第7話 酔っ払い相談所

 店を出たのはいいが、匹田さんがどっちに向かったのかわからない。一か八か俺は駅の方へと走り出す。きっと匹田さんはこのまま家に帰るのではないかと考えたからだ。それなら向かうのはバス停だ。先週匹田さんはバスで帰っていた。ならば今日も帰りはバスだろう。駅以外でもバス停はあるが、駅の方が間違いなく本数は多い。

 人ごみの中全力でしばらく走っていると、匹田さんらしき背中が見えた。やっぱりこっちで当たりだった。


「匹田さん!」


 名前を呼ぶが匹田さんは振り向かない。聞こえていないのかはたまた無視をしているのか……。俺はそのまま速度を落とさず走る。そして今度は無防備な腕を掴みながらその名を呼んだ。


「匹田さん、待って!」


 振り返った匹田さんは、びっくりしたように俺をじっと見つめる。その瞳には涙が今にも溢れそうに溜まっている。泣くぐらいなら最初から無視しなきゃいいでしょと、沖田なら言うのだろ。


「匹田さん……今なら沖田も謝ったらきっと許してくれるから。戻ろう?」


 出来るだけ彼女を傷つけないよう、優しく聞こえるように心がけ話しかける。匹田さんは困ったように下を向いた。


「……私は」


 匹田さんの瞳からぼろりと涙が零れ落ちた。とっさによぎったのはヤバイだった。泣かせてしまった。そんなつもりなかったのに。俺は好きな子を泣かせるなんて悪趣味は持ち合わせていない。好きな子にはひたすら優しくしたい派だ。

 そんな言い訳を並べても、匹田さんが泣いているのは事実だし、泣かせたのは間違いなく俺だ。どうする俺? どうすればいいんだ俺? 頭の中で自答自問するが、答えなんて一切出てこない。全俺が大混乱だ。

 泣いた女の子の慰め方なんて俺には判らない。何を言ってもさらに泣かせそうな気がして言葉が思いつかない。こういう時重朝ならもっとスマートに対応できたのかもしれない。


「あ、え、あう……」


 それでも何か言おうと口を開いたら、言葉にならない声が口をついて出る。何か言わなければ、早く泣き止んでもらわなければ。焦るばかりで考えは一向にまとまらない。道行く人々の視線が気になって仕方ない。


「……ごめん」


 何も言えずにワタワタしている俺に匹田さんは謝ると、そのままわき目もふらずに駅の方へと走り去っていってしまった。

 間違えた。言うべきことを間違えた。匹田さんと相対しているときは、頭に血が上って上手く考えられなかったけれど一人になってようやく頭が回りはじめた。

 なんで俺はあの時『謝ったら許してくれる』なんて言ったのだろうか。匹田さんにも理由があったんじゃないのか? そんなことも考えずに俺は謝れなんて……。あんなこと言ったらお前が悪いって言っているのと同義だ。

 ドラマや漫画やアニメには、クーデレやツンデレという現実世界にいたらちょっと付き合いづらいキャラクターがたくさんいる。俺は人付き合いが希薄過ぎて匹田さんをそういうキャラクターとしかみてこなかった。

 だから好感度を上げて行けば、いずれはデレてくれるのだと勝手に思い込んでいた。

 確かに二次元ならそうなのかもしれない。しかしこれは現実社会だ。現実にクーデレやらツンデレなんてキャラクターいるわけない。客観的にそう見えたとしても本人にそのつもりはないだろう。それどころか何か理由があってそういう態度をとっている可能性の方が高いのではないのだろうか。訳もなく誰に対しても無視するなんてあるのだろうか?

 確かにない、とか言いきれない。そういう人もいるかもしれない。しかし入学式の日や今日のボウリング場での笑顔の匹田さんを見るかぎりでは、彼女は何かしらの理由があって無視しているのではないだろうか。今はそう思えてならない。


 ◆


 あのあとすぐに店に戻ったものの、重い空気のままその場で解散となった。

「私は悪くない」と最後まで主張していた沖田であったが、言葉の割には随分と消沈していたように感じる。言葉にはしないが彼女も匹田さんを気にしているようだった。

 とりあえず明日は朝一で匹田さんに謝ろう。しかしなんて謝るべきなのか俺は決めかねている。未だに彼女が無視をする理由がわからない。ただの機嫌の良し悪しだけではないとも思っている。とかいって推測するにしても、手掛かりがなさすぎるしで、打つ手がない。


「忠世―何悩んでんの? おねえちゃんに話してみなさーい」


 リビングのソファーに寝転がり一人考えに耽っていると、望美姉ちゃんが背もたれ越しに覗き込んできた。今は一人で考えたかったのだけれど、文句を言ってもこんなところで寝ころんでいた俺が悪いと言われかねない。

 腹筋を使って起き上がると、望美姉ちゃんに視線を合わす。右手には缶ビールが握られている。頬が赤くなっていることからほんのり酔っているようだ。

 酔っ払い相手に相談するのはあまり意味がないとは思うが、このまま考え込んでいても沼にはまるだけで答えが出てくる気配はない。思い切って聞いてみるか。


「クラスの女子のことなんだけど……」

「えーもしかして好きな子―?」


 ニヤニヤしながら興味津々で聞いてくる。酔っ払い特有の面倒くさい絡み方だ。しかし嘘を言ってもさらに面倒くさいことになりそうなので、ここは素直に頷いておこう。


「まあ。うん、そう」

「キャー! 青春じゃん。いいねいいねそういうの! 若い子はいっぱい恋しないとね」


 酔っ払いは俺の隣に座ると、本格的に絡んできた。素直に言っても面倒だった。あーやっぱり相談相手間違えたかも。


「そういうの良いから!」

「ごめんごめん。っで、その子がどうしたの? あ、もしかして告白するとか?」

「違うって。えっと、その子が無視するんだけどさ……」

「え、嫌われてるの?」

「多分違う。無視されるの俺だけじゃないし。男女関係なくほぼ全員」


 まあ普通無視されるっていると、そう考えるのが普通だよな。でも普通は嫌っている相手からの遊びの誘いは受けないだろうし、今日のボウリングの様子見てると嫌われてはいない気がする。


「えー? なんで?」

「いや、俺がそれ聞きたいんだって……」


 そのことにたいして何かとっかかりでも出てこないかと思って質問したのだけれど無意味だったようだ。望美姉ちゃんはうんうん唸って考えてくれているが、酔っ払いの思考回路などあてにならない。


「もういいよ、酔っ払いに聞いた俺がバカだった……」


 そう言ってソファーから立ち上がろうとしたが、後ろから何かに引っ張られ俺は再びソファーに舞い戻った。


「何?」


 ほんのり赤くなった頬、とろんとした瞳。完全に酔っ払いのそれだ。


「やっぱりさ、本人に聞くしかないんじゃないの? 他人があれこれ考察しても真実にはたどり着けないと思うよー。それにその子だって勝手に勘繰られるのは好きじゃないだろうし」


 ポロリと目から鱗が落ちた。なんでそんなに簡単なことに今まで気が付かなかったのだろうか。逆に難しく考えすぎていた。勝手にあれこれ思い悩んで考えあぐねても何も出なかった。なら思い切って聞いてみるのが一番かもしれない。だがしかし、


「……言いたくないって言われたら?」

「その時は『ごめんね、もう聞かない』って謝ればいいんじゃない?」

「それも、そっか……」


 なんだかすっきりした。今までうだうだ悩んでいた俺がバカみたいだ。


「ありがとう、望美姉ちゃん」

「参考になった?」

「少し」


 たまには酔っ払いもいいこと言うじゃん。

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