お願いします!」
そう言うと、投手の人はまたマウンドに戻っていった。
そうして何球か受けたあと、ジミーはため息とともに言った。
「十球に一球が、五球に一球になりつつあるって感じっすかね……」
*****
キャッチャーズボックス・・・バッターボックスの後ろにある、捕手が構えるエリア。
敬遠をする場合にここから出て構えると、ランナーがいれば進塁させなければならなくなります(ボークによる無条件進塁)。ランナーがいなければ、ボールカウント一つ献上。
まあ申告敬遠ってなルールができたので、もうこんなこともないかもしれません。
……申告敬遠、やめないかなー……。
ノーワインドアップ・・・振りかぶらない投法。
その他に、セットポジション、クイックモーション、という投球モーションがありますが、この二つはランナーがいるとき用のモーションなので、今回は使いません。
けれど、ランナーがいないときでもセットポジションの人はいる。安定するそうです。
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