長いだけの意味
三太郎に導かれるままに、由加子は同じビルの四階の、そう大きくはないカジュアルめなバーに入り、そう広くはないカウンターの真ん中あたりの席に着いた。ダーツとスロットが各一台あり、やや落ち着いた感じのプールバーといった雰囲気であった。新しめなノリのR&Bが流れていた。ほかの客もバーテンダーも、自分と同年代くらいに見えた。ネオン管による電飾が、薄暗い店内に複雑な色彩を浮かび上がらせていた。
「ええと……ジンにしようかな。ロックで」
「ボンベイでいいですか」
「あ、はい。ボンベイボンベイ」
すかさず紙のコースターとおしぼりを出すバーテンダーに、三太郎がそう頼んだ。
「私はジンライムで」
「かしこま☆」
「ジンライムって、仁志先生みたいですね」
「元々好きなの」
「ジン、うまいですよね。由加子さん、おれとシンクロしましたね」
「べつに。ジンなんてみんな好きでしょ」
鞄を探り、カールトンを取り出す。すぐさま、二人の間に灰皿がひとつ、差し出された。が、さっき吸ったばかりなことを思い出し、そのままカウンターの上に置いた。
それにしても――
この隣に座る一場三太郎という男。由加子は今ひとつ掴みかねていた。どこか間の抜けたふうな顔をして、急に間合いを詰めてくる。――いや、入り込んでくる。好意と呼ぶには不躾で、だが、気づけばペースにはまっている。誘われるがままに、一緒に食事をし、今、ここで飲んでいる。
それにしても、鍋って――
由加子は、こっそり笑った。やっぱり、間が抜けている。そう思った。
やがて頼んだ酒のグラスが来ると、二人はそれを手に取り、それぞれ、口をつけた。
「ここ、けっこういいですね。思いません? 良くないですか?」
三太郎が言う。顔を向けると、まるで無邪気な笑みを浮かべて由加子を見ていた。
「え、何、君、ここ、来たことあるんじゃなかったの?」
「おれ、そんなこと言いましたっけ」
「違うの? 知ってるふうな言い方してなかった?」
「勘違いですよ。初めてです」
「そうなの」
「いやあ、博打でしたよ。これよりガキっぽくても、かしこまってても、おれ困ってました。ちょうどいいです。ついてるなあ」
本当に嬉しそうな顔をしていた。半月ばかりの付き合いとはいえ、これまで見たことの無い顔だった。
「ほら、かかってる曲もいい。こういうの、おれ、好きなんですよ。詳しくは知らないですけど」
「適当なこと言ってない?」
「本気ですよ。逆にですね、さっきの鍋屋、あんまり良くなかったんで。曲」
「全然気にもしなかったけど」
周りの客の喧騒のほうが遥かに
「ジャズですよ、ジャズ。モダンジャズ。あとそれの仲間。しかもあんな鍋屋で。ああ、いえ、鍋はうまかったですけど」
「それはね、うん」
三太郎の笑っていた目に、何かしらの真剣味が現れるのが見えた。
「まあ、いいんですけどね。ただああいう音楽って、おれ、嫌なんですよね。わかりにくいし。長いだけですよ」
にわかに熱く語り出したものだと、由加子は少し面食らった。
「長いだけの曲。長いだけの映画。ドラマ。長いだけの小説。どうです?」
「クラシックはどうなの? 長いのあるけど」
「クラシックは別ですね。ほら、由加子さん、『第九』を一枚に収めるからって、CDの規格が74分になったって有名な話」
「うん」
「意味があるんですよ。意味を収めたいから、74分。長いだけじゃないんです」
「ふうん」
「由加子さんはどうです?」
「何が?」
「何がって」
「…………」
由加子は大きく息を吐いた。この男の言いたいこと――それを、察した。
「三年って、長い?」
「長いだけなんだったら、長いですね」
ちらと男の顔を見やる。三太郎はもうずっと、由加子に顔を向けたままでいた。嘲るような色は無い。
「長いよねえ……」
長いだけの恋になっていたことを、由加子は認めた。
重々、承知していたことだった。特別、何があるでもなく、付き合い始めた時のまま、何も進まず、気づけば、三年も経っていた。いや、むしろ、関係性は薄れていた。今日この日もまた、由加子は残業になる見込みであることを告げ、相手は何も言わなかった。
「明日はね、一応会う予定にしてあるんだけどね」
「その、元恋人にですか」
「元、って!」
由加子は思わず、三太郎の方を向く。
「だって由加子さん、恋してないじゃないですか。今。その人に」
顔を逸らしながら、不躾に入り込んでくる。そう指摘されてしまうと、そうなのかも、と思ってしまう。
「どうするんですか?」
「どうする、って……」
目を伏せたままでいた自分の姿を見せつけられた気がした。諭すでも嗤うでもなく、意地悪で言っているのでもないことが、由加子には逆に意地悪に思えた。
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