第18話 キャッチボール開始です

 何人かの令嬢は、もうキャッチボールらしきものを始めている。


「いやだ、届きませんわ。ちょっと遠すぎではなくて?」

「ちゃんとこっちに投げてくださいな」


 などと言っている声がする。

 二本の線の真ん中あたりでボールが止まってしまって、それを二人ともが取りに行かずに眺めている、という状況になっている組もある。

 かと思うと、「きゃー!」「怖いー!」「いやー!」という叫び声が聞こえたりもする。


 わかりますわかります、と、思わずうんうんとうなずいた。

 私は令嬢たちの様子を眺めながらストレッチをしつつ、そわそわとキャンディさまを待っていた。


 すると、ベンチの奥のほうから、何人かの殿方が出てくるのが見えた。ウォルター殿下とエディさまのユニフォームと同じものを着込んでいるから、きっと殿下のチームの人たちなのだろう。


 ということは。

 私は殿方一人一人に目を向ける。

 そしてその中に私と同じ黒髪の、見慣れた姿の男性を見つけた。


 ラルフ兄さま!

 私は驚いてしまってストレッチもやめて、呆然とその姿を見ていた。

 すると私に気付いたのか、兄はこちらに一度視線を寄越したけれど、ふいっと顔を背けてしまった。

 兄は意図的になのか、こちらには振り向きもしない。


 男性たちはバラバラに散って、もたもたとキャッチボールらしきことをしている令嬢たちに声を掛けている。

 私が初めてキャッチボールをしたときよりもひどい有様の令嬢も珍しくない、という惨状に、彼らが指南役として呼ばれたのだろうと思われた。

 そして兄が私を無視したのは、きっと、「贔屓」と思われてはいけないからだろう。

 ならば私も兄はいないものとして振る舞おう、と誓ったところで。


 グラブを選んだのは最後の最後になってしまったらしいキャンディさまが、やっとやってきた。


「ごめんなさい、遅くなって」

「いえ」


 息せき切ってこちらに走ってきたから、なにも言うことなどない。

 キャンディさまは困ったように眉尻を下げて言った。


「わたくし、左利きなの。それで合うグラブがなかなかなくて」

「そうでしたの」


 なるほど。

 キャンディさまが手にしているグラブは、私のものとは作りがまったく逆のものだった。


「むしろ、よくありましたわね」

「本当に。よかったわ」


 そう言って微笑む。

 貴族のご令嬢らしく美しい笑みなのだけれど、どこか快活そうで、感じの良い笑顔だった。


「ボールもいただいてきたわ。グラブの箱の近くに用意されていたから」


 そう言ってキャンディさまは、グラブの中に挟んでいた白いボールをこちらに見せてきた。


「では行きましょう」

「はい」


 二人して、皆がキャッチボールをしている辺りに向かう。

 男性陣は、特にもたついている令嬢を見つけるとそちらに向かって行き、なにやら指南しているようだった。


「キャンディさまは、一度もなさったことはないのですよね」

「ええ」

「では教わったほうがいいのかしら」

「そうね。でも、手いっぱいみたいよね」


 しばらく見つめていたけれど、本当に手が空いていないようだ。

 ユニフォームを着た男性たちは、全員がもれなく誰かに付きっきりになってしまっている。一人が終わった、と思ったらまた別の令嬢のところに飛んでいかなければならない、という状況だ。


 殿下とエディさまといえば、端から順に、令嬢たちのキャッチボールを眺めたあと、なにやら話し掛けている。それから殿下が一言二言言って、そして隣でエディさまがなにかを書き留めている。

 きっと、アドバイスもしつつ審査を行っているのだろう。


「とにかく位置に付きましょうか」

「ええ」


 私たちは二人して、列の端っこに向かって歩き出す。もう皆、始めているのでそこしかなかったのだ。


「できれば教わってからがいいと思ったのだけれど、その間、ただ待っているのもね。もうすでに、コニーさまをずいぶん待たせているし」


 困ったようにため息をつきながら、キャンディさまが言う。


「あ、じゃあ、ボールの握り方だけ」

「あら、教えてくださる? ではお願い」

「えっと、こんな風に持つのですけれど。縫い目に指を引っかけるような感じで」


 私はボールを受け取って、そして握ってみせた。キャンディさまのほうに見せつけるように差し出すと、彼女は一つ、うなずいた。


「なるほど」


 そう言ってボールを受け取ると、すっと握ってみせた。


「どうかしら」


 ボールを握った手を、こちらに向けてくる。

 左利きなので少し違和感はあるが、もう何も言うことはない。


「ええ、いいと思います」

「そう、よかったわ」


 ほっと安堵の息を吐きながら、キャンディさまは言う。


「呑み込みが早いのですね。わたくし、最初は握り一つでも戸惑ってしまって」


 苦笑しながらそう言うと、彼女はにっこりと微笑んだ。


「わたくし、なんでも呑み込みは早いのだけれど、その分、伸びないのよ」


 言いながら、身を翻す。


「ではこれで投げてみるわね!」


 そう声を出しながら、張られたロープの向こうに早足で歩いていく。

 そして到着すると、「いくわよー」と言うやいなや、こちらにボールを投げてきた。

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