第9話 反省会

「チャイムなったよー」


 チャイムが鳴っても教室に戻る気にもなれず、空き教室の隅に一人座り込んでいると沖田が現れた。話すのも億劫で無視を決め込んでいると、沖田は俺の隣に座った。


「……さぼるから、戻れ」


 何か言わないと、このまま居座るだろう沖田に戻れという。しかし沖田はいっこうに腰を上げる気配がない。


「じゃあ、私もさぼる」


 一人になりたかったのでギロリと睨みつけるが何の効果もない。何を言っても無駄だとわかったので、俺は沖田はいないものだということにして立てた膝に顔を押し付けた。


「昨日の私もひどいこと言ったけどマキマキもあれはダメダメだよ」


 無視しようと決めた矢先聞こえてきた声に顔を上げて沖田を見る。


「聞いてたのか?」


 責めるように聞くと、沖田はすまなそうに眉を下げた。


「……ごめん。シュットからマキマキが匹田さんと話すために空き教室に入ったって聞いたから。……昨日ひどいこと言っちゃったし謝ろうと思ってさ。でも入れる雰囲気じゃなかったから話し終わるまで外で待ってよって思って、待ってたらさ……」

「そう」

「でも、聞いてよかった。匹田さんが無視する理由わかって」


 沖田は嬉しそうに笑った。俺は笑う気にもなれずそのまま視線を自身の膝に戻す。


「ねー、マキマキ」

「何?」

「さっき匹田さんが怒った理由、わかってる?」


 俺は答えられなかった。耳が聞こえにくいなら聞こえる人間が代わりに聞けばいいそう思った。しかし、匹田さんはそうは思わなかった。何故なのだろうか。


「匹田さんはさ多分、『普通』じゃない扱いされたのが嫌だったんじゃないのかなぁ」


 どういう意味かいまいちわからず俺は首を傾げる。どうして俺が肩代わりすることで『普通』じゃない扱いになるのだろうか。


「言ってたじゃん匹田さん、『少し耳が悪いんだ』って。ようは人より少しだけ耳が悪いだけで、普通の人と変わらいんだよ」


 そうだ、確かにそう言っていた。だから何が言いたいんだ? 要領を掴めない沖田の言葉に眉をしかめる。


「人間よってたかって皆に『お前はおかしい』、『普通じゃない』って毎日のように言われたらどういう思考に陥ると思う?」

「……自分はやっぱりおかしんだって思うかな」

「あーそっちかあ。うんうん、そう思う人もいるよね。でも多分匹田さんはまだそこまでいってなくて……。いや少しはそう思ってるかもしれないけど、その思いを否定したくて『自分はおかしくなんかない』って強く思っているんだと思うよ。そう思っているのにさ、マキマキったらあんなこと言って……まるで介護じゃん。匹田さんはマキマキに補聴器になってほしいなんて思ってないよ。普通に接してほしんだよ」


 後頭部をガツンと殴られたような衝撃を受けた。沖田の話はあくまで仮説だ。本当に匹田さんがそう思っていたのかは本人に聞いてみないことにはわからない。しかし、その考え方だと彼女の態度に納得がいく。俺は勝手な独りよがりで知らず知らずのうちに匹田さんの自尊心を傷つけていたのかもしれない。


「俺、バカじゃん……」


 呟いた声はひどく掠れていた。

 沖田がさてと、と呟きながら立ち上がった。


「そろそろホームルームも終わるころだし、戻ろ。それとも一限もさぼる? 私は戻るけどー」


 俺の心境など気にするでもなくいつも通りの軽い声。

 何もかもが億劫なのでこのままサボりたくはあったが一限目は日本史だ。日本史の山内は授業をサボると後々課題をたんまり出されて面倒なので大人しく戻ることにした。

 立ち上がって埃をはたいていると、沖田がこっちを振り返る。そしてビシッと人差し指を突き付けて言った。


「骨は拾ってあげるよ。印牧くん」


 好戦的な笑みを浮かべると、小走りで教室へと駆けていった。元気なやつ。

 俺も沖田の後を追うようにのろのろと教室に向かう。


 ◆


 翌朝俺は本気で休みたかった。昨日あの後匹田さんに謝ろうとしたものの、どうやら匹田さんに避けられているようで、話しかけることすら出来なかった。あんなことしでかした後だ、自業自得ではある。

 今日もまた匹田さんに避けられるかもと思うと気が重い。しかし勿論そんな理由で休むわけにも行かず俺はどんよりとした心境で教室の扉を潜る。


「……あ」


 入ってすぐ視界に飛び込んできたのは、匹田さんだった。思わず漏れた俺の声に匹田さんはちらりと俺を見た。その視線にドキリと心臓が跳ねる。何か話さなければと考えているうちに、匹田さんはぺこりと会釈をして自分の机へと向かって行く。


「……はあ」


 何も言えなかった自分への不甲斐なさでため息が漏れる。折角匹田さんが会釈してくれたのに挨拶くらいしろよ俺。


「おっはよー、マキマキ!」


 俺より後に入って来た沖田が今日も元気よく挨拶をしながらタックルしてくる。


「おー」


 衝撃を受けた背中が少し痛いが、今は突っ込む気などないので気の抜けた返事だけを返す。


「おはよー、さゆゆん!」


 俺の横をすり抜けて教室の奥へと向かった沖田は匹田さんの肩を軽く叩くと、にこやかに挨拶した。その様子に俺はひどく驚く。


「あ、おはよう。沖田さん」


 さらに驚くべきことは、匹田さんが沖田に挨拶を返したのだ。しかも可愛らしい笑顔で。いったい何があったというのだ?


「さゆゆーん! 私のことは乃恵って呼んでって言ったじゃーん! やり直し」


 両手で胸の前に大きくバツを作ると、頬を膨らませて抗議をする沖田。


「……ごめん。おはよう、乃恵ちゃん」

「よろしい!」


 楽しそうに笑いあう二人。微笑ましい光景だ。しかし、いつの間にこんなに仲良くなったんだ。昨日まではそんな様子全くなかったじゃないか。


「昨日の放課後、乃恵が佐有さんに謝ったんだよ」


 頭の中が疑問符でいっぱいの俺に後ろから声が掛かった。振り向くと重朝がそこに立っていた。ネクタイをしていないところを見ると、朝練終りに慌ててきたことが分かる。っていうか今こいつなんて言った?


「……なんでお前匹田さんの名前呼んでんだ?」


 今こいつはさらりと佐有さんと、匹田さんの名前を呼んだ。沖田の名前も呼んだがそれはまあいい。


「あぁ、それはな……」

「ねえねえ、みんなー。今日から私とさゆゆんの事名前で呼んでくれないかな? 『沖田』と『匹田』って似てて聞き間違えちゃうんだよねー」


 沖田が大きな声でクラスメイト達に呼びかけていた。


「そういうこと」


 重朝が渦中の二人を指さしながら言う。


「沖田は沖田なりに考えて匹田さんと向き合うことにしたんだよ。聞き取りづらいならその分声を大きくするとか、ボディタッチで知らせるとか。名前も『沖田』と『匹田』似ててわかりづらいからって名前で呼び合うよう提案したんだ。お前がぐずぐずしているうちに、乃恵の奴が一歩リードしたな」


 ああ、そういうことか得心がいった。それよりお前は意地悪く笑いながら俺を見るな。我ながら情けないとは百も承知なのだ。


「お前も頑張れよ」


 ちらりと匹田さんを盗み見ると彼女はクラスメイトに囲まれて楽しそうに笑っていた。その笑みは入学式の日に見た笑顔と同じだった。


「……善処はするよ」


 今の俺は苦笑いを浮かべつつそう返す他なかった。

 ああ、俺も匹田さんに笑ってもらえるように善処しなければならない。

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