第7話 ウォルター殿下にお会いしたときのこと その3
球場内にある、来客用と思われる部屋のソファに、私は兄と二人で並んで座っていた。
向かいには、ウォルター殿下が腰掛けている。
その事実にさきほどから気を失いそうなので、私は心の中で自分を叱咤し続けていた。
「コニー嬢は、何度か観戦してくれているのだよね?」
「あっ、はい、でも……」
「コニーはまだ、二回目なんですよ」
兄がそう補足する。
「そうなんだ。やっぱりラルフに勧められて?」
「えと、はい、そうです」
少なくとも、一回目はそうだ。
「やっぱり身内が出るくらいのことでもないと、球場に足は運ばないのかな」
「そう……かもしれません」
兄がいなければ、確実にそうだっただろう。
本当に、兄には感謝しかない。
今のこの夢のような時間だって、兄がいなければなかったのだ。
殿下はソファに浅く腰掛け、開いた足の間で両手の指を組んでいる。
大きな手だ。そして指先がとても綺麗な人だな、と私はぼうっとして殿下の手を眺めていた。
殿下は穏やかな表情で、こちらに問いかけてくる。
「女性に人気がないのはどうしてだと思う? 私は野球は、女性が見ても面白いのではないかと思っているのだけれど」
「えっと、あの……」
どうしてだろう。
私は王太子殿下のお姿が見たいからまた来たいと思うけれど。もしかしたら他の女性たちだって、あの立ち姿を見たらまた来たいと思うのかもしれない。
殿下がどれだけ素敵なのか、他の女性たちは知らないからですよ、と心の中で思う。
でももちろん、それを口にするのは恥ずかしい。
もごもごと口を動かしていると、兄が隣でパンッと手を叩いた。
「あっ、僕、それは少しわかる気がしますよ」
「へえ、なに?」
興味を引かれたのか、殿下は兄に目を向ける。
「こいつ、怖くて普通の観客席には行けないんですよ。なっ」
兄に同意を求められて、私はこくこくとうなずく。
「怖い? どうして」
殿下は首を傾げる。
私はおずおずと答えた。
「あの……お酒を飲んだ男の人たちが、いっぱいいて……。それで、大声をあげたりしていて……」
「ああ、なるほどね」
殿下は私の言葉に納得したように何度もうなずいた。
「グラウンドにいるとそこまでは聞こえないし、気付かなかったな」
「殿下の投げる日は、他の日よりかなり大人しいですよ」
あれで?
私は思わず顔を上げて、兄の顔をじっと見つめてしまった。
私が観に行った初日、あの日は殿下が投げていた。それでも、けっこう荒れていたように見えたのだけれど。
他の日は、あれ以上なのか……。
私はぶるっと身体を震わせた。
「そうなのか。じゃあ衛兵を観客席に配置しようかな。入り口には置いているんだけれど」
「でもあまり多いと、今度は威圧感があるかもしれないですね」
「そうだね。難しいな」
そう言って、眉根を寄せて考え込んでいる。
「まあ、少しずつ配置や人数を変えて試しながら、やってみよう」
身体を起こして一つうなずくと、そう言った。
そしてまた、私のほうに振り向いた。
「やっぱり女性の意見は参考になるね。他には?」
そう言われて、私は一生懸命考える。
少しでもお役に立てるのなら、と今までの観戦を思い返す。
そして横にいる兄の顔を見た。そうだ。最初は、兄がいたからそれなりに楽しく観れたのだ。
「あ、あの」
「うん?」
「あの……そもそもわたくし、ルールがよくわからなくて……」
結局のところ、なにをやっているのか今一つわかっていないのだ。
私の場合は、兄が隣にいて教えてくれたけれど。
「つまり、野球というものがどういうものなのかがわからない?」
「は、はい」
私がうなずくと、殿下は腕を組んで考え込んだ。
「それは難しいな。どうしたらいいんだろう。簡単なルールを書いたものを配布したほうがいいのかな」
殿下の言葉に、兄は首を傾げた。
「読みますかね」
「そうだよね。興味ないなら読まないよね」
あっさりと兄の言葉に同意した殿下は、兄と顔を見合わせて二人で考え込んでいる。
「まあでも、やらないよりはやったほうが」
「配布するにしても、どこまで書けばいいんだろう」
「どこまで、もありますけど、どこから、というのも考えないと」
「九人で一チーム、それで二チームが対戦しますよ、というところからかな」
「攻守が入れ替わる、ということも書いたほうがいいでしょうか」
「スリーアウトでチェンジというのもいるかな」
「そうですね、それで九回までやるということも。二十七個のアウトを取らなければいけない、というのがわかれば」
「二十七個でないこともあるけれど……コールドは公式戦ではないから考えないとして、延長戦はとりあえずいいかな。雨天コールドもいらないか」
「ええ、それはまた追々」
「ああ、もしかしたら、どうなったらアウトになるのかも書かないといけない?」
「あー、そうかも。ノーバンで捕ったらアウト、ベースに到着する前にタッチしたらアウト、それから」
「スリーストライクでアウト、となるとフォアボールで出塁、これもいるかな」
「そういえば、そもそもダイヤモンドを一周してホームを踏んだら点が入るってことも書かないと」
「そうだね」
そして殿下は私のほうに振り向いた。
「コニー嬢はどう思う?」
「えっ」
「どこからどこまで書けばいいかな。観戦初心者の女性からすると」
殿下と兄が、私に注目している。なんだか顔が熱くなってきた。
私は少し俯いて、指先を弄びながら、言った。
「あ、あの……正直に申し上げますと……」
「うん」
「今、兄と話し合っておられたことのほとんどの意味が、わかりませんでした」
まるで外国語です。
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