第20話 キャッチボールは終了です

 立ちすくむ私に、声が掛けられる。


「コニー嬢」

「はっ、はいっ」


 私ははっとして顔を上げ、声がしたほうに振り向く。


「コニー嬢も、今の球をよく捕ったね」


 にこやかに殿下が言う。


「難しかっただろう。軌道が違うからね。それに、左ってだけで捕りにくいはずだよ」

「そうなんですか」

「うん、捕りにくいし、打ちにくい。よく捕ったよ」


 今、褒められた。けれど諸手を上げて喜ぶ気にはなれなかった。

 心の中に黒い靄がかかっているみたいに、重い気持ちが嬉しい思いを覆い隠してしまっている。

 私のそんな浮かない気持ちにはまったく気付かない様子で、殿下は続ける。


「うちのチームは、左腕さわんが少ないからね。球速はさほど出ないかもしれないけれど、右のあとの中継ぎにいいんじゃないかな。左のワンポイントで使っても……」

「殿下」


 ずらずらとしゃべり続ける殿下の言葉を、エディさまが遮った。


「長いです」


 眉根を寄せて、心底嫌そうに言う。

 殿下はまったく堪えない様子で、「ごめんごめん」と軽い調子で言った。


「じゃあコニー嬢、もう少し続けて」


 そして声を張り上げて、キャンディさまにも声を掛ける。


「サイドスローはもういいよ。普通に続けて」


 キャンディさまが向こうでうなずいた。

 私はまたキャンディさまに向き直ると、右腕を振った。


 後ろに殿下がいるけれど、なんだか力が抜けて、むしろさきほどよりもいい球が投げられるようになった。

 ポーン、ポーンと何度かキャッチボールを繰り返すうち、このスムーズな球のやり取りが心地よくなってきて、気持ちが落ち着いてくる。


 殿下とエディさまの声が、背後でしている。聞き耳を立てたつもりはないけれど、自然と耳に入ってきた。


「よし、三十名に絞ろう。本選で一人三球投げるとして、九十球。ちょうどいいだろう?」


 三十名。この予選で勝ち残れる人数。


「……一人三球、投げられますかね?」

「え?」

「一球も捕れない令嬢がほとんどだと思いますよ」


 ため息とともに、エディさまが言っている。

 けれど対して殿下は、明るい声音で返していた。


「それはまあ、今の状態ならね。けれど、本選は二週間後あたりにしようと思うんだ。確かに今のままじゃ、捕れないだろうし。捕手の練習をしてもらってから」

「二週間程度で捕れるようになるとお思いで?」

「捕れるよ。だって捕るだけだよ。牽制しろとか配球しろとか言っているわけじゃないんだ。まあ三球目は無理かもしれないけれど。というか三球目を簡単に捕られると、合格者が大量に出てしまうから、困るかな」


 殿下がなにやら力説していた。

 けれどエディさまは呆れたように応えている。


「一球目も二球目も、無理ですよ」

「そうかなあ」

「そうですよ」

「そんなことはないと思うけどなあ。私も全力では投げないよ。危ないし」

「……まあ、当日になればわかると思います」


 さっくりと、エディさまは話を打ち切った。


 聞いておいて言うのもなんだけれど、これは聞いてもいい内容だったのだろうか。

 本選に残るのは、この中から三十名。

 そして二週間後に行われる。

 本選の内容は、殿下の投げる球を、三球、捕ること。


 そのとき、パンッと手を叩く音が聞こえた。


「よし、これで全員見たね」

「そうですね」


 言いながら、殿下とエディさまは立ち去って行く。

 ベンチのほうに向かいながら、「終了してください」とエディさまが令嬢たちに声を掛けている。令嬢たちはそれを受けキャッチボールを終了し、令嬢たちに指南していた選手たちもベンチのほうに駆けていく。


 キャンディさまは最後のボールを受け取ったあと、私のほうに走ってきた。


「もういいの?」

「そうみたいです」


 ぞろぞろと令嬢たちがベンチのほうに歩いていくのを見て、私たちも同じように歩き出す。


「大丈夫だったかしら、けっこう上手くできたとは思うのだけれど」

「キャンディさまはきっと合格ですよ」

「そう? わたくしは、コニーさまは合格だと思うけれど」

「だといいんですけれど」


 そんなことを話しながら、令嬢たちが集まっているところに向かう。


 確かに私は、他の令嬢たちと比べれば、上手くできたほうだと思う。

 でもそれは、この一週間練習してきたからだ。していなかったら目も当てられない状況だったのは間違いない。


 選考基準は何なのだろう。

 もし、才能部分を問われたら。

 たとえばキャンディさまのように、すぐに捕球できるようになる人のほうがいいと言われたら。

 そうだったら、絶望的なのではないかと思う。


 私は本当に、合格できているのだろうか。

 不安な気持ちを抱いたままベンチ前にたどり着き、立ち止まる。


 そして、そんな不安は、新たな不安を連れてくる。

 公爵令嬢であるジュディさまが仰っていたことも気になっているのだ。

 そもそも、この予選会はただ単に、ウォルター殿下の戯れなのではないか。

 いや、これは今は考えないでおこう。確かでないことに振り回されるのは、よくない。


 そういう考えにたどり着き、私は顔を上げる。

 殿下もエディさまももういなくて、殿下のチームのユニフォームを着た人が一人だけ、そこにいた。

 彼は声を張り上げる。


「皆さま、お疲れ様でした。これで予選は終了です。結果はこのあと、発表いたします」


 ひそひそと令嬢たちが何ごとかを話し合っている。

 おそらくは、結果がどうなるのか、ということを囁き合っているのだろう。


「えー、結果発表の、その前に。昼食をご用意いたしております。食事を取りながら、試合をお楽しみください」

「試合?」


 令嬢たちが首を傾げている。

 私もキャンディさまと顔を見合わせた。


「このあと、このグラウンドで、ウォルター王太子殿下が率いるチームの試合が行われます。それを皆さまに観戦していただきたいとの殿下の思し召しです」


 男性のその言葉に、一気にその場が色めき立った。


「まあ、殿下のチームが?」

「では殿下も出場なさるの?」


 きゃっきゃっ、とはしゃぐような令嬢たちの声が男性に掛けられる。

 けれど彼は首を横に振った。


「いえ、今日は殿下は出られません」

「あら、そうなの」


 あからさまに、令嬢たちは落胆のため息をついた。

 それなら結果を聞いたら理由をつけて帰ろうかしら、などと考えているのが目に見えるようだった。


「ウォルター殿下は今日の審査を試合中になさいます。そして試合終了後、殿下から予選通過者をお知らせいたします」


 なるほど。それでは令嬢たちは帰れない。

 これで、殿下の「女性たちに試合観戦してもらう」という目的は達成される。


 やはりこの選考会は、王太子妃選考会の皮を被った試合観戦会なのかな、とこっそりとため息をついた。



*****


左腕さわん・・・左ピッチャー。左腕ひだりうでで投げる投手。


中継ぎ・・・ピッチャーは分業制。先発、中継ぎ、抑えと継投する。

最初から投げる先発、試合の最後の回を投げる抑え、の間を投げる投手を中継ぎと呼ぶ。

ちなみに、先発が中継ぎも抑えも使わず最後まで投げ切ることを、完投と言う。

先発が投げる球数は、たいていの場合は100球前後のため、中継ぎ運用大切。作中で殿下が「ちょうどいい」と言っているのは、この100球を目安にしているから。


左のワンポイント・・・一人の左の強打者相手にだけに投げる左腕のこと。

たった一人のために登板して、去っていく。

左キラー、マジかっこいい。

そしてメジャーではこのワンポイント起用を2020年シーズンから禁止しました。

なので日本プロ野球でも検討するってよ。本気かよ。やめようよ。


牽制しろとか配球しろとか・・・捕手の大事なお仕事。

盗塁を阻止したり、投手の投げる球を組み立てたり、とっても忙しい。

甲斐キャノンは割とトラウマ。

今回、コニーたちはこれをする必要がありません。

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