偶然の紙飛行機

 この時由加子は、どんな顔をしていたろうか。後になって振り返ってみても、それはわからず終いだった。三太郎がどこかを向いている間、彼女はどこにもいなかった。

「よし、由加子さん、ダーツやりましょう、ダーツ」

 吸っていたパーラメントの火を灰皿に落とし、それを潰して、三太郎が言った。その言葉に、由加子は我に返る。

「私、やったことないけど」

「おれはあります。大丈夫ですよ」

 すぐにバーテンダーが気を利かせ、ハウスダーツの刺さった瓶をカウンターに置いた。彼がそこから三本抜き、椅子から降りる。

「ダーツで占いましょう。ダーツ占い。見ててください」

「何、それ」

 小銭を数枚、ダーツの筐体に投入し、ボタンを操作する。上部のモニターに、ゲーム開始の合図らしき表示が出た。

「こうやって投げるんですよ」

 彼はフロアに半身になって立ち、そこから矢を三度、放った。そのたびに、筐体から派手な効果音が鳴った。

「はは、全然だめだ。由加子さん、こっち来て。普通のカウントアップです」

「だから、やったことないって」

「大丈夫ですよ。ほら、煙草消して」

 渋々とフロアに立つと、三太郎はボードに刺さった矢を抜き、彼女に手渡した。

「三本ずつ、八ターンです。って言っても、あれです。占いなんで、一本でもBull真ん中に入ったら、由加子さんの勝ち。願いが叶います」

「何言ってんの……知らないけど」

 仕方ないなと、由加子は見よう見まねで床のラインに合わせて立ち、矢を投げた。動きに連れて、体が跳ねた。

「あれ……」

 ボードにはぶつかったが、刺さらなかった。二投目、三投目と試みるが、同じだった。

「はは、そうなりますよね」

 ボタンを押し、落ちた矢を拾い集め、三太郎が寄ってくる。

「こうやるんですよ。構えてください」

 由加子に矢を持たせ、その背中側に立った。左手を肩に乗せ、右手で矢を持つ手を包んだ。急に何を? と驚き、振り返ろうとしたが、彼の顔が肩越しの間近にあって、由加子は自分でも意外なほどにどぎまぎした。包んだ手の矢越しにボードを見据える彼の目が、あまりに熱く、鋭かったせいだ。やや割れたバスドラムの響きが急に耳に入って来、彼女の芯まで届きだした。

「こう……こうです。肘から先だけで、押し出すように……紙飛行機、飛ばすみたいに」

「ん、んん……」

 ゆらゆらと投げるモーションを素振りで示しながら、低く囁く。声よりも、その息と振動が耳に触れた。少し、くすぐったい。

「おれはガイドするだけなんで、力、入れて、放ってみてください」

「紙飛行機、みたいに?」

「そうです」

「…………」

 一投目。的の円の外だが、刺さることは刺さった。

「いいですよ」

 二投目、三投目。刺さらなかった。

「もう一回やってみましょう」

 またボタンを押し、矢を集め、再び由加子に張り付いてくる。

「押し出す、ってさっき言いましたけど、的に吸い込まれる感じでやったほうがいいかも」

「……? よくわかんない」

「ああ、じゃあ、こういうのはどうです? 本当に紙飛行機だと思って、『届け!』って投げるイメージ。ほら、紙飛行機は、思いとか願いとか乗せて飛ぶって言いますよね?」

「何、そのロマンチック……」

「腰を入れるといいかも」

「……っ!」

 三太郎が左手を由加子のウエストに落とした。くっ、と力を込められた。

「ちょっと!」

「さ、いいですよ。投げてみてください」

 へその辺りまで伸びた手。その指先にまで、圧力がかかっていた。意識はそっちに持ってかれたまま、右手は彼のガイドに添われたまま、由加子は矢を放った。

 まったく紙飛行機らしくない大きな弧を描いて飛んだ矢は、しかし、的の真ん中に、着地した。派手な効果音が鳴った。

「あ……!」

「おお、Bullじゃないですか! やった! ははっ」

 由加子から離れ、ボードに寄り、三太郎が刺さった地点を確かめる。

「しかもインinブルbullだし! あ、点数は一緒ですけど」

「……知らないし」

「すごいですよ。これは笑いますね」

「偶然だし。まぐれだし」

 由加子は、不機嫌そうな顔を、わざと作って言うのだった。






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