第34話 クレーマー
「そういえば、この間の勉強会の日に近所のコンビニに行ったら犬童さんにあった」
焼き上がるまでの間は暇なので、小野先生が事前に用意してくれていた麦茶を飲みながら皆何気ない話に花を咲かしている。
俺はふと思い出した先日のことを口にした。
「犬童さんって、確か手例の手紙の子だろ? また辛辣なこと言われたのか?」
「まあ、それなりには?」
でもまあ、佐有さんを慕うあまりの嫉妬だと思えば可愛いものだと……いやちょっとキツイか?
「ごめんね。私から一応注意したんだけど効果なかったみたいで……」
「いや、別に佐有さんのせいじゃないし! 気にしないで。なんか犬みたいでちょっと可愛いななんて思ってたりするし……」
狂犬だけどな。
「やっぱり、知らない男に先輩とられて悔しいってことなのかな? 私、この間廊下で会って話しかけたけど、普通に挨拶返してくれたよ。『佐有センパイはいないんですか?』とは聞かれたけど、威嚇とかされなかったし。シュットに対してはどんな感じ?」
「おれはまだ直接会ってないからな。一度会って話してみたいなとは思ってるんだけど」
体育館裏に呼び出された時は、こいつ陰に隠れていて結局犬童さんが立ち去った後に出てきたからな。何気にまだ対面をはたしていない。
「中学時代は特に男性嫌いとかなかったけど、私が知らない間に変わったのかな……」
友人と仲のいい後輩がいがみ合ってる(正確には一方的に俺が嫌われているだけだが)ってのはやっぱり佐有さんとしては気がかりなのだろう。
「マキマキー、佐有さん困ってるじゃん。ワンちゃんと仲良くしなよ」
彼女を不安にさせるのは申し訳ないとは思うけど、俺にはどうしようもできないだろうな。
「いや、そうは言われてもな……。俺だって仲良くできるならしたいよ」
同じく佐有さんを慕っている仲間だ。佐有さんの素晴らしいことを話したりできるかもしれない。もしかしたら中学時代の佐有さんの話も聞けるかもしれないし。
でも少なくとも今の仲では無理だろう。佐有さんに近づく男という理由で嫌われているのだから。俺は佐有さんと友達止めるつもりはないし、出来ることならもっと仲良くなりたいのだ。
「そうだ、私いいこと思いついちゃった!」
乃恵がにんまりと笑う。その表情は悪戯を思いついた子どもの表情そのものだった。絶対碌な事じゃない。
「今日作ったクッキーワンちゃんにも持って行ってあげなよ! 絶対喜ぶよ」
「まあ、そのくらいなら」
乃恵の提案は想像よりもずっと普通だった。絶対もっとヤバイ案を捻り出し、俺を驚愕の事態に突き落とすと思っていた。
「クッキー多めに出来たし持って行ってやれよ」
「印牧君、ワンちゃんによろしくね」
「任せて!」
佐有さんに笑顔で言われてつい安請け合いをしてしまった。佐有さんに笑顔で言われて断れる人間などいないだろうからしょうがない。
「あー、いい匂いしてきた!」
乃恵が待ちきれないのか、椅子から立ち上がりオーブンの前に座り込む。待てない子どものようだ。
◆
クッキーは焦げることもなくキレイに焼き上がった。焼きたてを数枚つまんだが、佐有さんの手作り(重朝も作ったが)だという事実だけに感動して味はよくわからなかったが、おいしかったと思う。まあ、佐有さんの手作りというだけでどんな最高級なお菓子よりもおいしいのだけれど。
そんな俺にとって最高級の代物を他人に上げたくはないのだけれど、佐有さんにおねがいねと頼まれてしまったので俺は今犬童さんがバイトするコンビニに向かっている。
実は放課後になってから彼女の教室に行ったのだが、もう既に帰ったと犬童さんのクラスメイトに言われた。そのクラスメイト曰く、犬童さんはバイトの日は早く帰るらしいので俺はコンビニへと赴くことになった。
「責任者出さんか!」
ドアを開けるとピンポーンという軽快な音と共に、耳障りな罵声が飛び込んできた。何があったのかと慌てて声のする方を見やると、レジに五十代くらいの男性が店員を怒鳴りつけている。カウンターの中にいる店員――犬童さんは可哀そうなほど顔を蒼褪めてひたすら謝っている。
男の話を聞く限り、どうやら男は昼にここで買い物をしたところ箸が付いていなかったという。しかし今日の昼間なら犬童さんは学校にいたので、間違いなく彼女の責任ではない。もし彼女のせいであったとても、何度も謝っているのにまだ怒鳴り散らす必要性はないだろう。
しかも「誠意を見せろ」とか「謝ってすむと思ってんのか」とか言い出した。金をせびろうとしているかもしれない。ここまで来ると箸が入ってなかったって言うのも本当かどうか疑わしい。完全なクレーマーだ。
頭を下げっぱなしの彼女の瞳にうっすらと涙の幕が張っている。今にも泣いてしまいそうだ。誰かほかに店員はいないのかと店内を見回すも、犬童さん以外の店員は見当たらない。まだ来ていないのか、それとも元々一人だけのシフトなのかはわからない。
俺が入店した時に店内に数人いた他の客は、面倒なことにかかわりたくはないのかそそくさと出て行った。俺も正直な話面倒なことにはかかわりたくはない。しかし、ここで見て見ぬ振りできるほど非情でもない。
俺は勇気を振り絞り、いまだに威圧的に怒鳴り散らすクレーマーに俺は声をかけた。
「店員さん謝ってるじゃないですか。その辺にしたらどうですか?」
俺が声をかけた瞬間、クレーマーと犬童さんが同時にこちらを見た。その瞬間胃がギュッと縮み上がるのが分かった。声が裏返らなかったのが不思議なくらいに、俺は今尋常じゃない程緊張している。下手したら膝が震えそうだ。
「あぁ?」
ギロリとクレーマーが俺を睨みつける。今すぐに謝って逃げだしたい。しかしここまで来て逃げることなどしたくなかった。握った手をさらに強く握りしめ、バクバクと煩い心臓を沈めるようにゆっくりと息を吐いた。そして負けるかと気合を込めて、クレーマーを睨みつけた。
「先ほど金銭を要求していましたよね? それって恐喝罪に当たりますよ」
「はあー? 何言ってんだテメー。証拠はあんのか、証拠は⁉」
予想通りのセリフをはいたクレーマーに、思わず吹き出しそうになるがここはこらえる。その代わりに、ポケットからスマホを取り出して、相手に突き付けた。
「この中に先ほどのあなたの声を録音しています。何なら警察を呼んで一緒に聞いてもらいましょうか?」
素早くパスを解除し、着信画面を開く。そして110番をタップしたところでクレーマーが慌てた様子で待ったをかけてきた。
「わかった……! お前も反省しているみたいだからな、こんくらいで勘弁しといてやるよ!」
どこかで聞いたことあるような悪役ムーブを早口でまくし立てると、クレーマーは逃げるように店を出て行った。出る際に「もうこんな店二度と来ないからな!」という捨て台詞まで残して。
なんかとか過ぎ去った嵐に、どっと体の力を抜けるのを感じる。何とかはったりが上手くいってよかった。実のところ、録音したというのは嘘だ。
クレーマーなんてのは弱いものにしか強気に出れないものなので、こちらが強気で行くと存外尻込みするものだ。とくに警察にはめっぽう弱い。
「っ犬童さん……!」
クレーマーも去ったということで、さっきまで泣きそうな顔をしていた犬童さんを見ると彼女は無言で泣いていた。透明な涙がはらはらと頬をつたい落ちる様を俺は唖然と見つめる。
しかしそれは数秒のことで、ハッと我に返りあわあわしながらも犬童さんに声をかける。
「も、もうあのっさん行っちゃったから大丈夫だよ!」
対クレーマーの時にもギリギリ裏返らなかった声が裏返る上にどもる。泣いている女の子を慰めたことなどないから、どうすればいいのか全く分からない。助けてモテ男重朝!
俺の悲痛な心の声は当然重朝に届くわけもなく、犬童さんはいまだに泣き止まない。そこでふと俺は思い出した、鞄の中にしまった佐有さん作(+重朝)のクッキーを!
「犬童さん、これあげるから泣き止んで。ね? 今日調理実習で作ったやつ」
クッキーの入った袋を犬童さんに渡しながら声をかける。って、相手は高校一年の女の子だぞ。何子ども相手みたいなこと言ってんだ。第一お菓子で泣き止むような子でもないだろ。俺アホか!
「……あっ、あなたの……つくっ、たもの、など……いりっませ、ん」
無視されるとばかり思っていたが、犬童さんはしゃくりあげながらも気丈に俺を睨みながら言う。少しはいつもの犬童さんに戻りつつあるみたいだ。ならばと、俺も少し強気で接する。
「いいのかなー? そんなこと言って。同じ班に佐有さんいたんだけど? いらないなら俺食べちゃお」
鞄にしまおうとしたらとっさに手が伸びてきた。そうはさせまいと俺は一歩後ろに下がる。これで身長の低い犬童さんは届かない。
「なにそれずるいです。くれるって言ったじゃないですか。嘘つき!」
恨めしそうにジト目で言う彼女は、完全にいつもの犬童さんだった。そんな気丈な様子に内心ホッとした。やっぱり泣いているより悪態ついている方が彼女らしいと思う。今くらいは彼女の毒舌も甘んじて受け入れよう。
「ごめんって、あげるから」
これ以上意地悪してまた泣かれても困るので、素直に差し出すとひったくるように奪い取られる。まるでハイエナみたいだ。
「最初っから素直に渡せばいいんですよ」
偉そうにふんぞり返る彼女は狼の如く逞しい。
「でも、一応お礼は言っておきます。……さっきのことも含めて」
言い終わると犬童さんはふいっと目を逸らした。さっきのこととはクレーマーのことか。もしかしてあれは照れているのだろうか。ショートヘアから除く耳がほんのり赤い。
「犬童ちゃん悪い! 一人にさせて。何もなかったか!?」
「店長!」
四十代くらいの強面の男性が店内に入って来た。一瞬やのつく自由業の方かと身構えたが、犬童さんの言葉が本当なら店長とのこと。さっきのクレーマーが仲間連れて戻ってきたわけではなかったらしい。
店長が戻ってきたというなら、クレーマーが再び戻ってきてももう大丈夫だろう。そう思った俺は店長の横をすり抜けると颯爽と店を後にした。
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