第22話 当然じゃない

 私たちはこの昼食会が開かれている部屋に隔離されているような形になっているけれど、一般の人も観戦に訪れているようだった。

 向かい側の内野席にもいくらか人がいるし、この部屋のすぐ近くの観戦席にも男性たちが座っている。


「負けんなよー」

「くっだらねえ試合見せんじゃねえぞー」


 などという声が、ここまで聞こえる。

 令嬢たちはそれに、「まあ……」と眉をひそめているようだった。


 そうしているうち試合開始を審判が告げたようで、マウンドに立っていた投手がボールを投げた。


「……よくわからないけれど、これが野球?」

「まあ、王太子殿下が観てほしいと仰っているのだから……」


 後方にいた令嬢たちも、試合が始まると、何人か観戦席のほうにやってきて腰掛ける。

 衛兵が、なにやら手に紙を持っていて、令嬢たちに配っている。

 私たちのところにもやってきて、一人につき一枚、手渡された。


 それに視線を落とす。

 その紙には、『野球とは、一チーム九人で戦い、二チームがそれぞれ点を取り合うゲームです』と大きく書かれてあった。

 あとは、グラウンドの略図が描かれているだけの簡素なものだった。

 皆、読んではみているけれど、首を傾げている。

 ウォルター殿下と話し合ったときに言っていた通りのものだな、と思った。


「わからないことがあれば、遠慮なくお訊きください」


 などと衛兵が言っている。彼らは選手ではないが、ルールは把握しているのだろう。

 さっそく、質問している令嬢もいるようだ。


「あら、あの棒でボールを打ったわよ」


 そんな声がしてグラウンドに顔を向けると、投手が投げた球を、打者が打ったところだった。

 そのボールは転々と外野まで転がり、打者は二塁まで走ってそこで止まった。


「ええと? ボールを打ったら、走るのね?」


 隣にいるキャンディさまがそうつぶやくように言う。

 そして、さきほど渡された紙を指差した。略図の二塁のところに指先を当てている。


「今、ここまで走ったわよね」

「ええ」

「どうしてかしら。どうしてここで止まったのかしら。というか、どこまで走ればいいの」

「えっと……たぶん……」


 私もそこまで詳しくはないから、自信はないけれど答える。

 野球観戦したときに兄に教えてもらったことを、一生懸命、脳内から引き出す。


「打ったボールを、外野の人が落とさずに捕ったらそこで終わりなんですけれど」

「う……ん」


 よくはわからなかったようだったけれど、先を聞きたがっているようだったので、そのまま続ける。


「今の場合はボールがグラウンドに落ちたので、打った人は塁上を走れるところまで走ります。それで、ボールを捕ったこの人は」 


 そう言って外野を指差す。キャンディさまがそれを見てうなずく。


「打った人が向かうところにボールを投げるんです」


 私は外野を指差していた指先を、二塁のほうに動かす。


「ボールよりあとに塁に到着すると、アウトになるんです。だからここで止まらなければならなかったんです」

「あうと?」

「アウトは……」

「三つアウトというものを取ると、攻守が入れ替わるのですわ」


 ふいに後ろから声がして、私たちは振り返る。

 ジュディさまの声だった。彼女はすました風にそこに腰掛けていて、そして口を開く。


「一塁、二塁、三塁と移動して、そして元いたところに帰ったら、一点が入るのですわ。これは点を取り合うゲームですから、帰る延べ人数が多かったほうが勝ち、ということです」


 すらすらと答えるジュディさまを、皆が目を瞬かせながら注目している。


「ですから、塁に進ませないように、守る側はアウトを取るのです。三つアウトを取られたら、いくら塁上にいてももうその回には点は入りません」


 しばらくその場はしん、としていたけれど、誰かが「まあ!」と声をあげた。


「お詳しいのですね、ジュディさま」

「わたくしの家の領地には球場がございますから、基本的なルールだけは押さえておりますの」

「ああ、そうでしたわね。それで」


 周りの人たちは、感心したようにうなずいている。


「さすがですわ、ジュディさま」

「野球にお詳しくて、そういえばさきほどのキャッチボールもこなしてらして、それになにより公爵家のお方ですもの」

「これはもうジュディさまで決まりですわね」


 などと令嬢たちは、ジュディさまを持ち上げている。

 ジュディさまは特に否定することもなく、ほほ、と笑った。


 未来の王太子妃、つまりは未来の王妃がそこにいる。

 令嬢たちの認識はそう変わったようだった。


 キャンディさまはそれをどう受け止めているのか、「なるほど」と口の中で言って何度も首を前に倒した。


「ありがとうございます、ジュディさま。なんとなくですけれど、わかりましたわ」


 キャンディさまは、にこやかにジュディさまにお礼を言う。ジュディさまは軽くうなずいてそれに返した。

 そしてキャンディさまはこちらに向き直ると、私に向かって言った。


「コニーさまもありがとう」

「いえ、わかりづらくてごめんなさい」

「そんなことはないわ」


 そう言って、にっこりと微笑む。それから首を傾げた。


「コニーさまは、どうして野球をご存知なの?」

「えっと……兄が、野球をしておりますの」


 ここで隠すのも変だろうか、と私はそう答える。

 すると、また声が飛んできた。


「そういえば、コニーさまのお兄さまは、ウォルター殿下のチームに所属しているのですよね」


 その声に、ばっと振り返る。ジュディさまは口元を笑みの形にして、こちらを眺めていた。

 私は戸惑いつつも、うなずく。


「え、ええ。その通りですわ」

「とてもご活躍とか。わたくしの耳にも届いておりますわ」

「いえそれは、わかりませんけれど……」

「まあ、ご謙遜を」


 そう言ってジュディさまは微笑む。

 そしてその内容に、周りがざわざわとし始める。


「ああ、それで……」

「道理で……」

「それでは上手いのも当然ですわね」


 そんな声が聞こえる。


「でもそれって、ずるくない……?」


 ひそひそとした声が広がっていく。


 私は思う。

 当然じゃない。

 私は最初はとても下手で、投げるのも捕るのもままならなくて、けれど身体中を痣だらけにしてがんばったから、そこそこできるようになったのだ。


「しかも、殿下のチームだなんて……」

「もしかして、試験内容をご存知だったのでは……?」

「ああ、だから……」


 試験内容なんて、私は知らなかった。

 もしかしたら兄は知っていて、私にキャッチボールをさせたのだろうか。

 けれど兄は、エディさまなら知っているだろうけれど自分は知らない、と言っていた。兄はそんな小細工をするような人間ではないことを、私はよく知っている。


 ひそひそと囁かれる声には反論することもできなくて、私は膝の上でぎゅっと両手を握りしめた。



*****


アウト・・・アウトの種類はたくさんあります。

大きく分けると、打者のアウト、走者のアウトがあります。そのどちらでも、とにかく一回に三つ取れば攻守交替です。

三振、ノーバウンドでの捕球、走塁死、が主なアウトですが、実はもっともっとたくさんあるのです。

とてもじゃないけどすぐに覚えられるものでもないので、審判さんのアウトコールがあったらアウト、でいいと思います。

「俺がルールブックだ!」

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