第6話 ウォルター殿下にお会いしたときのこと その2

「でっ……殿下っ……」


 私は慌てて身を翻し、兄の背中に隠れた。

 ウォルター殿下。どうしてここに。

 だって試合には出ていなかった。

 だからこそガッカリしていたというのに。


「ラルフの妹御、でいいのかな」


 にっこりと微笑んで、ウォルター殿下は言った。

 いけない、隠れている場合ではない。挨拶しなければ。

 私はなんとか動揺を押し隠して兄の背中から出ると、ワンピースの裾を少し持ち上げて足を引き、淑女の礼をした。


「し、失礼いたしました。ご拝顔賜り光栄に存じます、ウォルター王太子殿下。わたくしはユーイング男爵家が長女、コニーと申します」


 なんとかそう挨拶したけれど、声が震えている。

 ああ、こんなみっともない姿を見せてしまうなんて。

 けれど殿下は穏やかな声音でこう返してきた。


「コニー嬢、球場ではそういう堅苦しいのはいいからね」


 そうは言われても、急に気さくにできるものでもない。


「ありがたきお言葉を賜りまして……」


 私の言葉に、ははは、と殿下は声をあげて笑った。


「まあそうなっちゃうんだよね。ラルフはもう慣れたみたいだけれど」

「そうですね、今はもう」

「身分は関係ないけれど、先輩はちゃんと敬うんだよ? わかってる?」

「ついでにそこも、関係ないようにして欲しいんですけどね」


 兄は肩をすくめてそんなことを言う。殿下はそれを聞いてくつくつと笑っている。見ている私のほうがハラハラした。

 そしてふと、殿下はこちらに視線を寄越してきた。深い海の色の瞳が私を見つめる。

 思わず私の身体がびくっと震えた。

 それを知ってか知らずか、殿下は柔らかな笑みを口元に浮かべた。


「女性に野球を気に入ってもらえて嬉しいよ。男性の間ではそこそこ広がったと思うけれど、女性にはまったくと言っていいほど、知られていないから」

「そ、そうなんですか」

「なんとなく、なのかな? 野球を気に入ってくれたのは」


 まさか本人を目の前に、「殿下のお姿が見たいからです」だなんて言えるわけもなく、出してくれた答えに私は、こくこくとうなずいた。


「は、はい。なんとなくです」

「最初は、興味を持ってくれたらそれだけでいいからね」


 私はその時点で、かなり舞い上がっていた。

 目の前で、憧れの王太子殿下が私に向かって言葉をくださっている。

 こんな幸運があるだろうか。

 私は兄に心から感謝した。


「明後日は私が投げるんだよ。よかったら来てほしいな」


 そう言って殿下が微笑む。


「はっ、はい! ぜひ!」


 嬉しい。今日は見られなかったけれど、明後日には殿下が投げるお姿が見られるんだ。なにを差し置いてでも来なければ。


「今日は投げなかったのですね」

「ああ、一週間に一回くらいかな、試合で投げるのは」

「そうなんですか」


 一週間に一回。たったそれだけ。

 ではいくら観戦に来たって、殿下が投げる日に当たるのは難しいのかもしれない。

 やっぱり王太子である彼は、野球ばかりはしていられないのだろうか。

 けれど殿下は言った。


「それ以上投げると、肩を壊してしまうから」

「えっ?」


 私はその言葉に視線を殿下の肩に送ってしまう。


「肩が……壊れるんですか?」


 私は花瓶が落ちて割れる様を頭に思い浮かべた。

 壊れる? 肩が? どんな風に?

 私が思わず首を小さく傾げると、殿下は苦笑して言った。


「壊れるよ。大事に扱わないと」

「はあ……」


 よくはわからないが、殿下が言うならそうなのだろう。

 釈然とはしないけれど、無理矢理納得してみる。

 殿下は私をしばらくの間じっと見つめたかと思うと、口を開いた。


「いい機会だから、女性の意見も聞いてみたいな。今、時間はある?」

「はっ、はい!」


 一も二もなく、私はうなずいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る