第3話 家から一番近い駅? 車で三十分ですね

 体中が痛い。慣れない運動で関節がバキバキだ。まだ俺は若いから、筋肉痛はその日に来たわけだ。親は二日後に来たとかよく言っている。まあ、普段から運動していたら筋肉痛とか来ることすらないのだが……。帰宅部で運動嫌いの俺は万年運動不足だ。明日は日曜日なので休みでよかったと心底思った。

 匹田さんにを誘ったものの振られた俺はボウリング大会を欠席するつもりだったのだが、沖田に半ば無理矢理参加させられた。結果は予想通り散々な形で終わった。三ゲームやって最高が六十八点、最低が三十七点という笑うに笑えない点数だ。ご想像の通り大体が溝掃除していた。ボウリングはあと十年くらいは行かなくていい。

 二次会はカラオケだったが、飯だけ食って早々に退散してきた。え? 音痴なのが恥ずかしいからかって? いやいや、バスの時間のため仕方なくだ(音痴ではないとは言っていない)。

 俺は住む県はそこそこの田舎なので、終バスの時間は早い。まだ十時にもなってないというのに次の便で最終だ。

 ボウリング終わってすぐに帰った野口さんは、最寄り駅など近所に存在しないうえにバスも七時が最終で、バス停から家まで自転車で三十分とか言っていたのでそれよりはましか。

 人通りは平日よりかはいささか多いが、数えるほどしかいない。ここ数日で日が落ちるのが遅くなったとはいえ、流石にこの時間に太陽出ていない。代わりの照明が煌々と照らす中を俺は足早に目的のバス停へと向かう。いくら田舎県と言えども中心部は少しは栄えており街灯も多い。

 目当ての場所には先客が一人。土曜日の夜だというのに、こんな客入りでバスの採算がとれるのか余計なお世話だが心配になる。

 俺の前に立つのは若い女性。どことなく見覚えがあるような気がして、相手に気が付かれないようにちらりと顔を盗み見る。俺の予想通りその顔は見知った人物で思わず声を上げてしまった。


「匹田さん?」


 そう、そこにいたのは匹田さんだった。落ち着いたデザインの水色のワンピースに鮮やかなオレンジのサマーカーディガン。いつも通りのポニーテールは、いつもはつけていない緑色のシュシュで結ばれていた。初めてみる私服姿は予想以上に可愛い。休みの日に会えるだなんてこれはもう運命。間違いない。


「え? ……あ、印牧君」


 その瞬間俺の時が止まった。今まで聞こえていたもの見えていたものがすべてシャットダウンされて、俺の目には匹田さんしか映ってない。


「えっと、……印牧君?」


 今の世界の唯一である匹田さんが心配そうに俺の名前を呼ぶ。なんと! 無視が基本装備の匹田さんが俺の声に振り向いただけではなく俺の名前まで呼んでくれた! しかも二回も! まさか名前を覚えてくれていたなんて……。感無量だ。まさか俺明日死にます?

 は、しまった! 彼女を困らせてはいけない。慌てて俺は現実世界に意識を戻し、改めて匹田さんに向きなおる。


「ごめんごめん、匹田さんは何か用事の帰り?」

「後輩と遊んでいたの。楽しくて、ちょっと遅くなっちゃった……」


 照れたように微笑む匹田さん。デレ入りました! なにがトリガーかは知らないし唐突なデレに困惑すらするけど、めっちゃ可愛い。今日は機嫌がいいのかもしれない。こんなかわいい匹田さん貴重すぎるのだから余計なこと考えずに網膜に焼き付けるのが最優先に決まってる。


「印牧君は?」

「あ、俺は……ボウリングとカラオケ行ってた」


 あれ? カラオケは突発なものだからともかく、俺は先日匹田さんを誘う時に次の土曜日にボウリングといったはずだったが忘れたのだろうか?


「ボウリングかぁ、そういえば中学の頃以来いってないな。久々にいきたいかも……」


 なら今日一緒に行けばよかったじゃん。なんて無粋な言葉は言わない。うん、後輩と遊んでいたって言っていたし、すでに約束していたんだろう。きっとそうだ。

 なので、終わったことはどうでもいい。それよりも今後の方が大事だ。今日の匹田さんは今までにないくらいに機嫌がいいようだし。押すなら今だ!


「じゃあさ、今度一緒に行かない? ボウリング」

「え?」

「あ、二人っきりじゃなくてさ! 他に何人か誘って! あ、もちろん女子も……」


 あー、やっぱりやめときゃよかった。匹田さんも困惑してんじゃん。これはフラグか? と思って誘ってみたけど、すでに一回断られてる(正確には無視されてる)ボウリングに再び誘うとか馬鹿すぎるな。とか何とか自己嫌悪に陥っていると、弾むような声が聞こえてきた。


「いいの!? 行きたい!」

「も、もちろん! 行こう!」


 うっそマジかよ! 絶対失敗したと思ったのに匹田さんからOK貰えるなんて。やっぱり俺死ぬの?


「誰か呼びたい奴いる? いないならこっちで適当に見繕うけど」


 あまりの嬉しさからの動揺を悟られないために眼鏡に手を添え、治すふりをしながら冷静を装う。


「印牧君に任せる」


 もうすぐバスが来るということで、とりあえず連絡先だけ交換して詳しい日程などは後日ということとなった。

 ほどなくして匹田さんが乗るバスが来た。ほんの十分程度だったが、今までにないほど充実した時間だった。まともに会話したのも初めてだったし、貴重なデレも見ることが出来たし、連絡先までゲットしてしまった。おそらく匹田さんがご機嫌だった理由であろう名も知らぬ後輩氏ありがとう!


「匹田さん!」


 バスに乗り込む途中の匹田さんに声をかける。エンジン音に負けないように声は大きめに。


「また明後日!」

「うん……また、明後日!」


 すっごい可愛い笑顔の匹田さんが控えめに手を振る。天使かよ! よし網膜に焼き付けた。

 俺は心地の良い余韻に酔いしれ、匹田さんが乗ったバスの去った方向をいつまでもぼんやり見つめていた。そのせいで自分の乗るべきバスに乗り過ごしそうになったのはここだけの話だ。


 ◆


 乗り過ごしそうになったものの、終バスに乗ることが出来無事家に帰り着くことが出来た。浮かれ気分のままドアを開く。


「ただいまー」

「おかえりー」


 俺が帰宅の挨拶をすると同時に声が返ってきた。声をかけてきたのは下着姿の女性。


「わあっ! 望美姉ちゃん。なんて格好してんだよ!」

「風呂から上がったばっかりなんだからあっついのよ」


 俺は慌てて扉を閉め、視線を背ける。俺が慌てふためているというのに、当の本人は手うちわでパタパタ仰ぎながらのほほんとしている。

 目の前の痴女……ではなく彼女は、俺のいとこの印牧望美かねまきのぞみ。元々は県外に住んでいたのだが、今は県内の大学に通うために我が家から通っている。

 このいとこ、幼少期によく一緒に遊んでいたためか、俺のことを弟のように思っているようで今のように裸や下着姿を見られたぐらいで全く動じない。むしろ俺が恥ずかしがると、逆に見せてくるというありがた迷惑っぷり。やっぱり痴女だわ。

 出来るだけ意識しないようにしているもののこちとら思春期だ。無理な話というもの。思春期の男子高生に年頃の女性のあれらのない姿というだけでドギマギしてしまうというのに、望美姉ちゃんは顔がいいうえにスタイルもいい。沖田のようなモデル体型とは違い、ボンキュッボンのダイナマイトボディ。グラビアアイドル顔負けの美女が裸同然の格好していたら好きでなくとも、そりゃ間違い起こしそうになるよね? 今起こしてないし、今後も起こす気なんてさらさらないけどね!

 これがラブコメとかだったら、後々恋に発展したりもあるのかもしれないが残念ながらそんなことは100%起きない。だって望美姉ちゃんには社会人の彼氏がいて、さらにラブラブ進行形なのだから。そして俺はほぼ毎日のようにのろけを聞かされている。間違いなんて起きる訳もない。それ以前に二人暮らしなわけもなく俺の両親もいるしな。

 まあどっちにしろ、俺は匹田さん一筋なので残念でもなんでもないけど。


「忠世なんかいいことあったー? 顔がニコニコしてるよ」


 ハーフパンツを履きながら望美姉ちゃんが俺の顔をまじまじと見つめる。早く上も着てくれ。


「まじで?」


 思わず両手で口元を隠すものの今更だろう。自分では全く気が付かなかったが、俺は無意識のうちにずっと笑っていたのかもしれない。バスの乗客がほとんどいなくてよかった。

 しかし、それも致し方ない。あんな素晴らしい出来事があった後に冷静でいられるほど俺の精神は成熟していないのだから。


「なにがあったの?」

「ひみつー」


 興味津々に聞いてくる望美姉ちゃんから逃げるように俺は自分の部屋がある二階へと駆け上がった。

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