第21話 昼食会にて

 あとは発表だけだということで、私は着替えることにした。ただ、靴だけは履き替えないようにとの指示があった。

 更衣室に行くとやはり私しかいなくて、黙々とユニフォームを脱いでワンピースに着替える。

 着替え終わると、私は指定された部屋にとぼとぼと向かった。


 たどり着くと、衛兵に中に入るよううながされる。そして足を踏み入れるとそこには、パーティ会場が広がっていた。


 球場内にあるその部屋は、百名以上を収容できる広さがあり、ビュッフェスタイルで食事と飲み物が用意されている。

 到着したときにはすでに令嬢たちは手に飲み物が入ったグラスを持ち、歓談を始めていた。

 ちゃんとした昼食会のように見える。ここが球場内だなんて信じられないくらいだ。

 けれど球場内である証拠に、前方には試合観戦のための席がたくさん用意されていて、そこからグラウンドが一望できた。


 そこに一人座っていた人がこちらに振り向き、手を振った。


「コニーさま!」

「キャンディさま」


 私が歩み寄ると、キャンディさまも立ち上がり、こちらに向かってやってきた。


「お待ちしてたの。よろしければ一緒に食事を取りましょう」


 にっこりと微笑んで、彼女は言う。

 ちらりと辺りを窺うと、用意された大皿に入った料理は、もう半分程度になってしまっている。


「先に食べておいてくださってもよかったのに」

「あら、一人で食べるなんて味気ないもの。キャッチボールをした間柄なんだから、一緒に食べましょう」


 言いながら、料理が置かれたテーブルのほうに向かう。


「ねえ、あちらの牛肉、殿下の領地のものなんですって」

「そうですの」

「いただきましょうよ。美味しそう」


 給仕人がそこかしこにいて、私たちが希望すると、小皿に美しく食事を盛ってくれる。

 殿下が主催しているので当たり前といえば当たり前かもしれないが、本当にちゃんとしたパーティのようだ。


「試合がまもなく開始されます。観戦される方は、前のほうのお席にお進みください」


 衛兵の一人がそう声を張り上げる。

 ちらほらと動き出す人はいるが、ほとんどの令嬢は後方で食事を取りながら歓談を続けていた。


「あの、キャンディさま」

「はい?」

「わたくし、試合を観たいのですけれど……いいでしょうか」


 ずっと待ってもらって今来たばかりで、食事を取りだしたところに言うのは心苦しいが、やっぱり観たほうがいいのでは、とそう声を掛ける。


「そうね、観ましょう」


 キャンディさまはあっさりとうなずくと、この提案に乗ってきた。


「食事はどうしたらいいかしら」

「小さいですがテーブルがございます。よろしければそちらにお持ちいたします」


 傍にいた給仕人が私たちにそう声を掛けてくる。


「あら、そう。飲み物もよろしくて?」

「もちろんでございます」


 私たちはいくつかの食事と飲み物を指定すると、観戦席に移動する。

 あまり人がいなかったので、一番前の席に座れた。

 少しして給仕人が食事と飲み物を持って来て、私たちの間にある小さなテーブルにそれらを置く。同時に置かれたフォークを手に取り、お皿に乗ったお肉に刺した。


「これが、殿下の領地の牛肉?」

「そうみたい。いまや、なかなか食べられないそうよ。大人気で。まさかこんなところで食べられるとは思わなかったわ」


 はしゃいだ様子で、キャンディさまが肉を口に運ぶ。


「んー! 美味しい!」


 そう嬉しそうに言うと、頬に手を当てて口を動かしている。

 私もお肉を刺したフォークを、口に入れた。

 本当だ、美味しい。柔らかくて、噛むと肉汁が口の中に広がる。塩と胡椒だけのシンプルな味付けなのに、それでもこんなに旨味がある。


「本当、美味しい」

「これだけで、来たかいがあるというものだわ」


 にこにこと笑いながらキャンディさまが言う。私もつられて笑った。


「王太子妃になると、毎日こんなお肉が食べられるかしら?」


 キャンディさまの軽口に、私は小さく笑いながら答える。


「きっとそうですわ」


 そんな風に楽しく歓談していたのに、斜め後ろあたりからクスクスと嘲笑が聞こえて、私たちはそちらに振り返る。


「まだそんなことを言っている人がいるなんて」

「まあいいじゃない。夢は見させて差し上げましょうよ」


 そこにはご令嬢たちが五人ほど、固まって座っていた。


「あら、どういう意味かしら?」


 キャンディさまはすく、と立ち上がり、腰に手を当てて言い放った。


「ここにいる方たちは、王太子妃を夢見ていらした方だけだと思っておりましたけれど?」

「まあ、最初はそう思っておりましたけれど」

「けれど、ねえ?」


 令嬢たちは、そう言って金の髪の女性に振り返る。

 彼女は、背筋を伸ばして観戦席の真ん中あたりに腰掛けていた。アッシュバーン公爵家のジュディさまだ。


「あら、いかがして? わたくしになにか言いたいことでも?」


 そう言って、ほほ、とジュディさまは口元に手を当てて笑った。


「ジュディさま? この選考会は元々は女性たちに野球を観戦させるためのものであったと」

「ええ、わたくしはそう聞き及んでおります」


 そう言って、ジュディさまは深くうなずく。

 それを見て、令嬢たちは続ける。


「それが、陛下の意向に沿う形を取るために、王太子妃選考会に名を変えただけと」


 ジュディさまはその言葉ににっこりと微笑みを返した。

 そしてその笑みを崩さぬまま、続けて口を開く。


「まったく、ウォルター殿下は仕方ありませんわね。殿下は野球を広めることに心血を注いでおられますから」


 その言葉に、令嬢たちはほっと息を吐いた。

 そしてこちらに振り返り、言い募る。


「ほら。それに、ウォルター王太子殿下自身が『野球の普及も兼ねている』って仰ったわ」

「普通に考えて、王太子妃を野球が上手いからって選ぶだなんて、ありえませんもの」

「結局、この選考会は野球普及のためのもので、王太子妃選考会ではないのですわ。私どもはそれに早々に気付きましたけれど、いつまでも夢見るのも、みっともなくはなくて?」


 そう言って、またくすくすと笑いだす。

 それを見て、彼女たちの言う通りなのだろうか、と私の中にまた不安がはびこってくる。


 けれど。


「じゃあ、あなた方はそう思っていれば?」


 きっぱりとした声が隣からして、私は顔を上げる。


「噂や不確かな話には、わたくしは振り回されない。王太子妃募集の文書が各貴族の屋敷に届けられたのは確かだし、元々がどのような話であれ、殿下は『兼ねている』と仰っただけだわ。『これは、王太子妃募集の予選』だともきちんと仰られていたわ。だからわたくしは、それを信じます」


 腰に手を当てたまま、キャンディさまははっきりと言い切った。

 その堂々とした態度に、令嬢たちも不安に思い始めたようだ。ちら、とジュディさまを振り返る。

 ジュディさまはその視線を受け、口の端を上げて、静かに答えた。


「わたくしは、わたくしの知っていることを申し上げただけです。これは元々、女性たちに野球観戦をさせるために企画されたものだったけれど、陛下の意向を受けて、王太子妃選考会という名に変わったと。それをどのように受け取ろうと、それは自由ですわ」


 キャンディさまとジュディさまの言葉を受けて、令嬢たちはあちらこちらで目くばせをしている。皆が聞き耳を立てていたのだろう。

 どちらの話を信じればいいのか、迷っているようだった。


 けれど予選はもう終了している。

 私たちは、ただ結果を待つだけの身だ。


「試合開始の時刻です」


 衛兵の声が響き、ひとまずその場は終了した。

 キャンディさまは、勢いよく席に座る。


「なんだか、変な話が出回っているのねえ」


 多少、憤慨しているようだ。

 彼女は心からこれが、王太子妃選考会だと信じているように見える。


「キャンディさま」

「なに?」

「キャンディさまは、お強いのですね」


 私がそう言うと、彼女は小さく笑って答えた。


「ありがとう」


 その笑顔はやはり、貴族の娘らしく美しかったけれど、どこか快活そうで気持ちがいい。


 自分が信じたものを信じる。

 それは簡単なようで、とても難しいことのように思えた。

 私なんて、この予選会の最中だけでも、グラグラしっぱなしだ。


「あっ、始まるみたいですわ」


 キャンディさまは、グラウンドに目を向けて言った。

 選手たちがグラウンドに散って、守備位置についているのが見えた。



*****


現実でも、本当にこのようなパーティルームがある球場がいくつかあります。

けれど残念なことに、一般人が手を出せるお値段でもなければ、そもそも一般向けに販売していなかったりします。


作者は一度、こけら落としイベントに当選して招待されたことがありますが、控えめに言って最高でした。

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