第5話 ウォルター殿下にお会いしたときのこと その1

 初めて兄の試合を観に行ったとき、私はそんな風にウォルター王太子殿下に魅了されてしまったわけだけれども。

 だからといって、お近づきになれるだなんて考えたことはなかった。


 私は一応貴族の端くれではあるけれど、わずかな領地を与えられただけの男爵家の人間で。

 王太子殿下とは一生交わることもない人生を送るはずだった。


 でもせめて、あの素敵なお姿を何度でも見たいと思ったのだ。

 球場に行けば見れるのだ。

 それだけで、野球というゲームに感謝したいとすら思う。


 けれど。

 私が二回目の観戦をした日のことだ。試合が終わったあと、私は兄が控室から出てくるのを待っていた。


 壁に寄りかかって待っている間、ため息が出て仕方なかった。

 その日、マウンドに立っていたのは、ウォルター殿下ではなかったのだ。


「お待たせ。帰ろうか」


 控室から出てきた兄は、浮かない表情をしていたのであろう私を見て、首を傾げた。


「どうかしたか?」

「ラルフ兄さま……」

「うん?」


 でも、「ウォルター殿下は?」と訊くのはなんとなくはばかられて、私は言う。


「お兄さま、わたくし、また観に来たいです。何度でも」


 今日はいなかったけれど、次はいるかもしれない。

 なにか事情があって、今日いなかっただけかもしれない。

 だって彼は王太子だもの。いくら熱心といったって、野球ばかりはしていられないのかもしれない。


 兄は私の言葉を聞くと、破顔した。

 そして胸を張って言う。


「そうかそうか、面白かったか。今日は僕も活躍したからな」

「そうなのですか」


 気付かなかった。

 首を傾げる私を見て、兄はがっくりと肩を落とした。


「……うっそだろ」

「ご、ごめんなさい、お兄さま。ええと、お兄さまはどこにいらしたのです?」

「……うっそだろ」


 はあ、とため息をついたあと、兄は言った。


「僕は、守備のときは二塁と三塁の間あたりにいるよ」

「ああ」


 私はその日の試合内容を思い出す。

 そういえば、そのあたりに球が飛んだとき、横っ飛びで飛びついた人がいた。


「あれ、お兄さまだったのですね。素敵でした。アウトというものを、一つとったのですよね」


 思い出した私は、こくこくとうなずいた。


「なんだ、ちゃんと見てたんじゃないか」

「見てます。ただ、なにがなんだかわからなくて……」


 一回目に観戦したときは、兄が隣についていろいろと説明してくれたのだけれど、今日は訳がわからないまま観ていたのだ。

 なんとなく、はわかるのだけれど。


「そうかあ。こないだはスタメンじゃなかったから、解説できたけどなあ」


 頭を掻きながら、兄がそう言う。


「解説できるときはするけど、そうじゃないときも来たい?」

「はっ、はい! 来たいです!」


 私は勢い込んでそう言った。

 それを見て、兄は首を傾げる。


「ずいぶん気に入ったようだね」

「えっ、ええ、まあ」


 私は慌ててそう言う。

 純粋に野球が面白いと思ったのではない、と知られるのは恥ずかしかった。


「それなら、いつでも来たらいい。でも、普通の客席は怖いのだよね?」

「はい……」


 酔っ払った男性たちに囲まれることになるのは、想像するだけで身震いする。


「じゃあ話を通しておくよ。特別席に入れるように」

「本当ですか! 嬉しいです!」


 はしゃいだ声でそう言うと、兄は微笑んだ。


「女の子が野球を気に入るのは珍しいなあ。どういうところが好き?」

「えっ、どういうって……」


 私は返事に窮した。

 ウォルター殿下のお姿を見たい。その一点しかない。

 どうしよう、なにか、なにか他のこと。


「あの、えーっと」

「うん?」

「その……あの……」


 なにも言えなくて、私はしどろもどろになってしまう。

 そんな私を見ていた兄は、ぽつりと言った。


「……浮かばない?」

「……はい」


 呆れかえったような表情をして、兄はつぶやいた。


「いったいなにが気に入ったんだろうなあ」

「ええと……」

「なんでもいいじゃないか」


 ふと背後から声がして、私の肩は跳ねた。

 ばっと振り向くと、そこに、金色の髪をした青年が立っていた。



*****


スタメン・・・スターティングメンバーの略。最初に選手として試合に出る9人×2。


ちなみにラルフの守備位置はショートストップ。遊撃手。

たいていベンチ入りはしていますが、スタメンでないときは球場内で解説する余裕はありますよ設定。そのあたりは厳しくないよ設定。代打とか代走のときには呼び出しちゃうよ設定。

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