第35話 夜中の帰り道

「ったく人使い荒すぎだろ……」


 夜十時過ぎ、俺は暗い道を一人歩いている。おふくろが明日の朝使う味噌がないから買って来いと頼まれたのだ。オヤジが酔っ払って寝てしまってるからって未成年にこんな時間に買い物行かすなよ。

 この時間ならスパーもドラッグストアも閉っている。犬童さんのいるコンビニに行くか。夜中だし、のんびり歩いていこう。

 そういえばあのコンビニに行くのは例のクレーマー事件以来だ。犬童さんとも会っていない。きっと犬童さんのことだから俺に会うなりいつもどおりの毒舌を飛ばしてくるとは思うが、ひょんなことで彼女の泣き顔を見てしまったために少し心配している。


 行きかう車もほとんどなく、草むらで虫がうるさく鳴いている。どこからか風に乗って救急車のサイレンが聞こえてくる。少し先に救急病院があるのでそっちに向かっているのだろう。

 真昼は焼けるかのように暑かったが、今は心地の良い風もあり過ごしやすい。あと数週間もすれば、熱帯夜で寝づらい夜が来るのだろうと思うと嫌気がさしてくる。

 夏より冬の方がましなんて今は思うが、きっと真冬になったら全く逆の事考えるんだろうな。


 十分も経たずに目的地であるコンビニにたどり着いた。扉越しに店内を見てみるが、カウンターには犬童さんの姿はない。今日は休みだろうか、はたまたもう帰ったか。

 別に今日は彼女に用はないのでいても居なくてもどっちでもよかったのだけれど。どうせい顔を合わすと嫌みしか言われないので、いなくて良かったかもしれない。


「お、兄ちゃん。こないだ犬童ちゃんを助けてくれた子だろ?」


 カウンターに味噌を持っていくと、大柄の店員が話しかけてきた。確かこの人、あの時クレーマーが帰った後に来た店長だ。あの時はヤのつく自由業の人にしか見えなかったが、今日は店の制服を着ているためかそれなりに店長に見えないこともない。


「遅くなったけど、この間はありがとな。あのクレーマーはあの後文句言いに戻ってきたとこ警察に突き出したから安心しろ。もう来ねーから。俺もちょーっと懲らしめてやったしな」


 にかっと白い歯を見せながら爽やかに笑うが、顔面が強面過ぎて例のクレーマーが今も五体満足で生きているのかが少し心配になった。


「そうだこれ、もっていきな! 俺からのお礼だ!」


 そう言うと店長は、ホットスナックやらレジ前に置いていたお菓子やらを袋に詰めて俺に差し出してきた。


「いやいや、俺なんもやってないです。ただ張ったりかましただけですし……」


 そう俺は何にもしていない。証拠を録音したと嘘ついて追っ払っただけだ。お礼なんてもらえない。


「いやいや、謙遜すんなって! お前さんは立派にクソクレーマーを追っ払って犬童ちゃんを守ってくれたんだろ? 犬童ちゃんに聞いたぞ」


 犬童さんが俺のことを店長に話していたということに少し驚く。なんとなく「あなたとは知り合いとは思われたくありません」とか思っていそうだったので。

 結局店長からのお礼は断り切れず、両手にたくさんのお菓子やらおにぎりやら頂いてしまった。ありがたくいただこう。


「お、丁度出てきたな! 犬童ちゃん、先輩来てるぞ!」


 後ろを見やると私服姿の犬童さんがいた。口には出さなかったが、顔に「っげ、なんでいるの」って書いてある。相変わらずだ。


「悪いが途中まででいいから犬童ちゃんを送ってってくれないか? 夜道に女子一人は危険だからな」


 俺はかまわないのではいと答える。一方てっきり断るとばかり思っていた犬童さんだが、意外にも何も言ってこなかった。店長の手前猫でもかぶっているようだ。

 なんやかんやで犬童さんと共に帰路につくこととなった。


「犬童さんはどこら辺に住んでるの?」

「なんであなたにそんなこと教えないといけないんですか? ストーカーですか?」


 いつも通りの彼女の態度に少し傷つきながらもほっとする。


「いやいや、せめて方角くらいはわからないと送れないだろ?」

「……西川団地です」


 これは意外。「送らなくて結構です」といって一人スタスタ歩いて行ってしまうかと思っていた。今日の犬童さんはどうやら少し素直なようだ。それもあの強面店長のおかげだろうか。


「なら丁度良かった。俺の帰り道の途中だ。団地の入り口まで送るよ」

「先輩はどこに住んでいるんですか? あ、これは別にあなたに興味があるとかじゃなくて、ただたんにわざわざ嘘いってまで遠回りさせるのは悪いと思ったからですよ!」

「わかってるって。安心しろ嘘じゃないから。俺んち、けやきが丘だから」


 ここから俺の住んでいるけやきが丘は、犬童さんの住んでいる西川団地を通り過ぎた先にある。間違いなく通り道だ。


「……そうですか、なら思う存分送らせてあげますよ」

「はいはい、ありがとうございます」


 機嫌のよさそうな犬童さんの後ろを俺はついていく。車道を車が行き交うたびに犬童さんのふわふわの髪が揺れる。

 そう言えば、犬童さんとは初めて会ってから何度も顔を合わせているものの、ろくに話した記憶がほとんどない。まあ、間違いなく顔を合わせる度に犬童さんが突っかかってくるからなのだが。

 そういえば俺が犬童さんに嫌われている理由がいまいちわからないことに思い至る。ただ気に食わないみたいな理由かもしれないけど、せっかくのチャンスだ今聞いてみるのもいいかもしれない。


「なーなー、犬童さん。なんで俺犬童さんにそこまで嫌われてんの? いや、理由が佐有さんなのは知ってるけど乃恵にはそんなにきつく当たらなかったじゃん? なんで?」

「はぁー」


 聞いてみたはいいが思いっきり嫌そうな顔をされてしまった。解せぬ。


「そんなこともわからないんですか? あなたの思考回路は動いてないんですか?」

「はあ、すみませんね。バカで」

「馬鹿なあなたにもわかりやすく教えて差し上げます。私があなたをいけ好かないと思っている理由は、あなたが佐有センパイの彼氏だからです!」


 ビシっと指をさされる。彼氏? 誰が? 誰の? この子はいったい何を言っているのだ? 確かにいづれなりたいとは思っているけれど、今のところはただの願望に過ぎない。


「なにボヤっとしてんですか? 何か言ったらどうなんですか?」


 なにも返さない俺にしびれを切らした犬童さんがキレ気味で突っかかってくる。ちょっとキレすぎだ。この子カルシウム不足ではないだろうか。


「……俺、佐有さんと付き合ってないよ?」

「はあー?」


 正直に否定すると犬童さんは今日一大きな声で絶叫した。そして立ち止まると、混乱した顔で頭を抱える。


「え、でも、蘭ちゃんがお兄さんから聞いたって……」

「え、誰?」


 蘭ちゃん? 例の探偵漫画のヒロインか?


梅津蘭うめづ らんです。私の友達で、お兄さんが佐有センパイと同学年。今は学校違うけど、偶然町で会ったときに本人から聞いたって……」


 梅津ってまさか……、かっちゃんこと梅津勝蔵のことか!? そう言えば付き合ってるかって聞かれたとき佐有さんは否定しなかったな。それをあいつは肯定を受け取ったという訳か。なんてはた迷惑な。これは早急に誤解を解く必要性がありそうだ。


「誤解だ誤解! 俺と佐有さんは付き合ってない。ただの友達だ」

「嘘だったら許しませんよ!」


 ギラリと犬童さんに睨まれる。


「俺は嘘つきません。っていうか嘘つく必要なだろ」


 嘘をいっても俺に得はない。それに嘘をついたと佐有さんにバレたら、あとで気まずくなるだけだ。第一本当に付き合っているというならむしろ自慢して回りたいぐらいだ。


「まあ、信じてあげましょう」


 フンと鼻を鳴らして犬童さんは再び歩き出す。


「ねえ、もう一個聞いてもいいか?」


 いい機会だ。この際気になっていたことを全部聞いてやる。


「内容によりますが……。スリーサイズとかだったら車道に突き落とします」

「聞かないよ!」


 この子ならガチでやりかねない。俺は異世界転生などする気はないぞ。

 コホンとひとつ咳払いして仕切りなおす。


「犬童さんはなんでそこまで佐有さんに執着するわけ?」


 前々から気になっていた。女子同士の中の良さというものが男同士のそれとは違うことは理解しているが、それにしても偉く執着している気がしたのだ。

 前を向いていた犬童さんの顔がゆっくりとこちらを向く。その瞳は怒りでも苛立ちでもなくただ俺を映しているだけのように見えた。


「いや、言いたくなかったらいいんだけど……」

「私にとって佐有センパイは恩人なんです」


 そう語る瞳は真剣そのもので、冗談でもなんでもないとわかる。

「佐有センパイとは、中学の頃同じ美術部だったんです」


 佐有さんが美術部だったということを初めて知る。絵画が好きなのだから入ってても違和感はない。むしろぴったりくる。


「入った当初は別に特別仲がいいという訳ではありませんでした。むしろ必要最低限しか喋らなかったと思います。佐有センパイはいつも一人でいましたし、正直とっつきにくい人だと思って苦手でした……」


 今年の五月ごろまでのいつも一人でいた時の佐有さんを思い出す。やっぱり中学時代も似たようなものだったらしい。


「でもそれが変わったのは私が二年にあがる年の春休みの時でした。うちの親が離婚することになったんです。元々しょっちゅう喧嘩してたし、近々離婚するだろうなとも思ってました。だから全然平気でしたし、周りにも冗談っぽく笑いながら「親が離婚しちゃってー」とかいえる程度には何とも思ってませんでした」


 歩きながら犬童さんは淡々と話す。真っ黒な瞳は何も映していないように、ただ目の前に広がる闇をじっと見つめている。


「引っ越しの前日。なんだか無性に家に帰りたくなくて、部活が終わっても帰らずに美術室に残ってたんです。その日は佐有センパイが鍵を閉める当番で……。あ、うちの部は三年が持ち回りで鍵当番やってたんです。それで私はまだ帰る気はなかったので、「私締めとくんで帰ってください」って言ったんですけど、佐有センパイ何も言わずにそのまま空いた椅子に座ってスケッチブック取り出して、何か描き始めたんです。今だったら、私を待っていてくれているのだとわかるんですけど、当時の私はそれが煩わしく思えて……。お互い何も言わずひたすら、スケッチブックに向き合ってました。描いてる間はなんか色々頭の中ごちゃごちゃで、親への不満とか怒りとか、今後への不安とか……。なんかそんなのが一気にこみあげてきて気がついたら私泣いてたんですよ」


 時折すれ違う車のライトが犬童さんの顔を照らす。当時を思い出すかのように、スッと瞳を細める。


「佐有センパイに馬鹿にされるかも、早く泣き止まなきゃって思うですけどそう思うほど涙とまらなくて。そうこうしているうちに佐有さんセンパイ美術室から出て行って、呆れて帰ったと思ったんですけど……、戻ってきたと思ったら缶ジュースぽんって渡されて。これ飲み終わるまで待ってるって言って自分もジュース飲みだしたんです。情けないやら恥ずかしいやらで、缶も開けずに握りしめたまま泣いて……。結局佐有センパイ、飲み終わっても私が泣き終わるまで待っててくれたんです」


 一気にしゃべった犬童さんは、一息つくように息を吐き出す。


「その時の事。佐有センパイは「何もしてないただ待っていただけ」っていうんですけど、私はすごい嬉しかったんです。なんか、受け入れられたって感じで!」


 そう言いながら微笑む犬童さんはとても眩しく感じた。きっと彼女は色んな感情を含めて佐有さんを好きなのだとわかった。友情とか愛情とかそんなものは超越してる。俺はそれがひどく羨ましく感じた。

 そしてそれと同じくらい、佐有さんを好きでいてよかったと思った。今も昔もちょっとだけ耳が悪くてちょっとだけ不器用な佐有さん。きっとこれからも俺は彼女を好きでいるだろう。


「ここでいいです」


 いつの間にか俺たちは西川団地の入り口まで来ていた。

「あぁ、じゃあ」


 犬童さんが背を向けて歩き出したのを確信した俺は、同じように進行方向へ向かって歩き出す。


「印牧先輩!」

 背中に向かって、犬童さんの声が聞こえた。そういえば彼女に名前で呼ばれたのは初めてだなとか、ぼんやり考える。


「ありがとうございました! お礼を言ったからって調子には乗らないでくださいよ!」


 早口でまくし立てると犬童さんは走り出した。振り返るとそこにはもう姿は見えない。最後まで減らず口をやめないのは彼女らしいとつい笑ってしまう。

 真っ暗な道を俺は一人歩く。涼しい風が頬の撫でるが、心は最高にポカポカしている。

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