第19話 才能の違い
片足を上げて体重移動。なめらかに動いている。左利きなので違和感はあるけれど……。
「えっ」
ボールが飛んでくる。まっすぐに。私の胸に向かって。
私は呆然としたまま、そのボールをグラブで受け取った。
しばらくグラブの中に納まったボールをじっと見つめてしまう。
嘘でしょう?
これが、初めてボールを投げる人の球なの?
私なんて、兄の指南を受けて、やっと投げれるようになったのに。
じっとボールを見つめる私を不審に思ったのか、キャンディさまの声が飛んできた。
「こんな感じー?」
はっとして顔を上げる。いけない、呆然としている場合でもなかった。
「はい、すごいです! 本当に初めてなんですか?」
「ええ、そうよ。じゃあこれでいいのね、よかった」
キャンディさまは、ほっと胸を撫で下ろしている。
いいもなにも、初めてでこんな球を投げられる人がいるなんて。
これが、才能の違いというものなのだろうか。
「じゃあ、投げますねー」
「はーい」
私は握りを確認して、兄に教わったことをもう一度頭の中に思い浮かべて、そして右腕を振った。
私が投げたボールは、ポーンとキャンディさまのところへ飛んでいく。
よかった、とりあえず、まともに投げられた。
ほっとしながら自分の投げたボールの行く末を見守る。
キャンディさまはボールが落ちる場所にすっと入ると、グラブを差し出して、何の苦もなく白いボールをグラブの中に収める。
投げるだけでなく、捕球も一度で。
私は呆然と、キャンディさまを見つめた。
「わあ、難しいわね。落としそうだわ」
そう言って左手にボールを持ち替えると、グラブの中で右手を握ったり開いたりしている。
ええ、そうなの。難しいの。なのに、一度で捕ったの。ボールを怖がる素振りも見せないで。
すごい。
「投げまーす」
そう言って、キャンディさまはまたこちらにボールを放ってきた。やっぱりまっすぐに胸元に飛んでくる。
捕りやすい。ほとんど動くことなく、私は飛んできたボールをグラブで受け取る。
一度でこんなにできるのなら、練習すればどれだけ上手くなるのだろう。
私が一週間かけてやっとできるようになったことを、この人は難なくやってのけてしまうのだ。
どうあがいても、敵わないのではないの……?
何度も何度もボールを投げたり捕ったりしているうち、そんな考えがどんどんと胸の中に広がってくる。
私が何度目かの球を捕ったとき、ふいに声がした。
「この組は、ちゃんとキャッチボールができているね」
慌てて振り返ると、殿下とエディさまが私の後ろに立っていた。
「なにも言うことはないなあ。あとは慣れるだけだよ」
にっこりと微笑んで、殿下が言う。
「あ、ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げる。
これは、褒められた、と思っていいのだろうか。だったら嬉しい。
「あ、いいよ、続けて」
「はっ、はいっ」
言われて私はまた、キャンディさまのほうに向き直ると、握りを確認する。
殿下がご覧になっている。そう思うと急に、どっと冷や汗が出てくるような感覚がした。
落ち着いて。落ち着かなきゃ。
私は一つ、大きく息を吐くと、腕を振った。
けれど、ボールはすっぽ抜けて、右上のほうに飛んでいく。
「あっ、ごめんなさい!」
失敗してしまった。なんてこと。
けれどキャンディさまは、飛んでいったボールを走って追うと、軽くジャンプして球をグラブに収めてしまった。
嘘。あんなこともできるんだ。
「今のは腕を振れていなかったね」
背後から、殿下の声がする。
私はそちらに向き直り、「すみません……」と小声で言った。
「いや、謝ることじゃないよ」
苦笑しながら殿下が言う。
「大丈夫、そのままがんばって」
「ありがとうございます」
私が頭を下げると、殿下とエディさまは今度はキャンディさまのほうに目を向ける。
キャンディさまは、タタッとこちらに駆けてきて、ぺこりと頭を下げた。
殿下はにこやかに彼女に言う。
「君、筋がいいね」
「まあ、嬉しゅうございます」
キャンディさまは、楚々としてそう答えた。
「名前は?」
「わたくしは、シスラー子爵家のキャンディと申します」
「そうか、覚えておこう」
うんうん、と殿下がうなずき、エディさまは手に持ったメモに何ごとかを書き込んでいる。
これは、キャンディさまの予選通過は間違いないのではないだろうか。
私は失敗してしまったのに……。
なんだか少し、肩が落ちる。
「キャンディ嬢は、野球経験があるのかな」
「ございません」
「ええ? それでここまでできるのか。すごいな」
感心したように殿下が言う。
殿下の目から見ても、やはりすごいのだ。
「わたくしの家は田舎なものですから……。雪合戦をしたり、川に向かって石を投げたりして遊んでいましたから、そのせいかもしれません」
ちょっと照れながらキャンディさまが言うと、殿下は少しはしゃいだような声を出した。
「じゃあ、水切りとかしたことは?」
「水切り? あの、水面を石が跳ねる……」
「そうそう」
嬉しそうに殿下がうなずいている。
「ございます」
「ちょっと、その要領で投げてみて」
「え? はい」
言われて、キャンディさまはまた元の位置に戻っていく。殿下とエディさまは、私の後ろに下がった。
キャンディさまは、こちらに向き直ると。
「投げまーす」
そう声を出したかと思うと、さきほどまでとは違い、腕を横から振ってボールを投げてきた。
ボールの軌道が違う。浮き上がるようにこちらにやってくる球。
私はなんとかそれをグラブの中に収めた。
「左のサイドスロー! いいね!」
殿下は私の後ろで、そう明るい声を出した。
「左のサイドスローはほとんどいないんだ。君、すごくいいよ!」
大声で、キャンディさまにそう伝えている。キャンディさまはその言葉に、深く腰を折る。
私は呆然と、グラブの中のボールを見つめつつ、それを聞くしかできなかった。
*****
サイドスロー・・・腕を横に振ってボールをリリースする投法。
サイドスローなだけでも少ないのに、左となるともっと少ない。戦力として幅が広がるので、とってもいい。
さて、利き腕で野球人生が決まってしまう、ということは多々あります。
左利きの少年が野球チームに入ったら、まず「ピッチャーやってみようか!」と言われたりします。
利き腕により有利不利があるポジションがあるとはよく言われることです。
では捕手はどちらが有利?
そんなこんなで、かつての高校球児がお父さんになると、息子を右投げ左打ちにしたがりがち。
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