第34話 防具を着けます

 本塁で練習するのかと思ったら、ジミーはそのまま通り過ぎ、ベンチのほうに向かった。


「とりあえず、危ないから防具を着けるっす」

「はい」


 いつも試合で捕手の人たちが着けているので、イメージは湧く。

 ジミーはベンチ裏に引っ込むと、防具が入っているらしい布袋を手に戻ってきた。


「練習するときは、絶対に着けること。危ないっすから」

「絶対?」

「絶対」


 言いながら、布袋から次々と防具を取り出している。

 けっこうたくさんあるんだなあ、と思いながら私はそれを眺めていた。


 ふと、ジミーがなにかに気付いたように顔を上げる。


「ああ、そっか。セーフティカップは要らないっすよね」

「セーフ……? あ、ごめんなさい、聞き取れなくて。なんでしょう?」

「あ、なんでもないっす」


 なぜか動揺したように、ジミーは右手を顔の前で何度か振った。


「コニーちゃんには要らないっす」


 ジミーはそれだけ言って、口を閉ざした。

 よくはわからないけれど、きっと本格的に捕手をする人しか要らないものなのだろう。


「殿下が、今回のために何セットか防具を用意してくれたっす。新品だから、臭くないっすよ」

「臭い……」

「使い込むと臭くなるんで、洗うの大変っす」


 言いながら、二つの長細い防具を取り出す。


「これ、レガース。脚に着けるっす」


 言いながらこちらに歩み寄ってきて、そして立っている私の足元にしゃがんだ。


「えっ」

「一人で着けるの大変だし、慣れるまでは時間がかかるっすから、練習するときには誰かに手伝ってもらうといいっすよ」


 ジミーはこちらを見上げてそう言う。


「は……はい」


 誰かに? 手伝ってもらう?

 こんなに接近して? しかも足元に? しゃがまれて?


「はい、ちょっと足開いて」


 ジミーがレガースを私の膝下に当てようと、構えている。

 レガースから出ている紐状のバンドや、ジミーの動きを見るに、どう考えても私の足に腕を回そうとしている。

 いや、これは無理!


「あっ、あのっ」


 私は慌てて二、三歩、後ずさった。


「うん?」


 レガースを持ったまま、ジミーが顔を上げる。


「こっ、これっ、あのっ、今回は自分で着けるのでっ、次回からは、メ……メイドを呼んでもいいですか」

「メイドぉ?」


 ジミーが素っ頓狂な声を上げる。


「そっ、その……殿方に……こんなに近付くのは……その……」


 ジミーははーっと大きくため息をついた。


「貴族さまのお嬢さまは、いろいろと面倒なんすね」

「ご、ごめんなさい」

「まあ、殿下の妃になるかもしれないんすから、そうしないといけないんすかね」


 立ち上がりながら、頭をぽりぽりと掻いている。

 なんだか申し訳ない気分になった。


 ジミーはくるりと振り返ると、大きく手を振った。


「エディー!」


 向こうのほうにいたエディさまは、その大声に気付くと顔を上げ、こちらに駆け寄ってきている。

 それを見届けるとジミーは私に振り向いて、親指を立ててエディさまのほうに向けた。


「面倒なことはエディに言うと、たいていなんとかなるっす」


 ジミーはそう言って、歯を出して笑う。

 少し、エディさまが気の毒になった。


          ◇


 防具を着けるのに人手が欲しいと、いきさつを説明すると、エディさまは顎に軽く手を当てて何度かうなずいた。


「ああ、なるほど。確かに。ではメイドを何人か待機させましょう」

「すみません……」


 小さくなってそう頭を下げると、エディさまは口の端を上げた。


「いえ、こちらの配慮が足りませんで。他のご令嬢にも必要でしょうし、お気になさらず」

「はい、ありがとうございます」


 恐縮しつつ礼を述べると、エディさまは軽く手を上げて去って行った。


「じゃ、今日は自分で着けてもらうっす」


 ジミーは特に気分を害した風もなく、飄々としてそう言った。なので私はほっと小さく息を吐く。

 ベンチの中の椅子に座って、ジミーに教えてもらい四苦八苦しながら、レガースを装着する。それだけなのに、なんだかじんわりと汗をかいてきた。


「じゃ、立ち上がって屈伸してみて」


 言われて椅子から立ち上がると、その場で何度か膝を伸ばしたり曲げたりしてみる。


「まあ」


 意外に、動ける。ゴテゴテしているので、もっと動きが制限されるかと思っていた。


「じゃ、次はこれ。プロテクター」


 大きくて分厚いエプロンのようなそれを受け取り、言われた通りに装着する。


「次」


 ヘルメットを受け取り、そのあとにマスク。

 もたもたしながらも、なんとか言われた通りに装着できた。

 ふーっ、と息を吐く。


「い、いかがでしょう?」


 ジミーに問うと、彼は親指を立てて、にかっと笑った。


「大丈夫っす。ちゃんと着られてるっすよ」

「よかった」


 私はプロテクターの上に手を当てて、ほっと安堵のため息をつく。

 そのときだ。


「あの、捕手の方?」


 キャンディさまがこちらに駆け寄ってきて、ジミーに話し掛けている。


「ご指導なさっているところ申し訳ありません、わたくしも……」


 そこまで言いかけて、キャンディさまはなにかに気付いたようにこちらに目を向ける。

 しばらく黙って見つめていたが、キャンディさまは、ぽん、と一つ手を叩いて言った。


「ああ、コニーさま」

「はい」

「なんだか……かっこいいですわね」


 ちょっと笑いを噛み殺しているような気がするけれど、気のせいだと信じたい。

 私は少し唇を尖らせて、言った。


「キャンディさまも着けるんですよ」

「あら楽しみ」


 そう言って、キャンディさまはにっこりと微笑んだ。



*****


セーフティカップ・・・ファウルカップ。股間を守る防具。

痛がってるのを笑っちゃダメって、WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)代表で優勝経験ありの某捕手さんが怒ってた。

実は女性用も存在しています。

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