第11話 お兄さまとキャッチボール

 私たち兄妹は、ユニフォームに着替えて庭に出た。

 なにせ無駄に広い庭だ。どこでも練習はできる。


 兄が買ってくれたユニフォームは、一番小さいといえどブカブカで、あとでメイドに裾上げしてもらうつもりだ。上着は半袖なのに、袖口が肘のあたりにあった。パンツの腰回りも大きくて、ぎゅっとベルトで締めて落ちないようにしている。


「なんか可愛いな」


 そう言って、兄がくつくつと笑う。私はぷうと頬を膨らませた。明らかに、褒め言葉ではなかった。


「お兄さまが買ってきたんです」

「子ども用にすればよかったかな」

「……これでいいです」


 子ども用もあるみたいだけれど、それはなんとなく抵抗がある。私はもう大人だもの。淑女用があったらよかったのに、と思う。


 女性にはまったく広がっていない、と殿下は仰っていたけれど、可愛いユニフォームがあったら始める女性ももしかしたらいるかもしれないな、と思った。


 兄が自分のグラブを左手にはめて、そして右手にあるボールを軽くその中に投げ込んだ。


「じゃ、とりあえずキャッチボールから始めようか」

「きゃっちぼーる?」

「二人一組で、ボールを投げ合うんだよ」


 何度か自分の右手から左手にボールを投げたあと、兄はそのボールを私に差し出した。


「これ、ボールね」


 そう言われて手を差し出すと、その上にボールを乗せられた。

 白い球に、赤い糸で縫い目がある。なにか丸いものを白い革二枚で包んで、それを縫い合わせているみたいだ。


「意外に、重いのですね」

「うん、それに硬いよ。だから気を付けてね」

「へえ……」


 本当だ。ぎゅっと握ってみると、弾力があまりなくて硬いのがわかる。

 私は兄がしていたように、右手から左手のグラブに向けて、ボールを投げ込んでみた。上手く捕れなくて、ボールがすとんと足元に落ちる。


「あ」


 私は慌ててそれを拾い上げると、今度はグラブを上に向けて、その中にボールを落とした。それだけでけっこうな衝撃があるように思えた。


「当たると痛そうです」

「痛いよ。本当に」


 兄はしかめっ面をしてみせた。心底嫌そうな表情だ。


「え……そんなに……?」

「そんなに」


 兄はゆっくりと、力を込めてうなずいてみせた。


「だ、大丈夫……なんでしょうか」

「殿下の球を受けるのなら、防具は貸してくれると思うよ。当たっても大丈夫なように」

「そうなのですか」


 私はほっと息を吐く。

 けれど。


「でも痛い」


 追撃があった。


「こ……怖いです」


 私の身体は小刻みに震えた。兄が真顔なのがなおさら怖い。


「厳しい試練となる、って言っただろう?」


 兄はそう言って、こちらをじっと見ている。

 怖くないよ、とは言ってくれないらしい。


「が、がんばります」

「よし」


 そう言って、兄は私の手にあったボールに手を伸ばし、また自分の右手に持った。


「これ、持ち方ね。よく見て」


 言われて兄の手をじっと見る。

 人差し指と中指と親指の三本でボールを支えているように見える。


「人差し指と中指は、縫い目に掛けるようにね。はい」


 そう言われてボールを差し出され、私は見よう見まねで兄と同じように握ってみた。


「持ちにくいです……」


 ぎゅっと五本の指で握るのではいけないのだろうか。そのほうが簡単なのに。

 私の声は無視して、兄は続ける。


「手のひらで握りこまないようにね。親指は腹じゃなくて側面で」


 兄は自分のグラブを脇に挟み、両手を使って私の指を動かした。

 そして手を離すと、言った。


「そうそう。これが正しい握り方だよ」

「これが……。難しいですね」


 私は自分の手の中のボールをじっと見る。

 なんとかボールを握ってはいるけれど、手がつりそうだ。


「慣れだよ、慣れ。殿下の球を受けるのなら返球することもあるかもしれないから、きちんと覚えないと」


 殿下に返球。

 そんな素敵なことをしてもいいなんて。

 がんばらなくっちゃ。


「じゃ、それで投げてみようか」


 言いながら、兄は走って私から十歩ほど離れた。

 そして両手をあげて、私に向かって言った。


「思い切り投げてみて」

「思い切り?」

「思い切り」


 そう言って首を前に倒す。

 なので遠慮はいらないらしい。

 大丈夫かしら。当たったら痛いのよね。

 けれど、思い切り、と兄が言うのだから。


「えいっ」


 私は思い切り、力を込めて腕を振った。

 けれど。

 ボールは私のすぐ前に叩きつけられ、そしてコロコロと転がった。


 私はボールを投げた体勢のまま、しばらく固まってしまう。

 転がったボールの行方を、兄と二人して目で追って、そして完全に止まってから。


「うん」


 兄はうなずく。そして。


「そんな気はしてた」


 にこりともせずに、そう言った。



*****


いきなり硬球で練習を始める兄は、鬼。


初めてのキャッチボールはゴムボールがいいと思います。軟球でもけっこう痛いです。

恐怖心は、何年も何年も何年も何年も引きずります。実感。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る