第2話 ウォルター王太子殿下
我が国の王太子は十歳のとき、外遊に行く途中、遭難した。王太子の乗った船が、寄港先に現れないまま姿を消したのだ。
懸命に捜索を続けたが、広い海の上のことだし何年も行方がわからず、もうこれは無理なのではないかと諦めかけたころ、王太子はふらりと国に帰ってきた。
彼は十四歳となっていた。
「すまない。乗組員は皆助かったが、船が壊れてしまって、帰るのに時間がかかった」
子どもであった彼は少年に成長し、精悍な顔つきに変わっていたが、けれどその面影は残していた。
間違いなく、王子が帰還したのだ。
「よくぞご無事で……!」
修復された船が港に到着したと報告を受け、重鎮という重鎮が彼を涙ながらに出迎えた。
そしてその船には、たくさんの訳のわからない道具が乗っていた。
それらを見て首を傾げる重鎮たちに、王太子は言った。
「野球というゲームをやるための道具だな」
「ヤキュウ?」
「そうだ。面白いぞ!」
王子の帰還を心待ちにし出迎えに来た重鎮たちを前に、彼は楽し気に笑いながらそう言い放ったのだそうだ。
王太子の領地には、アオダモの木が植樹された。ヤキュウをするために苗木を何本か貰って帰って来たそうだ。
アオダモの木は領地に合ったのか、すくすくと育ち、染料としても使えるこの木は、今や一大産業だ。
「牛を飼おう!」
王太子の一言で、彼の領地に広い農場ができた。
そのヤキュウというものをするために、牛の革が必要なのだそうだ。
彼の領地の牛は手が掛けられて品質が良く、肉の部分はとても美味しい。
アオダモの木は、投げられた球を打つバットに。
牛革は、投げられた球を捕るためのグラブに。
そのためのものだったが、副産物が領地に利益をもたらした。
そんな風に、王太子が手掛けたそれらがすべて良い方向に転がったので、そのヤキュウというゲームに反対する者はいなくなった。
国王陛下も、温かく見守っているそうだ。
「球場を作ろう!」
その呼び掛けに、使い出がない土地を提供した領主たちもいた。
その球場建設のために、働き口が増え、人が増えた。そのために店が立ち並んだ。
結果的に、球場を作った土地は栄えた。
「よし! 皆、野球をしよう! 勝負に身分は関係ないぞ!」
とかなんとか言い出したために、貴族平民関係なく、皆がヤキュウをし始めた。
特に王太子が目をかけた人間には、そのヤキュウをすることに対して給金が支払われた。
何を隠そう、私の兄もその一人で、王太子が率いるチームに所属している。
現在、王太子は齢二十四。
たった十年。たった十年で、ヤキュウというゲームがこの王国に広まったのだ。
ただし、ヤキュウが広まったのは、男性陣の間だけだった。
女性陣からは、『野蛮』だの『危険』だの『下品』だのと、敬遠する動きも出ている。
けれど私は兄に連れられて、何度か球場に足を運んだ。
初めての観戦時には、球場に女性はほとんど来ていなかったのを覚えている。
「外野フライも打てねえのかよ!」
「やる気あんのか、この野郎!」
「落とせー!」
「走れよ、くそが!」
「ぶちかませー!」
お酒を飲みながら観戦する男の人たちは、皆がそんな声をあげていて、これでは女性が来なくなるのも仕方ないのではないだろうか、と思った。
私も怖かったから兄にそう言うと、隔離された席に連れていかれた。その席で、兄に野球というものをいろいろ教えてもらいながら観たのが、私の初めての観戦だった。
そのとき、私は見た。
すらりとした身体をした男性が、グラウンドの一番高いところに立っている。
片足を上げ、全身を使って一歩前に踏み出す。
しなやかにしなる腕から、白い球が弾きだされる。
その一連の動きは、一つの芸術品のようだった。
「ストライク、スリー!」
その声を聞いたその人は、帽子を取って腕を上げて額の汗を拭った。
彼の金色の髪が、陽の光に当たってきらきらと輝いている。
私はただただ、その人の姿を見つめていた。いや、目が離せなかった。
男の人なのに、綺麗だ、と思ってしまったのだ。
その人こそが、王太子であるウォルター殿下だった。
*****
アオダモ・・・バットの材料となるアオダモは、育つのに70年ほどかかります。貴重なアオダモ、というフレーズを、野球ファンなら一度は聞いたことがあるのでは。
オールスターゲームや日本シリーズの試合前に、植樹セレモニーがよく行われていますよ。
今は、ホワイトアッシュやメイプルなどでつくられたバットを使う選手も多くなってきているようです。
ストライク、スリー・・・主審は三振の際、「ストライク、バッターアウト」とはコールしません。
コニーが王太子に一目惚れしたこの場面は見逃しの三振なので、主審は卍を披露しました。(わかる人にはわかるネタ)
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