第12話 謎のおっさん

「どったの? マキマキー」


 突然立ち止まった俺を心配してか、乃恵が近くまで寄ってきた。俺はギリギリ相手に聞こえる小声で話しかける。何故かって? 他の人に聞こえたら恥ずかしいだろ。


「切符ってどっち向きに入れればいいんだ?」


 乃恵は一瞬呆けた顔をした後盛大に噴出した。やめろ、周りの人たちが何があったのかとこっち見てるだろ!


「笑うな!」


 周りを気にせずゲラゲラ笑う乃恵に向かって叫ぶ。恥ずかしさで頬が赤くなるのが自分でもわかった。乃恵は目じりに溜まった涙を拭いながらゴメンゴメンと謝る。


「どっちでも大丈夫だよ。むしろ裏向きでもOK! それより急いで!」


 言われるままに俺は適当に自動改札口に切符を突っ込む。ドキドキしながら進行方向へと進むも、何の問題もなく俺は改札を通ることに成功した。毎日のように電車に乗っている人には判らないだろうが、俺は今非常に安堵し、そして達成感を感じていた。これでまた一つ大人になったようなそんな気になれたのだ。

 しかしそんな気分に浸る暇はなく先ほどと同じように、乃恵に腕を掴まれ走ることとなった。


「よかった、間に合った!」


 階段をダッシュで駆け上がり荒い息のまま死にそうになっている俺の隣で、軽く息を切らせただけの乃恵がいそいそと黒い鞄からカメラを取り出す。それは大きく立派なレンズのついたカメラだった。カメラをよく知らない俺でも見ただけでもそれなりに高いだろうと想像できる代物だ。

 ようやく息が整ったところで、俺は今更ながらに周りの様子に気が付く。心なしか人が多いような気がする。

 まだ帰宅時間内なので人が多いのは当たり前なのだけれど、ここにいるほとんどの人間がカメラを携えている。パッと見三十人以上はいるだろう。いったい今から何が始まるというのだろうか?


「マキマキは写真撮らないの? それとも見るだけで満足しちゃう人―?」


 大きなカメラを首から下げた乃恵が、満面の笑顔で俺に聞いてくる。心なしかとても楽しそうだ。


「だからさっきから何のこと言ってるんだ? さっき言ってたゆうつず? ってやつか? いったい何なんだ?」

「え?」


 乃恵が固まった。口を半分ほど開き、俺を見たまま動かない。フレーメン反応を起こした猫みたいだ。いったいどうしたというのだろうか。俺はまずいことでも口走ってしまったのか?


「あ――――! やっちゃった……」


 固まっていた乃恵は、突如叫び出したかと思うと両手で頭を抱えながら盛大に唸っている。なにやらぶつぶつと唸っているが、よく聞き取れない。


「乃恵……?」

 

 流石に心配になり声をかけると乃恵がこっちを向いた。


「今何時!? って、後二分で来るじゃーん!」


 どうやら乃恵が見たのは俺でなく、俺の後ろにあった時計のようだ。時間を確認すると乃恵はカメラを持った人たちが並んでいる方へと走っていく。


「あ、おい、ちょっと待て!」


 このまま意味も分からないままここに放置されてはたまらないと、とっさに声をかけた。無視されるかと思ったが、乃恵は止まりはしないがこちらを振り返ると、


「詳しい話はあとで―! 今はそれどころじゃないのー!」


 叫びながら、カメラを握りしめ行ってしまう。置いて行かれて途方に暮れた俺は空いているベンチに座って乃恵が帰ってくるのを待つことにした。


 ◆


『まもなく一番線に寝台特急夕星が参ります。黄色い線の内側までお下がりください』


 構内アナウンスが聞こえると同時に、周りにいた人たちが一斉に色めきだった。いったい何が来るのかと俺は固唾を飲んで目の前の線路を見守る。

 暫くすると、左側から列車が入って来た。ホームにいたほとんどの人たちが一斉に写真を撮り出す。パシャパシャというシャッター音が合唱のように鳴り響く。列車の走行音にも負けない程だ。乃恵のような大きなカメラを持った人が大半だが、小さめのコンパクトカメラやスマホで撮っている人もいる。


 列車はゆっくりと速度を落とすと停車した。さらにシャッター音は激しくなる。乃恵はどの辺に行ったのだろうと気になり立ち上がると俺の目に先程入って来た列車の車体が映った。それは見たこともない車体だった。

 重厚な焦げ茶色の車体は鏡の事く磨き上げられ、美しく佇む。金色のエンブレムは鈍く控えめに輝き、エンブレムと同色の装飾は味わい深い色合いの車体に干渉せず、慎ましやかに彩っている。この感動を一言で表すならば、


「……キレイだ」


 吐息と共に思わず声が漏れた。


「そうだろそうだろ!」


 突然聞こえてきた聞き覚えのない声に横を見れば知らないおっさんが立っていた。誰だお前は。この人も乃恵と似たようなデカいカメラを首から下げている。


「この豪華寝台列車夕星は思わずため息をつきたくなる美しさなどと謳われるくらいその車体の美麗さが売りだ。数々の電車のデザインを手掛けてきた有名デザイナー尾張谷(おわりや)宝治(ほうじ)の最高傑作とまで言われてんだ。どっかの派手な列車と違ってゴテゴテに装飾したり、キンキラキンに塗りたくるのではなく趣のある美しさだ。わびさびってやつだな。だからと言って見かけだけかと言ったらもちろんそんなことはねえ。国内一流の職人を呼び寄せて作ったという細部までこだわった壁や天井などの内装。ホテルか見間違うばかりの設備が充実した客室。ネジひとつにも特注品を使ってこだわってやがる。極めつけは車内食だ。九州中の有名シェフを呼び新鮮な食材をその場で調理してくれる。いやー、さぞかし頬が落ちるほどうまいんだろうなー。流石九州一の豪華寝台列車というだけあるな!」


 男は聞いてもいないことをつらつらと早口でまくし立てる。情報量が多すぎていまいち覚えきれないが、なんかすごい列車ということだけはわかった。


「はー、きっと高いんでしょうね……」


 それだけすごい列車だ。さぞかし高いのだろうとはわかるが値段が気になる。


「そーりゃもう! 一番安いプランで三十五万。高いのは九十万以上する! いやー一生のうち一度は乗ってみたいもんだなあ」


 きゅうじゅうまん!? 高くて五十万円くらいかなーなんてぼんやり思っていたけれど、その倍近くするなんて想像を軽く超えていた。おじさんの話ではそれでもキャンセル待ちが出るくらいの人気があるらしく、金持ちっているところにはいるんだなと変に感心してしまう。

 おじさんはうんちくを喋りつくして満足したのか「見るだけならただだ。坊主も存分に見とけ!」といってどこかに行ってしまった。ほんと何者だったんだあのおっさん。

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