第35話 左利きのキャンディ
そしてキャンディさまは、ジミーに再度言った。
「わたくしも教えていただいても?」
「いいっすよ。俺、貴族さまじゃないけど」
ジミーは私のときと同じように、そうキャンディさまに尋ねる。
きっと私が来る前に、何人もの令嬢に避けられたのに違いない。
けれどキャンディさまも、私と似たような反応を示した。
「え? なにか制限でも?」
首を傾げてそう問うキャンディさまに、ジミーは首を横に振ったあと、にかっと笑った。
「いや、ないっす。じゃあ、二人まとめてってことで」
「よろしくお願いします」
そう頭を下げるキャンディさまの恰好は、ユニフォーム姿だった。
私の視線を感じたのか、キャンディさまは口の端を少し上げると、くるりと身体を翻し、ぴたりと止まって淑女の礼をおどけたようにした。
「私もユニフォームを買ってきましたわ。球場内に店がありましたから」
うふふ、とキャンディさまは嬉しそうに笑う。
購入して、さっそく着替えてやってきたらしい。
すらりと背が高いキャンディさまは、なんだかユニフォームがとても似合っている。私が着ているものとデザインは同じはずなのに、違うものみたいだ。
私なんて、子どもみたい、と兄に笑われたのに。私は少し唇を尖らせた。
キャンディさまはジミーに向かって言う。
「ではお願いいたします。わたくしは、キャンディと申します」
「俺は、ジミー。じゃあキャンディちゃんも、防具を着けて」
言いながらベンチ裏に行き、もう一式取ってきた。
ガチャガチャとジミーが防具を用意している横で、私はキャンディさまに言う。
「一人で着けるのは大変だから、次回からメイドを待機させてくださるのですって」
「そうなの」
「あっ、じゃあ、今日のところはコニーちゃんが手伝うといいっす。慣れるためにも」
いいことを思いついたとばかりに、人差し指を立ててジミーが言った。
「ああ、そうね。そうさせていただきます」
女性同士ならいいのだから、確かにそれはいい案だ。
私はレガースをジミーから受け取ると、キャンディさまの前にしゃがんで、膝下に装着する。
「……ああ、なるほど。それで、メイド……」
ぽつりとキャンディさまが言う。私がキャンディさまの足に抱きつくようにレガースを装着するのを見て、理解の早い彼女はすべてを悟ったようだった。
キャンディさまも、プロテクター、ヘルメット、マスクと着けて、防具の準備は完了した。
私たちはマスクを通して見つめ合って、そして、ぷっと噴き出した。
「なんだか、かっこいいわね」
「騎士さまの鎧みたいね」
そうして二人して、くすくすと笑う。
「じゃっ、始めるっす」
ジミーに言われて、そちらに振り返る。
「二人ともグラブは」
「あ、ここに」
ベンチの椅子の上に置いていたグラブを手に取り、私はそれを手にはめる。
それを見て、ジミーはうなずいた。
「キャッチャーミットじゃないんすね。でもまあ、慣れたもののほうがいいし」
そう言ってジミーはキャンディさまのほうに視線を移す。
けれど、彼女のグラブを見て、ジミーは「あれ」と声を上げた。
キャンディさまはその様子に首を傾げる。
「え? なにか?」
「いや……」
しばらくなにかを逡巡するような素振りをしてから、ジミーは口を開いた。
「左利きっすか……俺、教えられるかなあ」
「え?」
キャンディさまの動きが、ぴたりと止まる。
うーん、と唸ってからジミーは続ける。
「まあ捕球するだけなら、大丈夫なんすかね」
「え……。どういう……意味です?」
こわごわ、といった風情でキャンディさまが問うた。
ジミーは少し考え込んで、そして思い切ったように顔を上げると、口を開いた。
「捕手をするには、左利きは不利だって言われてるっす」
私はその言葉にばっと顔を上げて、キャンディさまの横顔を見た。
彼女は言葉を失ったように、マスクの向こうで瞬きもしないでジミーの口元を見つめていた。
「そもそも、左利きの捕手って見たことないっす」
私もなにも言えなくて、ただ二人の様子を見守るだけだった。
少ししてキャンディさまは、ぽつりとつぶやいた。
「まさか利き腕がネックになるだなんて、思ってもみなかった……」
心なしか、青ざめているように見える。
「キャンディさま……」
私たちの様子を見て、まずいと思ったのか、ジミーは慌てたように言った。
「あっ、でも、不利なのは送球とかクロスプレーのときって話っすから、捕球だけなら関係ないっすよ」
「でも、左利きの捕手がいないってことは、殿下はきっと投げにくく感じるのではないかしら。それに、教えにくいのですよね……?」
それを否定することはできなかったのか、ジミーは困ったように眉尻を下げた。
そういえば、キャッチボールのときにウォルター殿下が仰っていた。
『左ってだけで捕りにくいはずだよ』
『捕りにくいし、打ちにくい』
そう、仰っていた。
捕手が捕球するために、左利きであることがどのように作用するのかは私にはわからない。
けれど利き腕というのは野球においては、思ったよりも重要なのではないだろうか。
私はキャンディさまを見つめて思う。
ユニフォームを着て、嬉しそうだったのに。
防具を着けて、楽しそうだったのに。
けれど今、キャンディさまは、なんだか落ち込んでいるように見えた。
*****
クロスプレー・・・選手同士が交錯するような、接近して行われるプレー。
左利きの捕手は、本当に少ないです。
高校野球で左利きの捕手がいたら、ニュースになるレベルで少ないです。
プロでは見たことがありません。もしいらしたらすみません。ちなみにメジャーではいたらしい。
捕手が二塁、三塁に送球する際、立っているのが右打者だと障害になるとか、送球が一歩遅れるだとか、本塁でのクロスプレーの際、利き腕に突っ込む形になるので危険だとか、追いタッチになってしまうとか、いろいろ理由はあるようです。
とにかく現状、左利きは捕手としては不利、と言われています。
これから左利きの捕手が活躍するようになるのか、注視したいところです。
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