第18話 VS ヤギ

「遅すぎ!」


 ようやく『動物ふれあい広場』にたどり着いた俺たちは、まず最初に最高に機嫌の悪い乃恵に怒られた。このまま放置してもよかったが、永遠とぐちぐち言われそうで面倒だったので後で売店で限定ソフトクリームを買ってやる約束を取り付けなんとかおさめた。


「結構遅かったな、なんかあったのか? あれ? お前頬どうしたんだ?」


 俺の顔を見た重朝がいち早く俺の頬の殴られた後に気が付く。佐有さんの濡れハンカチのおかげで何とか目立たない程度に腫れは引いたというのに目ざとい奴だ。


「あ、それは……」

「教えませーん! 俺と佐有さんだけの秘密ですー」


 俺の代わりに重朝の質問に答えようとする佐有さんを遮って俺が答える。

 重朝たちにDQNたちのことを言わなかったのは嫌なことを思い出したくはないだろうという佐有さんへの配慮だ。決して啖呵きるだけきって殴られ何もできずに逃げ帰ったことが恥ずかしいわけではない。決してない。


「えーなにそれー、意味深! さゆゆーんなにがあったの?」

「えっと、ひみつ」


 はにかみながらネっと俺に目配せする佐有さん。その仕草はとても可愛らしい。俺と佐有さんだけの秘密か……甘美な響きだ。殴られたことは忌々しいが、佐有さんと友達にランクアップできたうえに秘密を共有する仲になれたのであのDQNどもの存在価値を少しだけ、ほんの少しだけ認めてやろう。


「忠世お前……」


 一人悦に浸っていると、怖い顔した重朝が肩を叩く。え、なにいきなり。イケメンの真顔って怖いんですけど。


「佐有さんに変なことして殴られたんじゃないだろうな?」

「はぁー!? なにそれ? そんなことしてねーよ!」


 お前親友を何だと思っているんだ。いくら好きだからって俺が、佐有さんに不埒なことをしでかすクソ野郎とでも思っているのかこいつは。ひどい傷ついた。


「え? さゆゆん、マキマキにひどいことされたの!?」


 乃恵、お前信じるなよ! 俺はこいつらになんだと思われているんだ。


「ち、違うよ! 印牧君はそんなことしないよ」


 俺にたいして悪い流れになりそうになったところで、佐有さんがすかさずフォローに入ってくれた。佐有さん優しい。もっと好きになる。

 俺は佐有さんの優しさに感動していると、グイっと袖を引かれる。重朝か?


「なんだよ重朝。まだ俺を疑ってんのか?」

「めぇー」


 しつこい奴だなと思いながら振り返った先には、重朝ではなくヤギがいた。のんきに口をくっちゃくっちゃさせている。え、まさか……。


「重朝!? お前ヤギになったのか?」

「なわけあるか!」


 つっこみと共に俺の頭はスッパーンと軽快な音をたて叩かれる。地味に痛いぞ。


「マキマキーミヤコに好かれちゃったねー」

「みやこ? 誰だそれ」

「そのヤギの名前だ。そこ書いてる」


 重朝が示す看板を見ると飼育されている動物たちの名前が書かれていた。さっき俺の手を引いたヤギは『ミヤコ』というらしい。首輪の色でわかった。


「柵の中入れるようになってるからミヤコと遊んできたらどうだ?」

「えー、いいよ別に」


 動物が嫌いなわけではないが、ものすごく好きなわけでもない。わざわざ中に入ってまで構ってやる気にはなれない。


「でも、ミヤコめっちゃマキマキの事見てるよ。待ってんじゃなーい?」


 いやいや、そんなわけあるかと思いながら柵の中のミヤコを見る。すごいこっち見てる。うわ、柵に前足のっけて立ち上がってきた。鼻息めっちゃ荒い……。


「入らないのか? 今なら貸し切りだぞ」

「お断りします……」


 あんな荒ぶるヤギがいる中に入ったらどうなるかわかったもんじゃない。全力で拒否する。


「めえーー!」


 ミヤコが抗議するかのように鳴き声を上げた。いくら威嚇しても柵から出られないのだ、怖くなんかないぞ。


「残念ながら、俺はお前に構っている暇はないのだ」


 このままここにいても意味がないと颯爽とヤギのいる柵から立ち去ろうとしたところ、今までで一番大きな鳴き声と物音し、驚き振り返る。


「めえ~~!」

「ぎゃーー!」


 振り返った瞬間、俺の顔に何か液体がかかった。ものすごい匂いがする。獣臭い!


「印牧君!?」

「なに? 何が起こったの!?」


 何が起こったのか自分でもよくわからなくて、答えられずその場に顔を覆ってしゃがみ込む。驚き心配して駆け寄って来る佐有さんと乃恵。俺に近づいた瞬間に顔をしかめ立ち止まった。臭いことは理解しているが、あからさまな態度をとられるとさすがの俺も傷つく。


「あー、唾かけられたか」


 呆れたような重朝の声に俺はようやく、先ほどの液体がミヤコの吐いた唾だと認識した。お前は何そんなに暢気に構えてんの? 親友が苦しんでるんですけど!


「すぐ近くにトイレあるから洗い流して来い。ヤギの匂いはめちゃめちゃ臭いらしいから念入りにな」


 俺はそそくさとめっちゃ臭い唾を洗い流すべくトイレへと走った。去り行く俺の背後では嘲笑うかのようにミヤコがめぇめぇ鳴いていた。お前は絶対に許さない!



 念入りに顔を洗い、唾を洗い流したもののなんだかまだ匂う気がする。こうなったら帰りのバスは窓全開だな。隣の重朝が寒いと文句言っても無視だ。


「おーい、忠世。そろそろ自由時間終わるから戻るぞ!」


 重朝が呼んでいる。もうそんな時間か。イノシシに追いかけられ、DQNに殴られ、ヤギに唾を吐きかけられる。碌な一日じゃなかった。いや佐有さんと二人っきりで話せたし、友達に昇格も出来たからプラマイゼロってことにしておくか。キレイに洗った眼鏡を掛けなおしながら皆の元とへと向かう。


「印牧君。これ良かったら使って」


 戻ると佐有さんが小さなスプレーを手渡してきた。何だこれ?


「これ携帯用消臭スプレー。もし気になるようなら使って」


 こんなものを常に携帯しているのか。女子力だな。


「マキマキまだ臭いから匂いとれるまで近寄んなってさ!」

「っちょ、乃恵ちゃん! 違うからね。今の印牧君さっきほど臭いないよ! ただ気になるようなら使ってことだからね」


 慌てて付け加える佐有さん。やっぱりまだ臭いのか俺……。佐有さんからの残酷な優しさに俺は一人泣いた。借りた消臭スプレーは、これでもかとかけまくった。そのあと、エントランスへと戻る道中少しだけ皆から離れて歩いた。


 ◆


 エントランスに戻るとなにやら騒がしい。人が集まれば騒がしいのはいつものことだけれどそれだけではないようで、緊迫した空気が立ち込めていた。教師陣が集まってなにやら話している。よくみるとうちの学校の教師だけではなく見知らぬ顔ぶれもいる。首から名札を下げているのは公園側の職員だろう。しかしそれ以外にも見知らぬ大人が数名いた。


「モッチーなになに、なにがあったの?」


 乃恵が近場にいた柏木に声をかける。


「なんか生徒の列にイノシシがつっこんで負傷者が出たらしいよ」


 そのイノシシってまさか俺たちが追い回された奴なんじゃないだろうか。俺たちが逃げ切った後また別のやつらを追い回していたということだろう。いやー、逃げきれてよかった。


「マジで!? うちのクラスの人? 今大丈夫なの?」

「うちの学校じゃなくて椎原学園の生徒らしいよ。あそこもうちと一緒バス遠足だって。椎原ってヤンキーばっかで治安悪いし、うちのクラスで喧嘩売られたりナンパされて追い掛け回された子いるみたいだし、ざまーみろって感じだよね」


 ここに来てからたった数時間しかたってないだろうに椎原学園の生徒は既に色々やらかしているらしい。さすがのヤンキー校って言ったとこだろうか。俺らが会ったDQN四人組みたいのがいっぱいいるのかもしれない。


「あ、怪我した奴が運ばれてきたみたい」


 公園の職員が担架で怪我人を運んできた。そこには見覚えのある髪色が見える。

「あれって……」


 佐有さんも気が付いたようで担架で運ばれる生徒を見つめている。それは見間違えるはずもなく、先ほど俺を殴った金髪DQNだった。担架はほどなくしてやってきた救急車へと運ばれていく。

 怪我人にこんなことを言うのは冷淡かもしれないが、俺は心の底からざまーみろと思ったし。自分が追い掛け回されたのも忘れてイノシシによくやったと賞賛した。


 うちの学校の生徒には怪我人は出なかったが、まだイノシシは捕まっていないとのことで神楽は中止となり、俺たちは予定を少し早めて農業公園を後にすることとなった。神楽の後予定されていた昼食タイムも自然となくなり、皆帰りのバスの中弁当を掻っ込むこととなった。

 乃恵が限定ソフトクリームを食べられず帰りのバスでふてくされていたので帰ったらコンビニでお菓子でも買ってやるか。

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