第17話 熱い頬と冷たいハンカチ

 引っ張られるままにまかせてしばらく歩くと、佐有さんは「ちょっと待ってて」といって、俺を近場にあったベンチに座らせどこかに行ってしまった。置いていかれてしまったのだろうか? でも今は追いかける気力がない。殴られた頬が熱い、ひりひりする。頬を撫ぜる風が冷たく心地いい。先ほどまで熱くなっていた頭も冷えて冷静になってきた。


 冷静になると改めて自分の言動を顧みてげんなりする。自分から啖呵を切っておいて殴られて、好きな女の子に引かれて逃げるようにその場を去った。情けないにもほどがある。

 きっと佐有さんは大事おおごとにされたくなのだろう。だから彼女は最初罵声を気にせず通り過ぎようとしたのだ。それなのに俺ときたらついカッと来て一大事にしてしまった。自然と大きなため息が口から漏れ出た。


「ごめんね、おまたせ」


 戻ってきた佐有さんの手にはハンカチが握られていた。トイレにでも行っていたのだろうか?


「濡らしたから、これで冷やして」


 そう言って差し出されたハンカチ。一瞬訳がわからずハンカチと佐有さんの顔を交互に見つめる。


「頬、腫れてる」


 なるほど。そこでようやく俺は、殴られて腫れた頬を冷やすために佐有さんが自身のハンカチを濡らして持ってきてくれたことに考えが至った。やっぱり優しいな、佐有さんは。一瞬でも先に行ったのではと考えてしまった己を恥じる。

 ありがとうと言いながら佐有さんの手からハンカチを受け取った。殴られた場所に濡れハンカチを添える。熱を持った頬に冷えたハンカチが心地いい。


「ごめんね。まだ痛い……よね?」


 隣に座りながら佐有さんが心配そうに俺を見つめてくる。いや、正確には俺じゃなくて俺の腫れた頬なんだけど。


「ぜ、全然! 大丈夫! 気にしないで、佐有さんのせいじゃないし!」


 心配させないために出来るだけ明るく口にするが、佐有さんの表情は曇ったままだ。


「さっきの人ね、中学校の時のクラスメイトなんだけど、私あいつにいじめられてたんだ……」


 一連のやり取りを見ていてもしかしてそうなのかもとは思っていたが、ハッキリ明言されるとさっきの金髪DQN対しての怒りが最熱する。しかし、それを佐有さんにぶつける訳にはいかないので、俺は怒りを抑えて「そうなんだ」とだけ相槌を打った。


「耳が悪い私が悪いんだけどね……」

「佐有さんは悪くない!」


 思わず大きな声が出てしまい少し恥ずかしい。佐有さんも驚いて目を真ん丸にしてこっちを見ている。でも撤回する気はないし、する必要なんてない。

 だって佐有さんは悪くないのだから。実際見てない人間が何言うかって感じかもしれないが、なにが理由であれいじめはする方が悪い。第一、さっきの金髪DQNの言うことによれば奴は佐有さんが耳が悪いことを知ったうえで、彼女を馬鹿にしているようだった。本人のどうしようも身体的特徴などをあげへつらえて嘲笑うだなんて俺は大っ嫌いだ。虫唾が走る。


「……ありがとう。印牧君がああ言ってくれたおかげでちょっとすっきりした」


 佐有さんは少し泣きそうな顔して笑った。


「ごめんね」


 佐有さんはもう一度謝る。謝る必要なんてないのに。


「佐有さんが謝ることなんか……」

「違うの」


 凛とした声が俺の声を制した。小声でもう一度違うのと繰り返す。


「……この間のこと。キツイこといってごめんね」


 佐有さんは居心地悪そうに前髪を触りながらぽつぽつと話す。

 この間っていつだ? もしかして二週間ほど前の俺が大失言したあれか? あれのことを言っているのであれば俺がバカ言っただけだ。佐有さんに謝ってもらうことは何もない。


「い、いや、あれこそ佐有さんは悪くないよ! 俺が考えなしにバカなこと言っただけだし……」


 しかし佐有さんは違うというように、首をフルフルと横に振った。


「印牧君は私の事考えてくれていったのに、カッとなってひどいこと言った……。今更謝っても遅いのはわかってるけどなかなか言い出せなくて……。印牧君の顔を見る度謝らなきゃと思うんだけど、ついそっけない態度取ってしまって」

「え、まって!」


 佐有さんの話につい声を上げてしまった。色々思うところはあるが、とりあえずどうしても聞かなければならないことが一つある。

 言葉を遮られ不思議そうにこちらを見ている佐有さんの肩を両手で掴んで、真っすぐ見る。大きな目が俺を見つめる。その瞳は透きとおっていて、吸い込まれそうなほど美しい。


「俺、佐有さんに嫌われてないの?」


 あれ以来佐有さんは俺にたいしてよそよそしかった。てっきり嫌われてしまったとばかり思いこんでいたが違うのだろうか?


「嫌いじゃないよ。ごめんね、誤解させるような態度取って……」

「……よかったー」


 心からホッとした。張り詰めていたものが一気に緩む。脱力した俺は膝に顔をつっぷす。


「か、印牧君?」


 おろおろと佐有さんが俺を見つめてる。……かわいいな。

「え?」

「……え?」

 戸惑った様子の声に顔をあげる。佐有さんは目を真ん丸に開き小さな口を半分ほど開いて、ひどく驚いた様子だった。


「今、可愛いって……」


 え? あ、あぁー! どうやら俺は無意識のうちに声に出していたようだ。その証拠のように、佐有さんの頬が真っ赤に染まっていく。茹でだこみたいだ。


「えっと、その、あの……」


 何とか誤魔化そうと思ったが、何も思いつかない。もういっそこのまま開き直って佐有さんを褒めちぎるか?


「あー、鳥! そうあの鳥が可愛いなって!」


 困り果てた俺はとっさの言い訳を捻り出した。丁度近くの木にとまった緑色の小鳥を指さし、小鳥を可愛いといったということにする。頼む、誤魔化されてくれ。


「小鳥……。そっか、そうだよね。う、うん。小鳥可愛いね」


 小鳥を見た佐有さんが、ほっと安心したような少し残念なような表情をする。ん? なんで残念そうなんだ? まあ、それはともかく誤魔化されてくれたようでなんとかなった。

 俺が内心ホッとしていると、控えめな声が聞こえた。佐有さんの顔はまだ少し赤い。


「印牧くん!……お願いがあるの」


 気まずそうに目を泳がせて、緊張からか少しうわずった声、膝においた手はシワになりそうなほどにスカートを強く握りしめている。これはまさか、告白では!? いやいや、そんなうまい話あるわけ無いだろ。いやでも万が一ということもある。なんか今そういう雰囲気だったし!

 佐有さんは俺にそっと顔を近づけ、深呼吸をして俺の眼を真剣な眼差しで見つめる。色づいたキレイな唇がゆっくりと開かれる。心臓がドキドキして今にも飛び出そうだ。


「私と友達になってください!」


 そっちかー!! うん、そんな気はしてた。ですよね! 佐有みたいな高嶺の花が俺のこと好きなわけないですよね。調子乗ってすみません!


「……だめ、かな?」


 少し潤んだ目で不安そうに聞いてくる佐有さんに俺はダメだなんて言えるわけもなく、

「ダメなんかじゃないよ! 友達、喜んで!」


 満面の笑顔ででそう返す他なかった。


「ありがとう」


 零れ落ちるほどの笑顔で笑った佐有さんの後ろには大輪のひまわりの花が咲いたのが見えた。その笑顔は俺が今まで見てきたどんなものよりもずっと美しかった。

 何はともあれ、俺と佐有さんの関係はめでたくただのクラスメイトから友達へと昇格したのだ。めでたしめでたし。いや泣いてなんてないから。

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