第10話 電車と列車の違いが分からない
学校から帰宅するとリビングでおふくろがトランクに荷物を詰めていた。
「あれ? もう週末の準備してんの?」
今週末はいとこの結婚式に出席するためF県に家族で行くことになっている。結婚式するいとことは望美姉ちゃん……ではなく望美姉ちゃんの兄だ。そのため望美姉ちゃんは手伝い要員で既にF県に帰っていて現在この家にはいない。
「なにいってんの、私とお父さんは先に行くって言ったでしょ?」
「いったっけ?」
「いったわよー!」
圧縮袋の空気を抜きながらおふくろがぞんざいに答える。すっかり頭から抜け落ちていた。
「オヤジ明日も仕事だろ?」
明日は金曜日。土日祝休みのオヤジは明日も仕事のはずだ。
「半休とって昼から行くのよ。お母さんがいない間のごはん代。机の上に置いておくわね。あ、あとこれも渡しておくわ。絶対になくさないでよ」
そう言って差し出されたのは一枚のチケット袋。中に何か入っている。
「何これ?」
「行きの電車の切符よ。指定席だから時間間違わないでね」
中身を取り出すとそこには複数枚の切符。
「は? 電車?」
「当たり前でしょ、お父さん先に行くのだから車ないわよ」
「帰りはみんな一緒だから行きの切符だけね」とおふくろが付け加える。俺は手にした切符を握りしめてジッとおふくろの顔を見つめた。
「なにその顔。あんたまさかまだ一人で電車乗れないんじゃないでしょうね?」
「ま、まさか! そんなわけないじゃん!」
とっさに苦笑いを浮かべつつ否定するものの、背中に冷たい汗が伝う。何も言わずジッと見つめてくるおふくろの目が何もかも見透かされているかのようで居心地が悪い。
ふうとおふくろがため息をついた。ドキリと心臓が跳ねる。
「そうよね、高校生にもなって一人で電車にも乗れないなんてことあるわけないわよね」
「あ、当たり前じゃん! じゃ、俺とりあえず着替えてくるから」
俺は逃げるかのようにして、リビングから出て行く。「あんたお金! 忘れてる!」と叫ぶおふくろの声が聞こえたが聞こえないふりして階段を上がった。飯代は後で取りに降りればいいだろう。
飛び込んだ自室の中、俺は崩れ落ちるかのように座り込み手にしたままだった切符に視線を落とす。……困ったことになった。
いったい何に悩んでいるのかというと、お察しの通り原因は手の中の切符。理由は、俺がひとりで電車に乗ったことがない、ということだった。
我ながら高校二年生にもなって一人で電車にも乗れないなんて恥ずかしいのは百も承知だ。しかしどこに行くにも電車に乗るようなお都会ならいざ知らず、俺の住んでいる県は田舎だ。電車なんてよっぽど遠出しない限り乗ることがない。バス停は家から数分の距離にあるのでよく利用するが、駅は車で三十分の場所にある。ちなみにその駅は高校の目の前にあるために通学で利用することは絶対にない。
電車に乗った記憶と言えば、中学の修学旅行で班行動時に京都を回るために乗った時が最後だ。三年も前の話だ。しかもあの時は電車の乗り方に慣れたやつに常に任せていたので俺は何もしていない、というありさまだ。
そんな人間がいきなり、一人で電車に乗って他県に行けなんて言われたら悩むほかない。ちゃんと改札を通れるかとか、乗る電車を間違わないかとか、乗り過ごさないかとか……。考えただけでも頭が痛い。
しかしいくらここで悩んでいても状況が好転することはない。俺は大きく息を吐くと、その辺に投げ捨てた鞄を引き寄せスマホを取り出す。あってよかったインターネット。とりあえず判らないことはググってみるとこにした。
◆
一晩中駅や電車について調べてみたが、地域や駅によって多少の違いがあるようで俺の不安が晴れることはなかった。『経験に勝るものはない』という言葉があるようにやはり、何事もやってみないことには始まらないのだ。
幸いおふくろに貰った切符の日付は土曜日。そして今日は金曜日、実践するなら今日しかなかった。
ということで、俺は学校が終わってすぐに駅へと来ていた。高校のすぐ近くにある駅……ではなくて県内で一番大きな駅であるO駅に。移動の手段は勿論電車ではなく、自転車だ。バスでもよかったが、自転車を学校において帰ると月曜日が困ることになるために二十分ほどかけてO駅まで来た。
なぜわざわざそんな時間をかけてまでO駅に来たかというと、ここO駅には自動改札機がある。どこでもある都会と違い、わが県で設置されている場所は数か所しかない。対してF県は都会だ。自動改札機が設置されているところも多い。明日下車予定のH駅も当然の如く設置済みだ。ならば、少しでも同じ条件下で練習するべきだと思ったのだ。だって、当日通れなかったら怖いし。
あと、無人駅は困ったときに尋ねる人がいなかったら確実に積む。というのもある。
とりあえず今日は、電車に乗ることはせずに入場券というもので入ってホームの雰囲気だけでも掴めたらと思ったのだ。
さて早速券売機の前に来たわけなのだが、人が多い。学校が終わった後に来たわけなのだから、時間的に当然帰宅ラッシュ。学生、社会人入り乱れて多い。
ICカードが普及したと言っても、未だに券売機で買う人も多いしICカードをチャージする人も当然いる。そこそこの人数が並んでいる最後尾に俺は並んだ。
列が進み徐々に券売機に近づいてくる。それと同時に俺の緊張が高まっていく。俺は券売機で切符を買ったことすらない。これが初めてだ。緊張しないわけがない。
しかし恐れることなかれ。昨晩ユー●ューブで券売機の使い方の動画を見た。予習はばっちりだ。俺に死角はない!
一番前の人が去り、ついに俺の番が巡ってきた。緊張を解すかのように俺は一つ息を吐くと券売機と向かい合いお金を投入した。
画面を見た瞬間、俺は固まった。昨日ユー●ューブで見た画面と違う。まさか券売機にも種類があるとは知らなかった。しかし、違うとは言っても同じものを売っているのだ、大きな違いはないだろうと俺は適当に画面を操作していく。しかし、俺の手は止まる。わからない……。
駅員さんが近くにいないかと辺りを見回すものの、それらしき姿は見えない。そのうえ振り向いた時に見えた俺の後ろの列が先ほどよりも増えていて、早くしなければと気ばかり焦る。しかし、焦れば焦るほど冷静な判断は出来なくなる。どうしよう、一旦買わずに離れて人が減ったときにもう一度トライした方がいいだろうか。
「あっれー? マキマキ?」
軽くパニックに陥ってる俺に、拍子抜けする声が掛かる。
「……乃恵?」
そこには私服姿の沖田乃恵が立っていた。
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