第37話 音楽準備室

 音楽の授業は何事もなく無事終わった。まあ、あんな子供だましの怪談など最初から信じていないんだけど。なんはともあれ、俺は早急に音楽室を離れ教室へと戻った。



「あれ? 佐有さんは?」

 

 クラスメイトのほとんどが教室に戻ったころ、ふと気が付けば佐有さんの姿が見えない。先程聞いた怪談が頭をよぎる。いやいや、ありえない。


「佐有さんなら、今日日直だから授業で使ったもの片付けてから戻るってよ」

「もしかして、マキマキ心配なのぉ? さゆゆんが音楽準備室から消えてしまわないかって」

「はあ? そんなわけないだろ。あんなしょぼい話誰が本気にするかよ」


 ニヤニヤしながら脇腹を小突いてくる乃恵を適当にいなす。佐有さんが帰ってこない理由が分かりホッと安心する。

 暫くすると同じく日直だった橋本が戻ってきた。そこに佐有さんの姿は見当たらない。


「橋本、佐有さんは?」

「一回一緒に音楽準備室出たんだけど、筆箱おいてきたからって取りに戻ったぞ。安心しろ、すぐに戻って来るって」


 しかし橋本の言葉とは裏腹に、次の授業が始まっても佐有さんは戻ってこなかった。それどころか授業が終わっても戻ってこない。佐有さんは授業を黙ってサボったことはない。こんなことは今まで一度もなかった。

 嫌な予感がする。俺は教室を飛び出ると一目散に音楽室へと向かった。頼むから無事でいてくれ佐有さん!


 ◆


 さっきの時間では使うクラスはなかったようで、音楽室には誰もいなかった。佐有さんが音楽室から出ていないとすれば、橋本が最後に出てから誰も出ていないことになる。


 音楽室の中を見渡し何もないことを確認すると、俺は音楽室の奥にある音楽準備室へと向かった。扉を開けようとドアノブを捻るも開かない。

 音楽準備室へと続く扉にカギはかけられるが、外からしかかけられない。橋本の話によれば鍵は佐有さんに預けたと言っていた。ならば佐有さんが鍵を閉めたのだろう。ならば佐有さんは既に音楽室を後にしているはずだ。だというならなぜ佐有さんは授業に出なかったのだろうか?

 ここで考えていても意味はない。とりあえず職員室に音楽準備室の鍵が戻っていないか確認しようと、ドアノブから手を放したとき中から微かに物音が聞こえた。気のせいかもとは思ったが、まさかと思い俺は彼女の名を呼んでみた。


「佐有さん?」


 数秒の間の後、か細い声が中から聞こえてきた。


「……その声、かねまき君……?」


 よかった、佐有さんがいた!


「佐有さん! 待ってて今鍵持ってくるから!」


 佐有さんが中に入ったまま鍵がかかっているということは、おそらく橋本がかけたのだろう。理由は奴を後で問い詰めるとして、今は佐有さんの救出が最優先だ。


「待って……!」


 ドアの前から離れようとした時、佐有さんが弱弱しい声で俺を止める。


「かぎは、わたしがもってる、の……。だからたぶん……どこかに、ひっかかって、ひらかないと、おもう、の……」


 佐有さんの声が徐々に弱くたどたどしくなっている気がする。そこで俺は一つの考えに思い至る。

 音楽準備室は狭いうえに夏場は蒸し風呂のように暑くなる。一つだけある窓が南側にあるせいだ。しかもその窓ははめ殺しで開くことが出来ない。エアコンなんてものは当然ない。こんな真夏に一時間ほど音楽準備室に閉じ込められたらどうなるか、簡単に想像することが出来る。佐有さんは今おそらく熱中症になっているのだろう。

 このままでは佐有さんの命が危ない。一秒でも早く彼女を助け出さなくては。


 ガチャガチャとドアを押すも何の手ごたえもない。佐有さんの言う通り鍵がかかっていないのに開かないとなるとあとは無理矢理こじ開けるしかない。


「匹田さん、出来るだけ扉から離れて」

「う、うん」


 匹田さんの返事が聞こえて数秒した後、俺は音楽準備室の扉へと体当たりした。ダンっと派手な音がしたが、扉はまだ開かない。誰か助っ人を呼んで数人でした方が早く空くのだろうけど、今は呼びに行く時間すら惜しい。

 俺はただひたすらに、左肩が痛むのも気にせず扉に体当たりする。四回目にしてようやくバンッという大きな音と共に扉は開かれた。


「佐有さん!」

「……かねまき、くん」


 音楽準備室に入ってすぐに目に入ったのは、部屋の隅に座り込んだ佐有さんだった。真っ赤になった顔、焦点の合わない瞳、弱弱しく吐き出される吐息。間違いなく熱中症だ。どうやら俺の想像は当たっていたようだ。


「まって今すぐ保健室に連れていくから!」


 項垂れた佐有さんの手を取り、立ち上がるのを補助しようするも既に意識がもうろうとしているようで立ち上がることも出来ない。俺は一声断ると、佐有さんの膝裏と背中に手を回して横抱きにする。

 意識の失った人間が重いとよく言うけれど、本当のことなのだと改めて実感する。けっして佐有さんが重いという訳ではない。俺が非力なせいだ。筋トレを始めることを心に誓った。

 さて保健室まで行くかと思ったところで、バタバタとなにやら騒がしい足音が近づいてくる。


「いったい何の音だ! 何してる!?」


 学年主任の三浦が怒りをあらわに、慌てた様子で音楽室に駆け込んできた。おそらく俺がドアに体当たりする音で誰かが何かやらかしたと思いとんできたのだろう。来るならもっと早くに来てほしい。


「先生、熱中症です!」


 怒られる前に早口で佐有さんの現状を伝える。怒られてやる暇などないし、怒られることもしていない。


「な、なんだと! わかった、人を呼んでくるから待ってろ!」


 そう言うと三浦は踵を返して音楽室から走り去っていってしまった。オイ、熱中症の患者を日の当たる部屋に放置していくな。

 増援を諦めた俺は、佐有さんを抱えなおすと保健室まで歩きはじめる。先程痛めた左肩が少し軋むが気にしていられない。

 今いる音楽室は三階。保健室は一階だ。頼むそれまで持ってくれ俺の腕。


「忠世!」

「マキマキ―!」


 ゆっくりと階段を下りていると、階下から声がした。暫くして上がってきたのは息を切らせた重朝と乃恵だった。俺たちのクラスは向かいの校舎だ、そこから走って来たのだろうか。


「三浦の奴が熱中症が出たとわあわあ騒いでて、もしかしてと思ってきたんだけど……」

「さゆゆん熱中症なの? 大丈夫なの?」


 三浦の奴何やってんだ役立たずめ。泣きそうになっている乃恵に大丈夫だからと宥める。


「重朝悪いけど、手伝ってくれ。俺一人じゃ正直厳しい」

「わかった」

 頭を俺、足を重朝が持つ形で俺たちは保健室に向かった。


 ◆


 佐有さんは保健室に運びこまれた後に、保健室の浅野先生に適切な処置を終えて暫くしたら意識を取り戻した。その後担任からの連絡を受けて、迎えに来たお母さんと共に病院へと向かった。

 保健室を出る姿を見送ったが、音楽準備室から助け出した直後より足取りもしっかりしておりだいぶん回復したようでホッと胸をなでおろした。念のため明日は欠席させるとお母さんが担任に話しているのを聞いた。確かにその方がいいだろう。


 もう既に放課後となっていたが、俺は一人音楽室へと再び訪れていた。何が起きたのか詳しい話を聞きたいと担任と音楽の丹羽先生に頼まれたのだ。この後別段用事のない俺は二つ返事で了承した。

 まず音楽準備室の様子だけど、佐有さんの言った通り音楽準備室の鍵は佐有さんが持っていたようで、佐有さんが座り込んでいたところのすぐ隣に落ちていた。

 これには急遽呼び出された橋本もほっと安堵していた。自分が鍵をかけて、佐有さんを閉じ込めたと勘繰られたらたまったもんじゃないからな。すまん橋本、俺も疑っていた。


 そんなこんなで今回の一件は建付けのせいで扉が開きにくくなっていた。ということで話はまとまったらしい。当分の間音楽準備室は立ち入り禁止となった。


「それにしても不思議ねー」


 丹羽先生が心底不思議そうにぽつりと呟く。


「何がですか?」

「いやねー、そこの扉確か去年卒業生が楽器ぶつけて壊しちゃったから付け替えたばっかりなのよー。それなのにもう、開かなくなるほど悪くなるってことあるのかしらと思ったの」


 まあそんなこともあるかもねなんてさらっという丹羽先生の隣で俺は一人青くなっていた。

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